ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

形骸に寄す

2012-08-01 03:18:45 | 音楽論など

 ツイッターを覗いていたらフォーク歌手の中川五郎氏が、反原発運動との関わりの中から、60年代のアメリカン・フォークの重要なレパートリーだった”勝利を我らに(We Shall Overcome)”に新しい日本語詞を付けて歌う試みにトライしていることを知ったのだった。

 「勝利を我らに」とは、ご存知の方はご存知のように、1960年代、アメリカの黒人たちの人種差別との戦いとリベラルな立場の白人たちによるフォークソング運動の交錯の中から生まれてきた戦いの歌で、その後も社会的な運動とフォークソングが関わる現場でいつも重要な役割をしてきた歌である。
 我が国でも反戦フォークの立場から、この歌の日本語歌詞化を試みる動きもあったのだが、どうもうまくいった例には出会えていない。この歌の骨子となっているものが、そもそも日本語に馴染まないのではないか、どんな具合に訳詞してもピント外れのものしか出来ないものなあ、などと私は考えてきた。だから今回の中川氏の試みがどのようなものになるのか、非常に興味があった。

 で、さっそくYou-tubeにあがっているその歌を聞いてはみたのだが・・・どうも、「文学青年が深夜、一人の世界に入り込んで作った”論理的には正しい筈の詞”」みたいな感触があり、私にはピンとこなかった。
 反原発運動の中で歌って行く、というのだが、まず、「大きな壁が崩れる」というフレーズと反原発の戦いと、どうもイメージのつながりが私にはすっきり納得出来なかったのだ。
、「大きな壁もぶつかり崩す」、「大きな壁が崩れる」という部分、いかがなものか。この表現では「何事かを見物している」っぽいニュアンスが漂ってしまい、間が抜けた感じになってしまう。「我々がそれをやるのだ」という想いが浮かんでこないのだ。壁が崩れるのを見物していたってしょうがないだろう。

 中川氏がオリジナルなものとして書き加えたという5番の歌詞も疑問だ。
 「大事なものは/必要なものは/もう一度考えてみよう」なる部分に漂う、歌の創始者側の説教臭が何を今さら、というか「フォークの奴ら、まだわからないのか」などと、鼻白む気分になってしまう。
 また、「おお、便利な暮らしか/緑の自然か」と尋ねられたら、私なんかは”緑の自然”なんかに興味はないから”便利な暮らし”を選んでしまうが。言っておくが、私は原発の存続に反対の立場をとる人間だ。
 また、「100年後に生きる子どもたち」なんてきれい事を言うよりまず、今、ここに生きている俺たちのために原発を止めようよ、などと私は思うのだが。

 と、まあ、私ごときものの感想はともかく。中川氏の新訳”勝利を我らに”のどの節をとっても、英語による本歌の、「私たちは勝利するだろう 私たちは勝利するだろう いつの日にか おお 心深くに 私は信ずる 私たちがいつか勝利することを」という、荒っぽく木片から削り出したようなゴロッと野太い手触りの歌のタマシイとは縁遠いものばかり感ずる。
 
 中川氏は今回、新しい「勝利を我らに」の日本語歌詞作成にあたって、自らに制約を課した、とのこと。それは、「これまでこの曲の日本語化の際に必ず使われてきた”We=我ら、Overcome=勝利、Someday=いつの日か”を禁句にしよう」ということなのだそうだが。
 しかし。この歌は、その三つの言葉で出来上がっているような、言ってみればそれしかないものではないのか。
 「我ら、勝利、いつの日にか」を歌いたくないなら、なんでその三言だけで出来上がっているような”勝利を我らに”を歌いたがるのか。
 やはりそこには文学青年の自己満足、そんな臭みばかりを感じ取ってしまい、中川氏の作業に拍手を送る気にはまるでなれない私なのだった。

 というか、「皆が運動の中で心を一つにして歌を歌う」なんてことにまるで共鳴できない、そんな場面に出くわしたら気持ち悪くて逃げ出してしまう私なのだから、そもそもこの話に口を出すのが筋違いなのだが。
 いや。そんな私をも、一緒に歌を口ずさませてしまうような”勝利を我らに”に出会えるのかと期待をしないでもなかったのだ、私だって原発には反対の立場をとる者の一人であるのだから。だからあえて発言してみた。まあ、中川氏がこの文章を読まれる可能性もあんまりないのだが。





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