ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

トーキング・ドラムの地下水脈

2012-08-12 16:01:41 | アフリカ

 ”WUY YAAYOOR”by VIVIAN N'DOUR

 いろいろ事情ありでだいぶ前からセネガルの音楽にご無沙汰している私なのであって。
 だが、慌ててこの、セネガルのユッスーの姪に当たるらしい歌手の新アルバムを手に入れてしまったのは、ほかでもない。「セネガルの音楽が一部で大変なことになっているらしい。ともかくパーカッション群乱打状態で、まるでナイジェリアのフジみたい」なんて噂話を聞いてしまったからで。人後に落ちないフジ・ミュージック・ファンの私としても、そりゃ気にならずにはいられないでしょう、それは。
 聴いてみると確かに、タマをはじめとする各種パーカッションの乱れ打ちがびっしり敷き詰められたサウンドなのであって、うわ、いつの間に、どのような理由で、こんな状況に至っていたのかとのけぞるしかないのだった。

 そりゃまあ、ナイジェリアとセネガルの民俗ポップスでは、似たような構造のトーキングドラムがどちらでも活躍しており、いずれはどんな形でか影響しあうのはありえないことでもなかったのかも知らないが。
 それにしてもしばらく聞かないうちに、ポップ・ンバラなんてジャンルもセネガルには成立していたんですね。このアルバムの主人公たるヴィヴィアン嬢のやっている音楽はまさにそれであるとかで、確かにそのサウンドもヴィヴィアン嬢の歌いっぷりも、なかなかスィートに洗練されたセネガル音楽であり、へえ、こんなおしゃれな世界がと、こいつもまた隔世の感というやつだったりするのであります。

 で、そのスィートに洗練されたポップス世界の真下で騒々しい民俗パーカッション群が暴れまわる。こんなもの、ミスマッチというかめちゃくちゃな結果しか生まれないだろうと普通は思われるのだが、この盤の音楽、何故か無理なく聞けてしまうのですな。これが不思議だ。
 むしろ、未来のアフリカを幻視するようなポップスと、太古に連なるアフリカの地母神の言葉を伝えるみたいなパーカッション群の絡み、そのはざまからなんとも不思議な幻想世界が現出していたりで。なんだかすごいことになってきたなあ。

 まあ、この音楽について何を言う知識も私にはないのですが、ここまで時代が下っていても、まだまだこんなわけのわからない状況が生まれ出るアフリカの生命力に感動するというか、呆れ果てる次第であります。