50歳で始めた海外ひとり旅 と 自費出版

50歳にして「海外ひとり旅」の楽しさを知る。最近は野菜づくり、本づくりにも挑戦。

Loch Ness

2009年07月28日 23時06分55秒 | スコットランドへ
 1昨日から、Scotlandへ行ったときに日記風に書き綴った
メモ帳を探している。ひょっとして、このときは、手書きでは
なくて持っていったVAIO(win98モデルの今で言うところの
netPCみたいな手のひらサイズ)に書き込んでいたのかもと
思い、引っ張り出して電源を入れたら、なんと「operating System」が
見つからないというエラーが出て、ウンともスンとも言わない。
VAIO専用の起動DiskもリカバリーDiskも見当たらない。
通常のWin98のSystemDiskを使ってみるが、全然、受付ない。
いろいろやったが、結局ダメで、昨夜は1時頃に諦める。
 ところが、なぜか、さっき試しにと電源を入れたら立ち上がって
来た。なぜだ???
 だが、残念ながら、そこには、短いメモだけしか残って
いなかった。成田のホテルで風が強くて朝の3時に眼が覚めて
それから眠れずに、結局6時半にホテルを出て、空港に向かったこと。
7時に空港に着いたもののルフト・ハンザのカウンターも開いて
なくて(当然)、時間つぶしにVAIOを使ってWi-Fiを試したこと。
ただし通信は有料だとわかりガッカリしたことくらいしか
入力されていなかった。
帰ってきてから、わかったことだけど、net上で、そのときに
プロバイダに海外でのWi-Fiを使ったサービスの申し込みを
しておけば良かったのだった。1日単位で申し込みができる
ところもあるらしい。
 ということなので、きっと部屋のどこかに、その手書きのメモが
隠れているのだろう。でも、まあ、一応、まだ1年前のことなので
記憶を頼りに、書き連ねて行くことにします。

さて、InvernessのB&Bを出て、しばらく市街地を走り抜けると
Ness湖の遊覧船の乗り場などの標識が目につくようになる。
道路は国道A82だけしかないので、とてもわかり易い。
暫く走ると民家も無くなり、湖に沿った道だけになる。
15分走っても家の一軒もない。それに雨も降ってきて
道が濡れていく。
すれ違う車もあまりなく、この道が正しいのか、少し不安になる。
 その雨の道をリュックをしょった女の子を追い抜く。
もくもくと前のめりに歩く大学生くらいの女の子だった。
そういえば、アイルランドに行ったときも、ダブリンの街を
激しい雨の中、傘もささずに、もくもくとリュックをしょって
歩く学生さんを何人も見た。カナダの国旗のマークが入ったり
していて、これが、バック・パッカーと呼ばれる人達かと
思ったものだが、ここでも、そのような感じだった。
追い抜いたあとで、乗せてあげようかと思ったが、
本人たちにとって、どちらがいいのか、わからなかった。
私としては、話相手とナビゲーターになってくれるかもと
いう気がしたが、そのときは、既にバックミラーのはるか
彼方だった。
 それから15分ほど走ると、左側に展望所みたいな
場所があり、車が2-3台停まっていた。ここが
アンカート城かと思い停まる。そこに居た人に聞いたら
本人たちも詳しくなくて、「違うのじゃないか」と言う。
そこは、後でわかったが、Aldourle Castle跡だったようだ。
そして、また少々不安ながら暫く走ったら、これは間違い
ないという建物が目に入ってきた。
「Loch Ness Exhitition Centre」だ。車もかなり停まっている。
Exhitition Centre というほどのことはなくて、
短いビデオを流す観光案内所だった。もちろんネッシーに
まつわる逸話がいろいろ書いてあった。
そこを出て、10分少々で、めざす 廃墟の古城
「Urquhart Castle」に着いた。
上のパンフレットで見るよりも、もっと雰囲気のある
場所でした。ただし、入場料が必要で、意外に高い感じが
した。5£?。
城は、正に廃墟と化していたが、なかなかいい感じでした。
ここは、観光のコースらしくて、この旅で、初めて
日本のツアー客に遭遇しました。JTB。もろに中高年を
通りこして、高年の方々でした。一人の上品な男性が
話掛けてこられて、「自分は大して興味がなく、家内が
行こうというので、着いてきましたよ」と言って、苦笑い
してた。たぶん、こんな場所へ来るツアーというのは
料金も高いのだろうなあ、と思った次第。
 その人から、私のカメラで写真を撮ってもらったり
したはずなのに、そこを離れるときに、カメラを見たら
メモリが入ってなかった。なぜだか、いまでもわかり
ませんが、結果として、このときの記録は残っていません。
カメラを裸で持っていたので、何かのひょうしに落ちたのか。
それにしては、ちゃんと蓋は閉まっていたので不思議です。


