谷川俊太郎文、長新太絵 でもう1冊好きな本は、
わたし 福音館書店 かがくのとも傑作集
わたしは、私自身であることに変わりはないのに、
かかわる人(動物や宇宙人も含む)によって、呼び名が様々に変わっていく。
お母さんから見れば、「娘」のみちこ。
さっちゃんから見ると、「お友達」。先生から見れば、「生徒」だし、
レストランへ行くと「おじょうさん」と呼ばれる。
外国人からは「日本人」、宇宙人からは「地球人」。
すごいなと思うところは‥
きりんからみれば「ちび」
ありからみれば「でか」
人間対人間、の関係だけでは終わっていないところ
(この場面は、読んでいると一番「うける」所でもある。)
わたし
しらないひとから みると
だれ?
ほこうしゃてんごく では
おおぜいの ひとり
非常に哲学的で、「深いところ」まで降りていってしまう、
最後のページ。
そして、こういう詩の本を『かがくとも』のカテゴリーで
発行してしまう福音館書店!!
★おまけ★
おかあさんから みると おとうさんから みるとのページで
お母さんが新聞読んでて、お父さんが料理をしている絵、
とてもいいなあと思います。これは長新太さん、独自の
アイデアなんでしょうか‥‥。
それと、この話には続編があることをこのはなさんのところで、知りました。
『あなた』というタイトルとのこと。読んでみたいです。
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また、こちらでも紹介してくださって、
どうもありがとうございます。で今度はわたしから
あなたへTBさせていただきました。
う~ん『あなた』もハードカバー化されればいいですね。
そのときは、おおポケ(おおきなポケット)通信の
長新太さんと谷川俊太郎さんと松居直さんの「あなた」
について書かれたものも載せてほしいです。
『わたし』もまた読み直してみたくなりました。
来てくださって、どうもありがとう。
とてもうれしいです。
京都の女の人は、自分のことを指す時は「うち」ですよね? 『わたし』を読む時にそこらへんの
ことを意識したりするのでしょうか?
いつも自分に呼びかけているのとはちがう「お客様言葉」みたいな感じがするのかなあと推測しますが‥。
ご存知かもしれませんが、東京及びその近郊に住んでいる女子小学生は、最近自分のことを「私」や「あたし」とは言わずに、「うち」って言うんです。それってなんだかなあと思っています。
(また別のところで、そのなんだか気分は書きたいと思います)
母は使いません。“私”です。私も“私”です。
「お客様言葉」かぁ。もしかしたら、そうかもしれませんね。
娘は友だちといる時には時々“うち”を使うそうです。
もうひとりの自分が自分を見ながらしゃべっているらしいですが…
「お客様言葉」は、私の場合『じごくのそうべい』を読んだりする時に、そう意識してしまうことがあります。言葉が身についていないというか、自分の口から出ているのに、なんか別の人がしゃべっているみたいな‥。まあ、私のは、ものすごくカチカチの関西言葉なんで、そう思ってしまうのかもしれませんが。(それでも、自分なりにニュアンスを出して?読んではいるのですが)
rucaさんが書いていらっしゃるのと違うとりかたをしてしまいました。
「わたし」「うち」という一人称のことに勝手に焦点を当ててました。
それなら、ほとんどの絵本を読む時、違和感を感じます。
読書会でもよくこの話題が出ます。せっかく良い本なのに関西弁では読みにくいねって。
わざと自分の言葉に置き換えてさらに混乱したりします。
大勢の子供達の前で読むときは、(できるだけ)標準語で!を
心がけますが、関西以外の方は聞いてておかしいと思われてるかも。
自分をいろいろな視点から見ると、呼び名が変わるのが面白いですね。
特に日本語では「わたし」だけでなく「あたし」「ウチ」「ぼく」「オレ」「ワシ」など様々な一人称の呼び名がありますね。
そんな言葉の広がりを教えてくれる絵本ですね。
遊びに来てくれてありがとうございます。嬉しいです。
『わたし』にコメント書いてくれたということは、ここまでさかのぼって見てくれたということでしょうか?
もしも、そうなら重ね重ね嬉しいです。
私も、いくつかのページで、京女。さんのお名前を見ていました。なので、早速遊びに行かせて頂きます。
よろしくお願いします。