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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

凍土の下でロシアが歌う

2011-03-11 03:37:48 | ヨーロッパ
 ”Kokoon”by INNA ZHELANNAYA

 なんかこの人については、音楽マニアの暗黒の深部で一部の人々が盛り上がっていたようなので、逆にヘソ曲げて触れずにいた私なのだが。いやしかし、触れておかずにいられまいてよ。
 Innaは1990年代から活躍していたというロシアの女性歌手です。この昨年出たばかりの最新アルバムでは、トラッドというか土俗っぽい音楽性をプログレっぽいサウンドをバックに聴かせる人って感じなんだけど、ソロになる以前に属していたバンドでは、もっと民俗音楽色濃い事もやっていたらしい。その辺はまだ聴いてないですが、いずれにせよ土俗的な音楽に興味を持ってやってきた人のようです。

 このアルバムは、その”土俗”と言うテーマをさらに深く掘り下げてみた、という感じでしょうか。
 バックの音は音楽というよりサウンドエフェクトに近いもの。重苦しい和音を奏で続けるオルガン、秘教っぽい妖しげなリズムを打ち鳴らすパーカッション、地の底から湧き上がって来るような奇妙なサウンドエフェクトをまき散らすシンセ。
 錆び付いた扉が開くギ~という音が幕開け。すぐにフィールドレコーディングされたみたいな感触の、農夫たちのご詠歌か労働歌みたいなプリミティブなメロディの合唱が始まります。そこにシンセの重苦しい効果音が被り、男女のコーラスによる賛美歌らしき歌がご詠歌に取って代わる。

 なんて運びはもう、暗黒世界もののプログレでは定番の世界でもあるでしょう。そんな重く暗いサウンドの真ん中で、ロシアの大地が育んで来た伝承歌の呪文のようなメロディをひたすら内に向って歌いかけるInnaは、なんだか神降ろしの儀式でもやっているかのような。ふと、浅川マキの”赤い橋”なんて歌を思い出したりします。
 陰鬱なメロディの繰り返しが次第にこちらの心にまで染み付いてきて、妙な音楽だなあと思いつつも、気がつけば何度もこの古代ロシアの呪術世界に聴き入っている自分に気がつく始末。あな恐ろしや・・・

 このアルバムの音はYou-tubeでは見つからなかったので、Innaのライブの様子など、貼っておきます。




グルンヴァルト1410

2011-03-01 01:22:05 | ヨーロッパ

 ”Kas Tave Šaukia”by Donis

 バルト三国はリトアニアのバンド、とのこと。この国のバンドを、というか大衆音楽を聴くのはこれがはじめてなんだけど、ちょっと民族的にどこと繋がりがあるのか見当が付かない感じだ。他のバルトの国と同じく北欧の国々と親和性の高い音と思えるが、北欧っぽい透明感とも違う重さが感じられる。ハンガリーあたりにむしろ近いんだろうか?
 バンドはトラッド風味のプログレバンドといったところ。リトアニアの民俗楽器がシンセやエレキギターなど現代音楽の楽器と混交して音の壁を作り上げ、中世の軍楽の要素でも取り入れたのであろう、勇壮なリズムに乗って突き進むあたり、相当な迫力である。
 ヴォーカルの女性も力強い声を響かせ、これは相当な実力派バンドなんだろうな。

 CDを取り出すとジャケの中央に”偉大なるグルンヴァルトの戦い600周年を記念して”なる書き付けが現われる。
 ウィキペディアなどで調べてみると、この戦いは別名タンネンベルクの戦いとも言われ、1410年7月15日、ポーランドとリトアニアの連合軍とドイツ騎士団の間で戦われた戦闘だそうな。この戦いで勝利をおさめたポーランドは勢力を拡大、ロシア以外ではヨーロッパで最大の版図をもつ強国として最盛期を迎えたとある。ちなみに当時のポーランド国王はリトアニアの大公も兼ね、つまりこの戦いに勝利した頃は両国にとって栄華を極めた最高の時代だったのだ。