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Around the Ness River

2009年07月27日 01時33分15秒 | スコットランドへ
このInvernessの中心を流れる Ness川は、まさに
街の中心的存在のようだ。
朝のRiver Side


Bz

このNess川沿いにあるB&Bは、Mr.Munroが全てを取り仕切って
いるようでした。朝食もなんと、自ら作ってくれていました。
特に印象に残ってはないので、特別なBreakfastでは
なかったかと思いますが、それなりにScotish Breakfast
だったように記憶しています。
客は、私以外に2組くらい居ました。
Ness川を窓の外に眺め、明るい食堂での朝食でした。
 この後、出立の準備をして、Mr.Munroに、ness湖方面へ
行くには、どう行けばいいのかと尋ねた。
彼は手作りのMAPをくれて、「15分もあれば着くよ」と
言った。ま、確かに後から思えば、慣れた人ならそうだろう。
ガンガン飛ばして行けば、20分で着いたかもしれない。
私の場合は、慣れない道でもあり、そんなに制限速度を
オーバーしてまで走ることはできないし、あいにく
途中から雨も降り出し、たぶん1時間くらいかかった
ように記憶している。

 
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ふと Linux など

2009年07月23日 22時52分47秒 | Diary
 1週間ほど前から、Linuxの再インストールなどやっています。
ほぼ20年ほど前からUnix系は遊んでいます。Minixとか FreeBSDとか。
私の場合、なぜかコンピュータに関しては、あまり深くのめり込むと
いうのがありませんでした。一般の人より早く興味を持ち、遊んだりは
するのですが。それなりにプログラミングなどもやりましたが、
あれは、すごく時間を食うので、他のことができなくなり、夜更かし
するしかなくなります。本を読むことも、音楽を聴くことも できなく
なります。それが仕事であれば、ちょっと違うのかも知れませんが。
おまけに、Windowsが登場して以来、とても個人でやれる世界では
なくなりましたし。
 と言いつつも、世の趨勢は知っておきたいので、ときたま
新しいVersionをインストールしたり、その手の雑誌を買ってきたりは
しています。
 で、最近 流行のUbuntuというOSをインストールしてみようと
思いたちました。それまで、入っていたのは Fedora Core5です。
何でも、最近のLinuxは、インストールが簡単と書いてあるので
SubのWindowsマシンにインストールすることにしました。
5-6年前のマシンです。HDDは120GBと160GBが積んであります。
160GBの方にinstallすることにして、作業開始。
Dual Bootとpartitioningのところで、ちょっとやり方が従来より
簡単すぎるというか、わかり難く思えました。
昔は、/ /var /swap /home /usr というように手作業で指定して
いたのに、全く変わっている。
なんとなく、こんなものだろうとやって、Goとしたら
最後にエラーが出た。
どうやら、Diskのpartition管理に矛盾が生じたらしい。
Windowsの管理ツールで調べると、とんでもないことになっていた。
なんと、160GBのHDDのareaの中に 2TBの領域が出来ている。
そして、それが、不連続な状態だ。
それをXPのDisk管理ツールで削除しようとするが、できなくて
エラーとなる。果てはHDDまで認識しなくなった。
ということで、久しぶりにPCと格闘しています。
アナライズするにも、formatするにも、サイズが100GBを
超えるとすごい時間がかかります。そして、あげくの果てに
エラーが返ってきます。
で、やっと何とかなりそうなToolを見つけました。
Open Source ware のTestDiskというtoolです。
昨夜、使ってみましたが、すごく強力です。DeleteしたHDDも
救いだしてくれるみたいです。
これのお陰でようやく 2TBと偽装していたHDDを元の160GBに
戻すことができました。

