最近、中島みゆきの”ファイト”とかいう曲を使ったテレビCMが流れている。例の、「ファイト!戦う君の歌を戦わない奴らが笑うだろう」って歌。
そのCMの歌が流れてくると、「うるせえ、何を貴様なんかに、偉そうに説教されなきゃならねえんだ!」などと、な~んかムカついてならない私なんだが、そちらではいかがなもんでしょう?腹立ちませんか、あの歌聴いて。
とりあえず中島みゆきはあの歌を、現実に対して勝ち目のない戦いを挑む一人ぼっちの”君”への応援歌として作ったのだろうが、あのCMにおいては、そのような原作の意図は、どこかへ行ってしまっている。
代わりに何があるかといえば、そこらへんから狩り集めて来た無気力な若者を並ばせておいて、「ダラダラせずに戦え!」と叱責する校長先生、とかの朝礼の挨拶の面影がある。若者たちに商品を売り込みたい企業の都合としても、そんなものなんでしょうなあ。
まあ、中島の歌も、その種の偉そうな説教垂れるのが好きな連中には、利用しがいのある作風ではあるのであって。
なんか、土木関係の大企業が、朝、まず全社員が集まって、中島みゆきの「地上の星」を整列して聴き、それから各作業所に赴き仕事にかかる、なんて話を聞いたことがある。そりゃあるかもなあ、と妙に納得できたものだった。
中島みゆきもさあ、なんだってあんなに”立派な歌”ばかり作りたがりますかね?この何年か、それこそ全社員整列の上で流すのがふさわしいような立派な歌詞の歌ばかり作ってはいないか。
まあ、大したファンでもない、とりあえず耳についた曲について論じているだけの私なんで、そんなのばかりではないぞ、との反論もあろうけど、いや、私のような無垢な一般市民の耳に障るくらいのイメージ、というのはやっぱりいかがなものかと。そのうち中島みゆき、日本の国歌作ることになるかも知れんぞ。
そんな自分のこと、どう思っているんだろうなあ、中島は。いや、どう思うも何もない、あの種の歌が好きな真面目な人たちからは「立派な歌でなにが悪いんですかっ」と叱られるんだろうなあ、こんな文章書いていると。
殺意すら喚起させる強烈な反骨の歌と感じてしまう。物寂しげな一人の女の何の変哲もない感慨をまるで少女のような声でこの歌を唄っている。