 灰色に垂れ込める雲の下、枯れ果てた大地に両勢力の軍勢が激突する、壮大な歴史絵巻が音楽によって描かれて行く。リトアニア語が分からないのが残念だが、荘重な響きのこのバンドは、このような物語の語り部にまさに適役かと思われる。民族色濃厚な音の壁を食い破って飛び出したギター・ソロが、切々たる感情をぶちまけるあたりは、主演俳優が千両役者の見栄を切る、といった場面なのだろう。
 ボーカルの女性は、トラッドぽい曲は伝統表現に使える巫女として余計な情感を排して叙事に徹し、その一方、途中に差し挟まれた美しいバラードはアルカイックな世界から帰ってきたナマの感情を持った女性として歌い上げ、バンドの描く中世の戦場と、それを見守る今日の我々とを繋ぐタイムトンネルとしても作用してくれる。

 なんか、聴き終えると映画の一本も見終えたような気分になってしまったのだが、こんなバンドがあんなヨーロッパ辺縁の小国にいるんだからなあ。なんて驚き方をしたら失礼か。
 それにしても壮絶な戦いでした、グルンヴァルトの戦い。まさに極彩色の歴史絵巻だった。



鍵盤バイオリンの怪異

2011-02-13 02:55:29 | ヨーロッパ

 ”ASA JINDER (nyckelharpist) ”

 な~んかこの週末には、さらなる寒気がやって来るそうですね。もう、いい加減にしろよなあ。風邪を引く半歩手前くらいで踏みとどまっているワタクシですが、もう我慢ならん。こうなりゃヤケだ、酒飲んじゃおうかな、今夜。
 飲んでいい日じゃないんだけどね。それ以前に寒さと何の関係もないが。逆に明日の朝、ただでさえクソ寒いのに二日酔いで起きるんじゃ、ますます良いことないんだけど。
 という訳で、寒いからってアイスランドの話ばかりもしていられないんで、今回は北欧の伝統音楽をある面で象徴するような楽器、鍵盤バイオリンなど。

 この呼び方、現地ではキイ・フィオールとか呼ばれているのを直訳したみたいだけど、他にもnyckelharpaとか、いろいろ呼び方はあるみたい。まあ、上に張った絵や下の映像を見てもらうのが早いだろうけど、異様と言っていい外見の楽器です。基本はバイオリンの左手部分の操作を直接弦を押さえずにキイを使って行なう仕組みになっている。
 かってはヨーロッパ中で見られた楽器で、私もスペインの古い絵画に、この楽器と同様の構造を持つ楽器が描かれているのを見たことがあるけど。でも次第に使われることがなくなって、今では北欧民謡の世界の片隅で命脈を保っている状態のようだ。

 ともかくそのキイの数だって何本あるんだ?弦だって20本以上張られているんじゃなかろうか。楽器全体の構造もめちゃくちゃ複雑で、こんなものの操作を習得してめんどくさい思いをして演奏するより、普通のバイオリンを練習して弾いちゃったほうが効率的じゃないか?とか思ってしまいますな。コスト・パフォーマンスが悪すぎるって奴だ。違うか。
 まあしかし、普通のバイオリンでは、この楽器の深く暗い闇に沈みこむような独特のタッチは出せないんでしょうね。重厚にして翳りのある、とでも言うのか。ここでは北欧民謡の一典型が演奏されているわけですが、こんなメロディにはいかにも合う感じは確かにいたしますな。



海熊の遠き呼び声

2011-02-04 01:56:55 | ヨーロッパ

 ”The Ghost That Carried Us Away”by Seabear

 まだまだ寒いですね~。という事で、またもヤケクソでアイスランドの音楽です。こちらも2ndアルバムを発表したばかりの新人バンド。とはいえ、私はまだ今回取り上げる2006年のデビュー盤しか聴いていませんが。