 この、作業の待ち時間が長いので、買ってきたばかりの
村上春樹著 「1Q84」を読むことに取り掛かれました。
まだ100Pageほどしか読んでいませんが、惹きつけられます。
彼は、知る人ぞ知る、オーディオ・フリークで、その片鱗が
冒頭から出て来ますね。おまけに チェコ・スロバキアの
歴史が出てきたりしたもので、ビックリです。
つい先日、私はプラハに行ってきたばかりです。
ヤナーチェックという名前は聞いた気がしますが、
「シンフォニエッタ」という曲名は知りませんでした。

ということで、今週中には、Linuxが起動にのるようにしたいと
思っています。

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Invernessの街

2009年07月20日 00時08分25秒 | スコットランドへ
3日目の宿をInvernessと決めたのは、Highlandから一気に
Skye島まで行くのには、無理があると思ったからだ。
Invernessの町はネス川が流れ、その上流は、かのネス湖だ。
特に、ネッシーに興味がある訳ではなく、湖に突き出した
場所には廃墟の城、アーカート城があり、きれいな場所
だとガイドブックにあったからだ。

 さて、Invernessの町へは、すぐに入れたものの、そこが
地図上のどこに位置するのかがなかなかわからなかった。
概して欧米の地図は、建物を目印に作られてない。
道、StreetやAvenueが記載されているのが普通だ。
建物の角に書いてある通りの名を、理解しないと
自分がどこに居るのかも分からない。
そう大きくもない市街地を、暫く走り、どうも自力では
時間がかかりそうなので、車を停めて、通行人の人に
聞くことにした。宿のある場所までかなり近いところに
居るらしい。教えられたように、まず川沿いの道へと
出る。そして、しばらく走り右手に見える橋を渡る。
が、それらしき建物は見当たらない。
今から思うと、事前にnetで調べたその宿の写真が頭に
こびりついていたせいだ。その写真からすると宿のある
建物は、いかにも広い道路に面しているかのように見える。
でも、実際は川に面した建物だった。



写真の右から2番目の2階部分がそうだ。建物の前の道は通行止めに
なっていた。仕方がないので、裏側に回り、公園の近く
あった有料駐車場に停める。どうやら駐車場はないような
感じだったので、夜間駐車の料金を払っておいた。
その Castle View Guesthouse というB&Bは、昔は金持ちの
所有していた建物のようだった。1階が店になっていて
2階へ通じる手前にドアがあり、宿泊客に渡される鍵で
ないと開けることができない。
ドアの横にブザーのスイッチがあり、宿泊希望者は
押すことと書いてある。押してみたが応答なし。
何となくそんな感じがする雰囲気だった。暫くして
もう一度押してみた。すると男性の声があり、「予約した
***だ」と告げると、「ドアを開けて、2階へ来るように」
とのこと。ノブを捻ると開いた。
 古めかしいが、年季の入った階段を上がる。
出てきたMunro氏は思っていたよりも年配の
人だった。なんとなくHPからして中年くらいかと思っていた。
 物腰の柔らかい紳士(というか執事のような人)だった。
ひょっとしたらオーナは別に居て、運用だけ任されている
のかも知れない。
食堂の場所と、時間を聞き、部屋の鍵をもらう。
部屋は日本のビジネスホテルのシングルの部屋くらい。
部屋の隅に小さな流しと、後から付け足したシャワールームが
ある。トイレはない。トイレは部屋を出て、向かいに
あるという。あとでそのトイレへ行ってみたら、なんと
立派な本格的なバスルームだった。広いバスタブに、
洗面台があり、この建物がもともとアパートではなく、
個人所有の建物だったことが分かった。

