ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

すれ違った唄

2010-03-06 05:02:50 | その他の日本の音楽

 この間から”もう飽きてしまった”という曲の記憶が心に蘇り、それが気になってならない。ずっと昔に聞いた曲なのだが、できればもう一度聴いてみたく思う。そこで検索などかけてみたのだが、結果ははかばかしくない。というか、妙だ。
 曲名”もう飽きてしまった”で、長谷川きよしのそのようなタイトルの唄に突き当たるのだが、どうもその曲ではない。記憶の中のその唄と似ているような気もするのだが、何か違う。実にすっきりしない気分だ。
 これはどこかに記憶の食い違いのようなものがあるのだろうと思う。長谷川の曲と、別の曲の記憶とをごちゃ混ぜにしているとか、ややこしい錯誤が。

 この辺のもどかしさでいえば、私が「ふうてんブルース」として記憶している曲もまた、ずいぶん長い事すっきりしない気分にさせてくれている。
 はじまりは私の高校時代に遡る。いろいろ納得できない出来事ばかりのその年代であり、重苦しい懊悩を抱えて、が、何も出来ずにただ深夜、眠れぬままラジオを聴いていたのだが。
 そんな時、ふと流れてきた女のけだるい歌声が、私の心にベタ、と染み付いたのだった。

 ”なんだってどうだっていいじゃないか その日暮らしのフーテンに
  なんで明日など あるものか”

 曲で言えば”東京キッド”みたいな感じのちょっと古め(その時点でも)の歌謡曲調、そして自堕落なタッチの歌詞内容にふさわしく、物憂げな、と言うより投げやりな歌唱が、その時の私の心のありようにフィットし、妙に忘れられない曲となったのだ。
 と言っても、不意に流れてきた歌謡曲の一節であり、上に記した部分しか、メロディも歌詞も覚えていない。かといって、とりあえずロック少年だった当時の私がそんな曲に拘泥して詳しいところを調べようなどとも思わなかったし、調べようにも手段が思いつかない。

 中途半端な気分のまま日々は過ぎた。唄は、この中途半端な断片のまま忘れ去られることもなく、私の心に住み着いた。その後私は、人生においてどうだって良くない形勢になりそうな事件に巻き込まれるたび、心の中でこのフレーズを呟いてきた。現実の、何の助けになるものでもなかったが。

 長い事、この唄のタイトルを”ふうてんブルース”と信じ込んでいた。で、何年か前、昔の歌謡曲の復刻CDにそのタイトルが記されているのを知り、ついにあの曲のフル・ヴァージョンが聴けると、おおいに期待したのであるが、さっそく買い込んだCDから聴こえてきたのはまったく別の曲だった。
 おお。ここに来て、ついに私はあの唄のタイトルさえ不明である事実に直面させられてしまったのだ。などと深刻になるほどの問題でもないのだが。とか言いつつも、私はこの唄の幻影をどうやら一生引きずりかねない形勢であるのだが。

 まあ、どうでもいいんだけどさ。と、こんな場面で口ずさむのが、この唄なのである。
 下に貼ったのは、「この唄あたりが曲調としては近いかなと思える西田佐知子の”東京ブルース”である。似てないかも知れないけど、まあ、どうだっていいじゃないか。




最新の画像もっと見る