ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

ハイウエイの終わるところに

2011-09-19 04:09:07 | 北アメリカ

 ”Si9ngin' and Swingin'”by Earl Grant

 その頃の私は心を閉ざし気味のチューボーで、趣味はSF小説を読むことと海外から送信されてくる日本語放送を聴くことだった。ヒイキはストルガッキー兄弟と北ベトナム放送。音楽ファンとしての営業はまだ始っていなかった。もうすぐ、ではあったが。
 その日、私はモスクワ放送が始まるまでの時間つなぎとして、当時、テレビの深夜枠11PMの司会などで当時、売り出し始めていた大橋巨泉のジャズ番組を聴いていた。もちろん私は、まだジャズのファンでは無かったわけだが。

 聴くでもなしに流していた番組の中で、巨泉がさんざん、外国のミュージシャンの悪口を言っていた。どうにも軽薄きわまる奴で、ミュージシャンとしても2流である、そんなことをいっていたような気がする。冗談めかしていはしたが、本気でバカにしていたようだ。
 「で、こいつが、どういうわけか”The End”なんて歌を歌っちゃうんだよな。これが音楽の面白いところだねえ。くだらない奴がまぐれでこんないい歌を歌ってしまう。、けど、それ以後、良い歌を歌うようになったかといえば、そんなことは無い、あとは相変わらずのアール・グラントだったわけさ」
 そう言って巨泉はその曲をかけたのだった。この曲には、やられた。

 まだ音楽ファンを始める前とはいえ、そのグラントなる歌手が”ジ・エンド・オブ・ハイウェイ”と歌い上げる美しいメロディの向こうに、長い旅としての人生のさまざまな局面を乗り越えてその果ての、本当の終着点で何ごとかの真実に触れた男の慨嘆が聴こえた。
 そうか、と私は思ったのだ。そのような場所にたどり着くことこそが人生の意義なのだ、と。いや、そんなことは思わなかったさ。そのとき感じた感動を今、言葉にしてみればこうなるんじゃないかというだけのこと。

 あっと、その歌がそのようなテーマであるかどうかなんて、この場合関係ない。その歌を触媒としてそんな感動を得た、という話だ。
 はるか遠い宇宙における星々の生成やら、モスクワの放送局でニュースを読むアナウンサーの声に独特のエコーがかかっているのは、あれはそうなってしまうのかわざとやっているのか、なんてことを主に興味を持って日々を生きていたチューボーの心に、そんな感興をもたらした、というだけのこと。

 その Earl Grant の盤を私が手に入れるのはずっと後のことだ。 Earl Grant は1931年、オクラホマで生まれ、なんて話は誰も興味が無いだろうからやめておくが。
 ベスト盤であるこのアルバムを聴くと、巨泉がバカにするのもむべなるかな、という感じだ。ハモンドオルガンの弾き語り、という珍しいスタイルの彼は、もともとのもちネタなのであろうジャズ小唄をはじめとしてラテンのヒット曲やらカンツォーネなどなど、まあウケさえすれば何でもやったらしい形跡がある。そんな彼は、感じとしては音楽芸人と呼ぶのが正しいかと思う。
 とはいえ、そんな芸風の影にジャズマンとしての矜持をかけた鋭いプレイが一閃する、なんて場面があるかといえばそんなことは無く、自慢のハモンドオルガンは穏便な和音を終始のどかに奏で、そのサウンドの一番似合う場所は海沿いの温泉街のホテルのサパー・クラブだ。

 いや、別に彼の悪口を私も言いたいってわけじゃなく。いいじゃないか、志は高いとは言えないかも知れないが、なんか憎めない奴だよ、 Earl Grant は。と言いたいのだ、むしろ。
 そんな”軽い営業”にかまけて生きてきた男が、あるとき、ひょんなことからすばらしい輝きを放つ。そんな瞬間に立ち会うことがつまり、大衆音楽を聴くことの喜びの一形態と言えるんじゃないかな。などと思った。というか、そう、 Earl Grant に教えてもらったと言うべきか。

 P.S
 書き終えてから、あの時ラジオでしゃべっていたのは巨泉氏ではなく別のジャズ評論家だったんじゃないか、なんて気もしてきた。ずっと”あれは巨泉”と思い込んできたが、古い記憶で、あんまり確証がないと今、気がついたのだ。うん、まあ、調べようもないし、違っていたら謝ります、うん。






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