B&B Castle View GuesthouseのHP

さて、Invernessの町は、写真のように小じんまりと
したものだ。街中へ夕食の調達を兼ねて外へ出てみる。
外へ出て、右手へと川沿いに歩く。100mくらいの
ところが、車を停めた駐車場だ。そのまま川上へ
向かって歩く。どうやら夕方の散歩道らしい。先の方は
公園があるようだ。
川の向かい側は、HOTELやレストランが軒を連ねている
感じだ。なかなかいい雰囲気のところで、何枚か
写真も撮ったはずなのに、なぜかそのメモリが翌日、
無くなった。気がついたのはアーカート城を去るとき
だった。ということでこの町の写真は一部だけという
ことになってしまった。
 その後、橋を渡り町の中心部へと向かう。
橋を渡るとすぐ右手にInformation Centreがあったので、
入ってみる。これ位の町の規模でも、ちゃんとした
Informationの資料が揃っていて、宿の紹介なども
している。

思うのだけど、西欧諸国(と言ってもそう感じたのは、
Scotland、前年に行ったP.E.Iとその前の年に行った
Ireland、10年ほど前に行ったLiverpoolだけに限られて
いるのだが)は、地図上に i のマークがあるところが
Information Centreとなっている。
そして、ちゃんと日本語を含め4ケ国くらいのパンフレットが
配備されている。
これに比べて日本はどうだろう。海外から来た人たちが
利用しているガイドブックには、ちゃんと iマークで
示されたInformation Centreが記載されていて資料も
主要言語で準備されているのだろうか。
 
数組の人達が宿の紹介を受けているようだった。
その中に、中国人らしき若いカップルが居た。
本当に、最近は、どこに行っても中国人の若いカップルを見る。
こういう地味な地域だと、都会で見る中国人の若いカップルと
違って上品だ。
次は、すぐ近くに位置しているInverness城へと向かってみる。
城は、どこまでがオリジナルなのか、わからなかった。




学生さんが、芝生に寝転んだり、ボールを追いかけたりして
のどかに楽しんでいた。
 そのあと、町の中心部へと向かう。歩行者天国の通りを
見て歩く。実は、Edinburghに着いたときから少々、寒さを
感じていた。持ってきたwind breakerよりも、もう少し
防寒性の高いのがあってもいいかなと思っていた。
それで、それらしき店を覗いてみた。
こちらでは、もう寒い季節は終わったようで、どこでも
Discount Saleをやっている。有名ブランドものが半額だ。
North****も40%引きくらいだ。思わず手が伸びそうになった。
だが、日本では、こんなにもろに防寒着を着ることはないので
思い止まった。暫く街並みを眺めながら歩いた。
目的は、super marketで、夕食を調達することだ。
 Marks&Spenserがあった。ビールとチキンロールを買う。
通りには、仕事を終えた人たちが、買い物をしたり
ベンチに腰掛けたりしている。静かな町だ。






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Invernessへ向かう途中で

2009年07月14日 22時55分38秒 | スコットランドへ

今から思うと、Scotlandの旅の起点は、Invernessが便利だったようだ。
Edinburghをスタートの地にする理由があるとすればレンタカーを
借りるのが便利だったことくらいだ。そういうことも、行ってみて
初めてわかることであって日本に居てはわからないことではある。
 で、航空券を手配したあとに買った本で
「インヴァネスのB&Bから"スコットランドふらふら紀行"」(石井理恵子 著)
がある。これは、Scotland北部に興味がある人には絶好のガイドブックだ。
私も、この本を読んでいたら、違うプランを立てたことだろう。
なんでも「マイケルさんと あやこさん」が経営する”あじさい”という
B&Bがあるそうだ。そこをベースキャンプにして、西は、アイラ島、スカイ島、
北のへ行けば マル島、アイオナ島などアイルランドの西のはずれの
島に似た魅力的な島々が沢山ある。
ただし、わずか1週間くらいの滞在では、とても巡りきれないけど。

 さて、High Land地方を後にして、一路 国道A9をInvernessへ向けて
ただただ走る。途中、少し町らしき場所を通ったが、本当に
写真のように、何もない。前年に訪ねたPrince Edward島も
場所によっては何もないのだけども、小さな島だけに、延々と
何もない訳ではなく、何もない中に思わず車を停めたくなるような
風景があった。でも、こちらは、本当にどんよりとした雲が立ち込めた
典型的な北イングランドだと知らされる。
 走った時間からすると あと1時間ほどでInvernessだろうと
おぼしき道端に車と停めて、その殺風景な場面を撮ってみました。



