ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

逝ってしまった演歌のために

2012-08-30 05:06:16 | その他の日本の音楽

 昨夜、藤圭子についての文章など書いたら、ミクシィ仲間の神風おぢさむさんからコメントを頂いた。それに対する返事を書いていたら、これはちゃんと一章設けるべき文章だな、という気がしてきたので、このような形で公表することとしました。勝手にこのようなことをして、すみません。どうかお許しを、おぢさむさま。
 下が、神風おぢさむさんから頂いたコメントです。

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藤圭子がリアルタイムでもてはやされていた頃は、演歌というジャンルは毛嫌いしていて、別の世界の話として聴く耳を持っていませんでした。最近の素人が作る楽曲の酷さを聞くにつれ、プロが作る詞・曲の凄さというものが、少しだけれど理解できるような気がします。
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 藤圭子がもてはやされていた頃の私の演歌に対するイメージというものを書いてみると、二つに分裂した印象がありました。
 片方は全盛期(?)の美空ひばりに象徴されるような、”偉そうな音楽”としてのそれ。そのイメージが極まったのは、ひばりが”柔”なんて歌を歌っていた時期ですね。ひばりが、あれは明治時代の”書生”をイメージしたんでしょうか、男ぶりの短髪のカツラをかぶり、袴姿で見えを切り、「ヤワラ一代~♪」とか歌い上げていた。その姿って、「演歌の女王」として君臨することによってたどり着いた地位、権力者としてのプライドを振り廻す、とても不愉快なものと思えました。そのきらびやかな王宮は、だが、「所詮は芸人風情」といった一般社会からの賤視によって裏書きがなされているものではないか、そう思うと、それはますます虚しいな強がりとしか見えなかったのですが。

 その一方で、辛い浮世の裏町酒場で酒飲み交わす無名の市民の憂さを晴らすか涙酒、みたいなうらぶれ気分に寄り添う音楽としての、負け犬のための歌、演歌。これは、なにしろ観光地の飲み屋街で生まれて育った私には、心のふるさとそのもの、みたいな気持ちがありました。自慢できるような部分はまるでないけど、俺はそこで育ってきたんだ、みたいな。

 昨夜書いた藤圭子のデビュー曲に「ネオン育ちの蝶々には」なんて歌詞があり、この場合の”蝶々”はもちろん、ホステスのことなんですが、私はこの部分を聞くと、別のことを連想する。
 中学生の頃、下校時、同じクラスの女子が制服姿で、いかにも酒の道の達人が通いそうな酒場の鍵を開けて中に入ってゆく姿なんかを思い出すのですな。なんのことはない、彼女の両親がその酒場を経営していて、彼女はその両親とともにその酒場の二階に住んでいた、それだけの話なんですが。でも彼女だってネオン育ちには違いないだろう。

 それとは別に。これも中学の頃ですが、クラスの中で”化け物””汚い”と忌避されていた女子一名がいた。ある日、彼女が校舎の片隅に突っ伏して号泣しているという事件があったんですが、「なにがあったんだ?」といぶかる私たちに担任は、「ともかく皆、少しはあいつに優しくしてやれよ。あいつも、親の都合で酒の席の仕事をさせられて辛いんだから」なんて言ったものです。おいおい、可哀想は分かったけど、中学生がそんな仕事をするのを、教師が公認かよ、と思うのは今だから。当時は何も不思議には思いませんでしたね。社会全体がそんな具合だったから。
 そんな彼女は、修学旅行なんかでマイクを握ると達者な演歌の歌い手でした。
 そして私の街は、そんな街だった。

 今日、レコード業界における演歌の売上は消費税程度、つまり数%でしかない、という凋落ぶりで、もはや”偉そうな演歌”なんてもの、存在する余地もない。紅白歌合戦にすがってプライドをつなぐだけのはかない存在に成り果ててしまった。
 そして裏町演歌、こちらについては音楽のジャンルとしてもう滅亡していると考えるしかないでしょう。五木寛之はかって、このような歌を「未組織労働者のためのインターだ」なんて言ったものですが、ともかく作り手たちが過去の作品の焼き直しばかりで、ろくな楽曲も生み出せないでいるんだから仕方がない。

 その一方で今日の演歌の主流をなしているのは、「津軽海峡冬景色」とかに代表されるフォーク演歌、といえばいいんですかね、そのようなもの。これはいかがなものかと思いますなあ。私は素直に、大嫌いです。
 フォーク演歌の特徴はといえば、まず歌詞がダラダラ長い、しかもくどくどと説明調で、ハギレ悪いったらない。いちいち歌の場面設定がこっているから、くだくだ説明しなければならないのでしょうな。でも私は断言するぞ、演歌の歌詞なんて1コーラス4行で終わる、これがダンディズムというものでしょうが、ええ?
 そして曲調はダラダラと感情を垂れ流す、70年代の日本のフォークあたりの影響濃い、ハギレの悪い代物で、さらにアレンジは実に大げさな大作主義で、バックにドカンと鳴り渡るオーケストラにはティンパニの轟きさえ聴こえる。

 などと書いて行くと全くうんざりしてくるんですが、まあ一言、日本における演歌は絶滅した、といえばいいのかもしれない。