 それにしても、この妙なバンド名はどういう意味だろうな、何かこの言い回しによる深遠な意味でもあるんだろうか?と思ったけれど、ジャケ裏には表ジャケの児童画みたいなタッチの絵の延長で、川で魚を取る熊が描いてある。これは”海熊”でいいんだろうか?
 サウンドは、あくまでも淡い感じの田園調フォークロック。バンドの中心人物、Sindri Mar Sigfussonがまるで無防備にかき鳴らす生ギターに率いられ、ドラムスとバイオリンが、そしてトコトコとのどかに響くバンジョーやトイピアノが、寄り添うように音を重ねて行く。

 Sindri のボーカルはあくまで淡く決して激することはない。自身の紡いだちょっぴり切なく内省的なメロディを、独り言を呟くみたいに物語る。
 田園調、と言ったけど、私はあのキンクスの田園調ロックの傑作盤、”ヴィレッジ・グリーン”なんかを思い出してしまった。歌詞のほうは分析できるほど聞き取れてもいないんだけど、裏ジャケに下手くそな手書き文字で書かれた、”おはよう、カカシさん””猫のピアノ””フクロウワルツ”なんて曲名から、こいつもレイ・デイビスばりに相当ひねくれていると読んだが、どうなのかな?このアルバム・タイトルだって決してまともじゃないものね。

 などといろいろ空想を広げつつ、新録音なんだけどどこか過ぎた時間から響いてくるみたいな、時代の流れから一回降りてみた感じのノリで鳴り渡る彼らの音楽に身を任せていたら、”遠くから呼びかけてくる淡い哀しみ”なんてアダ名をSeaBearのサウンドにつけてしまっていた。この夜風の向こうの、シベリア気団さえ飛び越えた先の小島、アイスランドから。



アイスランド遠野郷便り

2011-01-30 00:56:58 | ヨーロッパ

 ”Pod kolnar i kvold....”by Rokkurro

 相変らずクソ寒い日々が続いておりますんで、ヤケついでにまたもアイスランド音楽を。 かの氷の国で私の一番好きなバンドです。といっても、昨年の秋に2ndアルバムが出たばかりの、まだ若いバンドなんですが。
 チェロの弾き語りをする女の子を中心にした5人編成のロックバンド。ロックとは言っても思慮深い音つくりの連中で、チェロのソロにアコーディオンやグロッケンシュピールなどの地味な楽器を隠し味的に絡ませて行く手管なんか洒落たものであります。

 決定的に情報不足なんで(そもそもアイスランド語の解説が読めない)良く分かりませんが、子供の頃に暖炉のそばでお婆さんが聞かせてくれたお伽噺の音楽化とか、そんなコンセプトを持ってやっている連中なんでしょうか。そんな手触りがある音です。昔懐かしい暖かさがあって夕暮れ時の哀感があって、そして子供たちの大好きな楽しいお伽噺がその裏に実は持っている、底知れない薄気味悪さの気配などまで、彼らの歌からは伝わってくる。その辺に惹かれます。

 なんといっても、チェロの女の子の優美な歌声がたまりませんね。結構ややこしいメロディも多いと思うんだが、しっとりと落ち着いた調子で、アイスランド昔語りの薄暮の幻想をそっと歌い聴かせてくれる。
 そして、極北の音楽特有の暖かさ。それは戸外の温度が冗談ではすまないくらいに降下している状況で、身を寄せ合った人々の間にこそ生まれるものなのでしょう。

 なんか、この音楽には元ネタがあるのかなあ?彼らには、いつもは伝承曲を演奏している英国諸島圏あたりのトラッドバンドなんかが自作曲に取り組んだ時のサウンドを連想させるものがあり、このRokkurroもまた、音作りの基礎に伝承曲があるのかも?などと空想しているのだけれど。
 ・・・などと、出合ったばかりのバンドを相手にいろいろ空想を広げている時が一番楽しかったりするんですな。



