”Camille Saint-Saens ・Melodies Sans Paroles
(Songs Transcribed for Oboe & Piano)”
フランスの作曲家サン=サーンスが、もともとは歌曲として書いたメロディを、オーボエとピアノのデュオ用に編曲したもの、なのだそうです。クラシックの世界では、このような変奏は、どのように認知されているんだろう?もちろんポップスの世界では、やりたい放題なんだが。
それはそれとして。私はこの、ピアノだけをバックに木管楽器が鳴り渡るデュオ編成って大好きなんですね。ジャズでもクラシックでも、見かけるとつい買ってしまったりする。木管系の内省的な響きが、ピアノとの静かな対話の内に、心の内に染み入るように想念を広げて行く、そんな感じが。
まあ、クラシックの熱心なファンでもない私のようなものにとってはサン・サーンスといえば「動物の謝肉祭」なんだけど。中学の授業で聞かされたその作品はクラシックにしては楽しい出来上がりで結構好印象を持ったものだった。とは言え、メロディの断片一つ、まともに覚えちゃいないが。
この作品集で聴かれるサン・サーンスは、なんだかめちゃくちゃに粋な人、という印象であります。中学の記憶を掘り起こし、ここまで粋な人だったのか?なんて思ってみたりもしますな。
ジャケの絵にあるような19世紀のパリの煤けた町並みを、蹄鉄の音を石畳の道に響かせて馬車が行く。夕暮れが忍び寄りガス灯に灯がともり、優雅な夜会服に着替えた人々が行き交い、街は華やぐ。そんな大時代なロマン暮色が、盤の隅々までビッシリつまっている感じです。
もともと”歌心”というものを機能させるために編み上げられた歌曲のメロディが歌詞さえ剥ぎ取られて、より抽象的な器楽演奏という形で、空間に解き放たれる。それがこの作品においては、作曲家が意図したよりも明瞭に、メロディのうちに潜む切ない感傷が零れ出てしまった。そんな気がするんですが、どんなものでしょう?
サン・サーンスという穏健にして知的な(と、ウィキペディアには書いてあった)大作曲家の胸のうちに息ずいていた若気の至りが仄見える、そんな気がして嬉しくなるんだけど。
いや、ほんとに切ない、それこそ私の求める”港々の歌謡曲”状態で、メロディは夕暮れのパリの街角に響き渡っているのであります。