ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

サイケなトルコの航跡を追って

2011-01-22 00:37:27 | イスラム世界
 ”Hava Narghile : Turkish Rock Music 1966 To 1975”

 半裸の女たちに囲まれて禿頭のオヤジがパイプで水タバコを吸う。いかにもうさんくさいジャケ写真であります。「マトモな音楽は入っていません」と宣言しているようなものだ。そして、ジャケに記されたタイトルの”Hava Narghile”は、ハバ・ナギラのことだろうか?しかしあれはユダヤの民謡なのであって・・・なんて事を気にするようなノリの悪い奴は聞いちゃいけない盤なのかもね。
 という訳で、60年代から70年代にかけて、トルコ・ロック界で何が起こっていたかという、貴重な資料集であります。

 聴いてみれば、もう思い切りGSでサイケな世界だったのね。切なく呻くボーカル、グルグル渦を巻くファズ・ギター、ボコボコボコと際限のないソロをとるベースギター。やかましいドラム。聴いていると、「うわあ、ゴールデン・カップスだ!あれ、モップスじゃないのか!」と飛び起きる瞬間、たびたびあり。ユーラシア大陸の両端で、似たような事をやっていたのだなあ。
 そう言ってもいられなくなるのが、サイケが高じ、トルコ風インド音楽(?)かなんかが始まると、それが中東風ロックの道を開いてしまうあたり。意味ありげにファズギター(トルコ人はファズが大好きだ!)が悩ましげにアラブ風なフレーズを奏で、ドンツカトットットゥンとドラムが民俗打楽器風の波打つリズムを送ったかと思えば、ボーカルの奴は妙にシリアスにアラブ歌謡の結構本格派に聴こえる節を唸り出すのだった。あれ、こいつら、いつの間に本気になってたんだ?

 うん、60年代のロックバンドがサイケの文脈の中でいい加減なインド~中近東っぽいサウンドを出す例というのは、あった。一番適切な例はアイアン・バタフライの大作、胡散くさい大作、”イン・ナ・ガダダヴィダ”だろう。まあ、ビートルズのジョージのシタールでもいいし、ジェファーソン・エアプレインの”ホワイトラビット”でもいいけど。
 ともかくそれらに影響を受けたと見えるトルコのサイケなGS連中もそれ風のものをやり始めるんだが、それがいつの間にか彼らなりのルーツ探求ロックみたいなものになっていってしまう。そりゃ、厳正な目で見ればいい加減なものだろうけど、方向性としては。
 で、ありゃりゃ、これは本気で聴かなきゃいかんのかな?と襟を正せば、歌が終わったとたんに能天気なファズギターが延々、どことなく寺内タケシの香るサイケなソロを大乗りで弾き倒すのだった。

 まあ、どこまで本気でどこまでサイケだ、なんていったってねえ・・・「イギリスの最新ヒットが手に入ったって?あれ?こういうのがナウいサイケなのか?こんなんだったら俺っち爺サマが昔から村祭りの時にやってるぜ。ちょっとやってみようか?こんな具合だ」「うわあ、うまいうまい。もう一回やってくれよ。俺たちも合わせるからさ」とかね、そんなのやっているうちに、本気になっちゃったのかなあ。
 でも、その先は?彼等がその後、トルコ独自の土着的な深いロックを創造したって噂も聞かないんだけど、うん、ちょっと気になる。まあこういうのって、肩透かしのエンディングしか待っていないものなんだけど、それは知っているけど。

 あ、中ジャケに、”ほぼ全裸の女GS”の写真あり。いやまあ、一応、情報として。




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