オリンピックも終わったことだし、いつまでも夏バテなんて言っていられない、そろそろ本気になって音楽のことを書き始めようか、なんて考えていたのだが、国営放送でやっている原爆関係の特番のシリーズを、やはり見ておくべきだろうとチャンネルを合わせてしまい、またまた別の方向に落ち込むこととなった。
3・11以後、核の問題は他人事とは思えなくなっている。なにしろこちとら、シーベルト、なんて単位がなんのことか理解できるようになってしまっているのだから。
それにしても国家というシステムの、なんとそこに住む人々に対して酷薄なことだろう。広島、長崎で被爆した人々のうち、国によって被爆者と認定されているのは数パーセントに過ぎない、とはなんとひどい話か。しかもその”非認定”の根拠となっているものの一つが、あの、今日の福島で、既に見当違いだと結論の出ている”同心円状に広がる被爆地帯”の考え方だなんて。
もう、原爆投下から何年が経っているというのだ。それは、そんな事実さえ知らずにいた私も、相当に間抜けではあるのだが。
「デモをやっている連中は脱原発とかいうが、産業界の都合を考えたら、それは誠に非現実な論と言わざるを得ない」なる財界のアタマの言葉、太平洋戦争当時、上官が新兵たちに歩兵銃を指し示しながら行ったというあのセリフ、
「お前ら、一銭五厘のハガキでいくらでも招集出来る新兵どもに比べて、恐れ多くも陛下より賜った、この高価な銃。どれほど貴重か、分かるか」
なる言葉と、寸分違わないと感じるが、どうか。