ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

フランシスコの二人の息子

2012-08-10 23:56:20 | 書評、映画等の批評

 あれは何日前のことだったか、オリンピック中継の狭間の真夜中のテレビで、”フランシスコの二人の息子”なる映画を見た。
 映画ファンではまるでない当方、もちろんこの映画に関する知識はまるでなく、これが現地では大ヒットしたブラジル映画であることなどまるで知らず。

 どこぞの田舎町に、赤貧洗うが如く、なんて言葉を思い出させる暮らしを送りつつ、よせばいいのに子沢山の父親がいて、子供を音楽の世界で成功させる事を夢見て楽器を買い与えたりしている。そのうち、父親の期待に応えるように多くの息子のうちの二人がボタン式アコーディオンとギターのデュオで、その地方の民謡か何かを街角で歌い始め、小銭を稼ぎ始める。そこに、子供たちの才能に興味を持った、いかにも胡散臭い興行師のオヤジが絡み出し、二人を演奏旅行に連れ出したりする。いかにもいかがわしい、食堂の片隅のチップ目当ての”興業”だったりするのだが。

 この、映画の冒頭部分を見ながら私は、勝手にメキシコ北部あたりが舞台の物語と誤解していた。子供たちが歌う民謡はいかにもメキシコのカンシォーン・なんたらと私には聞こえたし、子供たちの演奏旅行の途中で途中でケイジャン・ミュージックのように聴こえる音楽も登場した。おそらく途中で物語は国境を越えて、話の舞台はメキシコ北部からアメリカのテキサスあたりに移るのだろうな、とか予想した。
 そしてこの映画、貧しい子供たちの悲惨な運命に絡めて、ラテンアメリカ世界の矛盾を鋭く突いてきたりするんだろうなと。

 が、どうも成り行きがおかしく、そこで初めて検索をかけて私はこの映画の正体を知ることとなる。
 この映画は、
 ”2005年に公開されたブラジル映画。ブラジルにおけるセルタネージョ(ブラジルのカントリー・ミュージック)のトップミュージシャン、ゼゼ・ヂ・カマルゴ&ルシアーノとその家族の半生を事実に基づき描いている”(ウィキペディアより)
 であったのだった。

 どうりで、というかなんというか。若干の成功へいたらんがための苦悩の描写など挟みつつ、街角で歌っていた貧しい少年たちは、あっという間に大スタジアムを満員にした観衆の熱狂に包まれるラテンポップスのスーパースターへと成り上がって行くのだった。
 (いわゆる”天使の歌声”を聴かせていた子供が、青年になるにつれ、脂ぎったヤクザなラテンの伊達男に姿を変えてゆくのは、結構、胃に来る。なんてのは、虚弱なアジア人らしい感想なんだろうね)

 などとダラダラ書いていても仕方がないが。この映画が私の心に妙に残ってしまったのは、冒頭に書いたごとく、最初、舞台がメキシコではないかなどと私に誤解させたくらい、この映画が我々日本のワールドミュージック・ファンが一般に持っているであろう”ブラジル音楽”のイメージをすっきり無視した作りだったから。
 そこではサンバのリズムのサの字も響くことはなく、成功を手中にした”フランシスコの息子たち”が熱狂する大観衆を前にして歌うのは、普通のエイトビートのラテンのバラードである。こんなのがブラジルの大衆の一方の本音であるのも、厳然たる事実なんだよね。

 うん、なんだかその”裏切り”が、こちらの固定概念を覆してくれて痛快だった、というオハナシであります。まあ、普通に見れば歌謡スターのベタなサクセスストーリー、なんだが。