ムーミンの闇

2011-01-29 03:23:31 | ヨーロッパ

 この間、”ムーミンのオリジナル・メロディ集”とでも呼ぶべきアルバムに触れてみたんだけど、そういえばムーミンの話って、まともに読んだ事がなかったなあと気が付いた。そこでふと気まぐれを起こし、書店でムーミンの本を2冊ほど適当に引っ張り出して買ってみた。まあ、もともと北欧の文化には興味があるし、この辺も読んでおかなけりゃと思っていたんで、ちょうどいいきっかけでもあったのだった。
 で、その二冊を読んでみたらどちらにも、「これはいつものゆかいで楽しいムーミン村の話とは様子が違っているので戸惑われた方も多いかと思います」みたいな解説が付いていたんで、自分の超能力に驚いた次第。よりによってムーミン・シリーズの中の例外的な二冊を何も予備知識なしに買ってしまうなんてなあ。

 どう例外的と言えば、どちらも暗いのだった。
 まず一冊、「小さなトロールたちと大きな洪水」、これがムーミンシリーズの実質的第一作のようだが、大洪水に襲われ、何もかもが姿を変えてしまった世界をムーミンが母親と二人で、水に流されていなくなってしまったお父さんを探し彷徨う話。
 これはほんの短い話で、まともに本にさえしてもらえなかったそうだ、まだ無名の新進作家だったトーベ・ヤンソンは。
 次に長編としての第一作となるのが「ムーミン谷の彗星」であって。これは彗星が地球にぶつかるという終末テーマのSFものであり、これは明るくなりようがない。作者も苦戦したようで、初版にいろいろエピソードを加え、明るく躍動的な話にもって行こうとしたようだ。が、地球に彗星がぶつかる”終末もの”なんだからどうにもならん。訳者も前向きの解釈を解説で述べているのだが、そいつもやっぱり苦しい言い訳ぽかったりする。そうそう、コミックスは小説とは別のストーリーになっているとか。

 で、先に述べた「大きな洪水」は、その後日談と取る事も出来るんだが、”大破壊”に襲われた廃墟の地球をさまようムーミンとママが描かれている。最後に二人はパパと出会え、ハッピーエンドのように終わるんだけど、それは無理やり作ったエンディングで、むしろ流れとしては不自然。
 現実に、物語の流れの中では、パパは死んでいる。筋運びの中に、死の雰囲気が濃厚に流れている。二人のもとに偶然に流れ着く、ビンの中に入ったパパの”遺書”などど真ん中で、ともかくそんな雰囲気しかしないんだから、いくらめでたしめでたしと言って終わろうと、どうにもならない。

 訳者の解説によれば、これは作品執筆当時、ソ連との戦争に破れ疲弊した故国フィンランド社会を悼んだヤンソンの思いが反映しているのではないか、とのこと。
 そうかもしれない。そんな具合に心の奥にたまった澱を吐き出さねば、その後のムーミン谷の明るく楽しいファンタジィを紡ぐことは不可能だったのだろう。
 でも、なにもねえ、そんな無理しなくても。この辺の作品は没にして、その後に書くことになる”明るく楽しいムーミン物語”だけ発表しておけばよかったじゃないか。とも思うんだが、ヤンソンにしてみれば、イメージ違いの初期ムーミン話でも世に出しておかねば、作家としての人生に落とし前が付かなかったんだろうねえ。因果な話だなあ。

 へえ、こんな重苦しいエピソードに出会うとは思わなかった。無心にムーミンを読む子供たちはこれらの部分をどう納得して読んでいるんだろうな、などと。まあ、私が心配しても仕方がないことだけどね。
 上の画像は映画、”冬戦争”のポスター。下に貼ったのは、北欧先住民サーミの歌手、Mari Boine の歌です。私はムーミン一族に、このサーミの人々の面影が宿っているような気がしてます。




吹雪の日、音を紡いで

2011-01-28 01:48:33 | ヨーロッパ

 ”kurr”by Amiina

 毎日、クソ寒くて嫌になりますね。というところで、今回も北の果てアイスランドの音楽など。
 アイスランドのロックミュージシャンのバックでバイオリンとかの弦楽を奏でていた女性4人組が作ったバンドです、amiina。さらに遡ればアイスランドの首都、レイキャビクの音楽学校の仲間とかで、おそらく仲の良い同志、リハーサルの合間なんかに楽器を鳴らして遊んでいるうち、成り行きでバンドになってしまったんじゃないか、なんて気楽なノリが伝わってくるのが嬉しいですね。

