今使ってるブログテンプレートについて、ちょっとだけ言い訳(?)。
私はいわゆる環境「保護」に興味があるわけじゃありません。
エコロジー(生態学)というのは、御承知のとおり「バランスの学問」であって、あらゆる構成要素は「遷移」するということがベースになっていて、特定の生物種や環境の維持を目的としたものでは全くないんですけど、なんか誤解されてることが多い気がしますね。何かがいなくなれば空いたニッチェ(場所とか栄養段階とかいろんな意味での「生息域」)を別のものが埋める。ある一つの変動で複数の生物種が巻き添えを食らう。二酸化炭素濃度が上がれば、植物の光合成効率が上がって生育速度が増し、二酸化炭素が固定されてそのぶん空気中から減る。生態学ってそういうもの。
あー、でも、別に環境保護運動を非難してるわけでもありません。「増えよう」とか「生き残ろう」とするのは生物の本質みたいなものですしね。ただそれが「地球のため」なんかじゃなく、「ヒト(自分たち)の生物的・社会的生活に適した環境を維持するため」のものだと認識した方が、営利社会の協力を得やすいんじゃないかなぁ?と思うわけです。
私はいわゆる環境「保護」に興味があるわけじゃありません。
エコロジー(生態学)というのは、御承知のとおり「バランスの学問」であって、あらゆる構成要素は「遷移」するということがベースになっていて、特定の生物種や環境の維持を目的としたものでは全くないんですけど、なんか誤解されてることが多い気がしますね。何かがいなくなれば空いたニッチェ(場所とか栄養段階とかいろんな意味での「生息域」)を別のものが埋める。ある一つの変動で複数の生物種が巻き添えを食らう。二酸化炭素濃度が上がれば、植物の光合成効率が上がって生育速度が増し、二酸化炭素が固定されてそのぶん空気中から減る。生態学ってそういうもの。
あー、でも、別に環境保護運動を非難してるわけでもありません。「増えよう」とか「生き残ろう」とするのは生物の本質みたいなものですしね。ただそれが「地球のため」なんかじゃなく、「ヒト(自分たち)の生物的・社会的生活に適した環境を維持するため」のものだと認識した方が、営利社会の協力を得やすいんじゃないかなぁ?と思うわけです。