この時、現地時間は写真のタイムスタンプからすると13時30分の
ようです。
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Aberlourへ戻る

2009年07月12日 22時49分55秒 | スコットランドへ
蒸留所を出て、国道B9102を戻り、A95へと出る。
Aberlourは、15分ほどだ。この日は、もう何もすることは
なくて、夕方までに宿であるInvernessに着けばいいだけだった。
Aberlourは小さな町だ。小さな店が数軒と小学校、レストランが
2-3軒あるだけだ。公営の駐車場があるようなので、とりあえず
そこへ向かう。駐車場はかなり広く、数台の車が停まっている
だけだった。左手には、馬が数頭放し飼いされていた。
川が流れているようなので、そちらへ行ってみることにする。
前日は、よくAberlourの地理的な位置がわからなかったが、
SPEY川の下流にあたるようだ。ということで、川へと向かう。
小さな鉄橋がかかっていた。静かだ。でも、なぜか川は右手へと
流れて行く。Craigellachie(クライガラヒ)の方が、北にあるので
てっきりAberlourは川下だと思っていたのだけども。

Craigellachie(クライガラヒ)のSPEY川は、川底も浅く
流れも速かったが、ここでは流れも緩くなり、川幅も広い。
やっぱり川面は、黒く見える。でも、川底まで透けてみえる
ので、水自体は澄んでいるんだ。
 左手の遠くを眺めると、うっそうとした丘になっていて
なかなかさまになっている。釣り人もいて、たしかに
サーモンが釣れそうだ。



このあと、昼食にいつもよく買う、ローストビーフと野菜をクレープみたいな
もので、巻いたのと、ジュースを買って Invernessへと向かうことにした。

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Fine Oak で 乾杯

2009年07月09日 23時22分00秒 | スコットランドへ
樽は、基本となるのが4種類くらいあるそうで、バーボン樽、シェリー樽、Oak樽、
White Oak樽だったと思う。で、その樽の見本のひとつがこれです。

沢山の樽が眠る貯蔵庫の前に置かれた、樽の見本。ここは写真を撮っても
いいそうだ。



そして、檻の中で眠る沢山の樽たち。



一つひとつの樽には、管理用のバーコード入りのカードが貼られている。



ということで、ここで見学ツアーは終了。
Shopへと戻った。その間、約1時間ほど。

他には来客はなく、ここで初めて3人が自己紹介をした。
年配の人とスキンヘッド(?)の彼は、同じ車で来たくらい
だから、身近な関係の人なのだろう。義理の親子だろうか。
そこまでは尋ねなかった。私が"I'm from japan .."と言いかけたら
年配の彼が、「そんなことは分かっているよ。私の娘は
日本人と結婚して、大阪に住んでいるんだ」と言い、隣の彼は
"I saw you at Scotch Bar last night." と言った。
そうか、彼らは昨夜、あのHotelのBarに居たんだ。こちらは
気がつかなくても、私はきっと目立ったに違いない。
ということで、試飲のFine Oak 7年ものがサービスされて
3人で乾杯をした。




 瞬間、「ウム。。。飲酒運転になるのでは ?!」と
思ったが、ここは異国の地、飲酒運転という概念は、
きっと日本とは違うはずだ、と自分を納得させて
ありがたくいただいた(とは言え、ちゃんと見学料に
含まれているのだろうけど)。
確か、見学料金は7£だったと思う。
職場の友人にと、お土産に Fine Oak 7年もののミニボトルを
買った。
7年以下のは、5£、7年ものが 7£、Fine Oakが10£
だったような、、、、。
ほんの30ccくらいの小さなボトルでした。
 ということで、久しぶりに、American English を聴いて
懐かしかった。やっぱり British アクセントよりも
私にはAmerican アクセントの方が聴き取り易くて
ほっとした。