 サウンドは、クラシックの室内楽のオモチャ版とでも言ったらいいんでしょうか。不思議な静けさにみちたヒーリング・ミュージックなんだけど、どこかに漂うユーモラスな遊び心が嬉しい。なんたってシンセから北欧の民俗楽器、ハンドベルからオルゴールやノコギリまで飛び出すんだから。

 しなやかで自然な歌心が、その響きの中に溢れています。極北の、厳しい自然に囲まれて生活しているからこそ、心の中からホカホカさせてくれる音楽が自然と生まれてくるんじゃないか、なんて思ってみたりします。
 ジャケで、メンバーが並んで編み物をしている姿も良いですね。You-tubeで見つけた演奏風景を見ても、なんか友達が集まって台所で楽しみに料理を作っているみたいに見えてしょうがない。そんな、なにげなさがいいんですよね。




サイケからイェイェへ・ハンガリー編

2011-01-26 02:12:57 | ヨーロッパ
 ”Sarolta Zalatnay”

 さて、”見知らぬ国々、サイケの旅”を続けているわけですが(そうか?)今度はハンガリー。かの国を代表するロック姉ちゃん、Sarolta Zalatnayです。60年代の後半あたりからハンガリーのロック界で活躍を初め、その後ずっと、かの国のロックをリードして来た偉大なるボーカリストであります。
 この人はもう、フリー・ソウルのジャンルとかで話題になって日本盤も出ているとかで、知っている人もいるかと・・・なんつって、どのみちマイナーな話題でしかないんでしょうけど。

 激しくうねるベース、重たく打ち込まれるドラムス、早弾きのギターが宙を切り裂き、そして超ハスキーボイスの女性ボーカルが魂込めてシャウト、と来れば、これはもう世界中どこに参りましてもその土地その土地に存在するという”オラが里のジャニス”の一人がまた登場したと申せましょう。なんて嫌味な紹介をわざわざすることはないんですが。
 いや、この人をリアルタイムというか70年代に聴いていたとしたら私も感激したと思う。まだ”東欧諸国”の中につなぎとめられたまま、ロックをやるのも不自由な国情にもかかわらず、ここまでやったか!とね。実際、そういう視点で見れば凄い人だと思うよ。という事でまず、彼女の”ハンガリーのジャニス”状態の歌をお聴きください。




 と、こんな具合なんだけど、なんかもう、私にはお定まりの定食みたいに思えてきちゃってねえ、こういう音楽って。冷たい言い方ではありますが、これが私の正直な感想なんだからしょうがない。
 などといいながら私、You-tubeで彼女の映像をあたっていたんですがね、そこにいくつも転がっている”ジャニス化以前”のSarolta Zalatnayの姿が結構良いんですな。 なんか、フレンチポップス界のアイドル歌手みたいなノリなんですよ。声も見た目もいかにもアイドルな女の子でね。
 これはヨーロッパ芸能界のより深い根っこなんかを感じさせて、お洒落でいいじゃないか。まあ、下の映像をご覧ください。




 ね、良いでしょ?そこで相談があるんだが、業界の実力者の方々、この頃の、いわば”イェイェ時代”のSarolta Zalatnayを、我が国の音楽ファンに売り込んでみる気はないですか?こっちの方が人気が出ると思うんだがなあ。つーか、私はこっちの方が好きなんだけどね。どうでしょう?ダメか、やっぱり。
 しかし、それぞれの人にそれぞれの歴史があるもんですな、まったく。

ムーミン谷の隠れ歌

2011-01-20 03:15:46 | ヨーロッパ

 ”Moomin Voices”

 北欧の作家、トーベ・ヤンソンが創作した童話・・・とかなんとかいう説明も蛇足だ、という気がするけど、まあようするに、あの”ムーミン”の物語にかかわる音楽です。
 アニメのムーミンに付けられた主題歌や挿入歌なんてものは世界中に山ほどあるんでしょうが、これは1950年代、ヤンソン自身が劇場用に自ら作ったメロディを元に創られた、いわば”本家”みたいなアルバムです。

 作家自身が作ったメロディ・・・そんなものがあるんですね。散逸していたヤンソン作のメロディの断片を集めてきて、スウェーデンのジャズ・ピアニスト、ミカ・ポージョラが形を整え、同じくスウェーデンの人気ジャズ歌手、ヨハンナ・グルスネルを迎えて吹き込んだのが、このアルバムという次第。
 ヤンソンが作った音楽の原型は聴いた事がない、というか聴くすべもないんだけど、作家はもちろん音楽の専門家ではないので、それほど要領の良いものではなかったのではないか?「劇場版は繰り返しが多くて面白いものではなかった」なんて盤に添えられたミカ・ポージョラのメモに、チラと本音(?)がもれていたりする。

 そのようにして出来上がった音楽は、ジャズをメインに、かたや現代音楽、かたや北欧民謡のメロディなども織り込みながらの、なかなか聴き応えのある楽しいものとなりました。
 これはヤンソン自身のメロディがもともと放っていたものだろうけど、いかにも北欧らしい、やや影のある旋律がさまざまなバリエーションを加えられながら、時に美しいハーモニーを伴いつつユラユラと歌いつずられて行くのを聞いていると、聞き慣れないスウェーデン語のエキゾティックな響きも相まって、どこか遠い遠い見知らぬ国の深い雪に包まれた隠れ里に住む不思議な種族が歌う歌、という感触がとてもリアルに感じられて来て、その種族の喜怒哀楽や手触りや体温まで感じ取ったみたいな幻想をもたらしてもくれるのでした。

 ところで残念なことに、You-Tubeにはこのアルバムの音は上がっていないようです。でも、何も貼らないのも悔しいんで、別のレコーディング(テレビ番組のためのものなのかな?)から、このアルバムの2曲目に収められているユーミンのテーマソング(?)など、貼っておきます。フィンランドでは、この歌を知らない子供はいないのだそうな。




北の孤島における宇宙モグラの存在について

2011-01-10 01:58:20 | ヨーロッパ

 ”Yesterday was Dramatic -Today is OK”by Mum

 この間、アイスランドの不思議な持ち味の女性シンガーのことなど書いてみたけれど、「ひょっとして今、”最前線”にいるのはアイスランドのミュージック・シーンなのではないか?という、特に根拠の挙げようもない予感がある。
 具体的な根拠もないので、詳しい話のしようもないのだが、何だか彼等が”今、いるべき場所”にいるように思えてならないのだ、私は。彼等が音の底に共通して持つ独特の透明感やら屈折したユーモアの感覚など、なにやらありそうな感触がいっぱいなのだ。
 そんな私の疑惑(?)を裏付けるように、いつの間にかそっと来日までしていたというアイスランドの奇妙な持ち味のエレクトロニカ・バンド、”Mum”のアルバムなど。

 エレクトロニカであるのだから当然、打ち込みの音から始まるのだが、これが全然機械くさくない、それどころかむしろちょっととぼけて温かいニュアンスを振りまく。キーボードのソロは決して尖った音は使わず、丸っこい和音で、聴く者の心を雲で包み込むようなフレーズを積み上げて行く。
 楽器の音色の選択だって、「あれ?スピーカーの具合がおかしくなったのかな?」と首をかしげるような間抜けな音をあえて響かせるのだ。打ち込みの上に乗る楽器もメロディカみたいにのどかな楽器だったり、女性ボーカルは子守唄でも歌うようにホワホワと宙を漂う。

 そんな具合だからアルバムの進行に耳を傾けていても、機械仕掛けのモグラが太古の地球を探検に行く、みたいなすっとぼけた物語が頭を横切って行くばかりで、その正体を突き止めようと思うと最初から最後まではぐらかされているみたいな気分になってくる。
 でも、いつのまにかその独特な手触りの夢想サウンドが妙に恋しくなって、CDにまた手が伸びてしまう仕組みで、う~ん、こいつら、絶対に何を企んでいると思うぞ。