ここ、Macallanの蒸留所を訪れるのは、今回の旅の目的の
一つでした。実は、もっとわかり難い場所なのかと思って
いたのに、泊まったB&Bからこんなに近いとは思っても
みませんでした。この近くには、樽を加工する工場も
あるのですが、この日のうちに次の宿泊地である
Inverness に辿り着かなくてはならないので、残念ながら
出発することにしました。ただ、この場所が田舎で
あるだけに、この後も似たような状況で、昼食を取る
ようなレストランやShop、コンビニはないだろうと
思い、手前の町 Aberlour へ戻って、飲み物と
サンドイッチみたいな物を調達することにした。


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蒸留所の中へ

2009年07月09日 00時43分47秒 | スコットランドへ
 蒸留所の手前付近に来客用と思われる駐車場があった。
さっき追い越して行ったベンツが停まっていた。
車を降りて少し進むと左手に Shopらしき建物が見えたので
行く。黒いスーツを着た受付の男性が、「見学なら、もう少し待て」と
言う。ほどなく時間が来た、私の他に米国人らしき二人の男性が居て
私を含めて3人が見学ツアーに参加ということみたいだ。
ちょっと恰幅のいい女性が案内してくれるという。
Shopを出て、蒸留所内を進む。建物の概観はカメラで撮って
いいというので、まづ一枚。

<< 建物の一部  >>



で、実際の蒸留工程に沿って、内部を案内してくれた。
水と麦を混ぜて攪拌するポット、その小窓みたいなところから
内部を見せてくれたり、臭いをかがせてくれたりと。
で、米国の二人は、テキサスから来たらしく、それも、
同業者みたいで、かなり専門的なことを質問していた
ようだった。バーボン造りに関わっている人のようだった。
第1段階、第2段階と工程に合わせて、建物も移動した。
最後に、いろんな樽の材料が展示してあるスペースへ
案内されて、樽の種類で、たくさんの香りが在ることを
教えてもらった。実際に香りを嗅ぐと、チョコレートの
香りがしたり、色んな香りがあることを知った。
バーボンウィスキー用(使用済みを含め)の樽も使うこと、
フランスのワイン用の樽も使うのだということを
初めて知った。

<< Macallan のエンブレムが飾られた建物 >>
Scotlandの王様の旗印みたいだ。


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Macllanの工場へ

2009年07月08日 00時37分01秒 | スコットランドへ
 Macallanの蒸留所を見学するには、急がなくてはならない。彼女が場所はすぐにわかると教えてくれる。「国道へ出て、橋を渡り真っ直ぐに進み左へ急角度で左へ曲がる道に入れば、あとは、真っ直ぐだ。30分で着く」ということなので、出発した。なるほど暫く走るとそれらしき、左折した上り坂の道がある。のんびり走る私の車の横をベンツが追い抜いていった。なんとなく、行き先が間違ってない気がした。しばらくすると、山道が開けて、見通しの良い高台に達した。何となく雑誌で紹介されていた蒸留所周辺の風景みたいだ。




蒸留所を示す表示も見えた。右手には、蒸留所の増築をしている工事現場も見えた。  
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MaCALLAN蒸留所へ

2009年07月06日 23時52分09秒 | スコットランドへ
中欧旅行については、まだ印象がバラバラというか、今までの旅のなかで
一番、範囲が広く、かつあまり思い入れもなかったせいか、Topic的には
いくつか珍しいことや、初めて体験したこともあるけど、時系列に
書いてもおもしろくなさそうだ。

 ということもあり、再度、Scotlandの方に戻ってみようと思う。

さてこのSpeyside地方を目的地に選んだのは、当初は、もっと西に
位置するアラン諸島の中にある、アイラ島へ行きたかったのだけど
宿が取れずに、もう一方のScotch Whiskeyの産地であるHighland地方
へ行きたいと思ったのだった。そして日本でもよく知られた
MaCALLANの蒸留所を選んだ訳だ。

ということで、MaCALLAN蒸留所のビデオDATAとかを探したが
どうも、このときのVIDEO TAPEは整理できてなくて、PCに取り込んで
ないようだ。どうやらこの辺り作業から始めなくてはならないようだ。

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