50歳で始めた海外ひとり旅 と 自費出版

50歳にして「海外ひとり旅」の楽しさを知る。最近は野菜づくり、本づくりにも挑戦。

旅の計画 (フランス行き)

2011年04月25日 00時30分31秒 | Diary
さて、7月末で辞職する旨を会社へ伝えて1ヶ月ほどが過ぎた。
予想外なことに、早々と後任が来てしまった。
その人にとっても、急なことだったらしい。家庭の事情と
いうことらしいが、うまくタイミングが合ったようだ。
 ということで、同僚に負担をかけることなく辞められる。
6月末まで仕事をする予定だったが、少しばかり早く
休みに入ることにした。貯まった休暇があるので、7月中旬くらい
まで在籍することとして、逆算すると、5月の中旬から休むことが
できる。
 
退職したら、することは、まづ途絶えていた旅行へ行くこと。
これは、退職を考えたときから決めていた。自転車で近場から
初めて少し遠くまで、行くことも考えたが、最近、あまり
乗ってないので、これは先に延ばすことにした。
 昨年の手術以来、どうも自転車の前傾姿勢が背中に
良くないみたいなのだ。
 ロードバイクの場合、前傾姿勢をとるからといって、上半身を
ハンドルに全て預けている訳ではなくて、手を軽くハンドルに
乗せている程度で、背中の筋力で支えているという感じが
良いのだ。その筋力がないので、どうも良くないみたいだ。

それで、まづは、2年ぶりに海外へ行くことにした。
当初は、英国の南西部とか、西部のコッツウォルズや湖水地方など
風光明媚な場所へ、カミさん孝行も兼ねて行こうかと思っていた。
 が、どうもそのカミさんは、あまり乗り気ではなさそうだった。
彼女の口からは、「スイス」という地名が出た。
でも、ツアーは、どうも高いらしい。それに私がツアーには興味が
ないことも知っている。私は、北欧でもいいかなと内心思っていたが
、二人の接点を探した。
 で、ふと6月の全仏オープンテニスのことが頭に浮かんだ。
「フランスはパリはどうだろう」と持ちかけたら、意外にも
乗ってきた。彼女は、随分前に、パリへは行っていた。
 が、じっくりとパリを中心にフランスに滞在するという案に
乗ってきた。ということで、ツアーではなくて個人旅行という
スタイルで行くことで合意した。
 あとは、私の仕事だ。まずは、航空券の手配。円高のせいか
簡単に見つかった。パリ往復で 10万円チョットだった。
「燃料代が含まれていないのじゃないの?」という指摘も
あったが、どうも含まれているみたいだ。
 と、まづは、大事な部分は無事に押さえることができた。
国内の移動は、還暦祝いということで、国内旅行用のticketを
もらっていたので、それを使うことにした。
parisの滞在は6日間で、約12万円。上の娘いわく、pari市の
中心部の一番、いいロケーションだから、安い方だとのこと。
確かに一人あたりだと16万円なので、なかなかの感じだ。
一人旅だと、これが22万円になってしまう。
あと二日は、pari市を離れた田舎へ行ったらどうかという
娘や、pari市に棲んでいる娘の知人の薦めもあり、ブルターニュ地方を
訪ねてみようかと思案中だ。

フランス語も少しは、わかるに越したことはなかろうとばかり
3冊ほど、「初歩のフランス語」の類や、「指差しフランス語」みたいな
のまで買ってきた。が、いやはやフランス語は、英語以上にわからない。
名詞は、英語の下地になった言語なので、なんとなく雰囲気が似ているが
発音は、とんとわからない。Rの発音は、全然、聴きとれない。
ということだが、出発まで、1ヶ月を切ってしまった。




近況

2011年04月19日 00時08分54秒 | Diary
 前回、書いた日があの東日本大地震だったとは、、、。
あのような悲惨な状況をTVで目の当たりにするのは、9.11テロ以来だ。
あのときも、最初は何が起きているのかわからなかった。
飛行機がビルに突っ込む映像をただ見ていただけだった。
暫くして、電話がかかってきた。それは、Washington D.C.から
だった。下の娘の知人からだった。娘はその3ヶ月前に我が家に
帰ってきていた。娘が通っていた大学へは、ペンタゴン駅を
経由して行っていたそうだ。
その後、娘は、タイの観光地、プーケット島のホテルで
働くことになるのだけど、そこを辞めて、Bangkokへ移り棲んだ
あとに、あの津波が島を襲った。
 運がいいのかも知れない。そんなことを思った。

同じように、東北を襲った地震の様子を会社のTVにかじりついて
観ていたら、携帯が鳴った。東京の娘からだった。
揺れがひどくて、近くの学校へ避難したとのことだった。
そして、その後も続く余震が怖いと、生後7ヶ月の娘と一緒に
地震発生の数日後に我が家へと非難して来た。
とんでもないことになったものだ。
 それから、既に1ヶ月以上が過ぎたが、未だに彼女等は
我が家に居る。
地震による原発の事故による放射能拡散の影響が怖いと
まだ暫くは、ここに留まることに。

地震、津波は、自然の猛威に対して、人間がどうすることも
できない面があるが、この原発の事故については、人間の
過ちだと思う。
 人類が 火を手に入れたことにも、マイナスの面はあったが
それは、なんとか制御とまでは、行かなくても 水というもので
ある程度は制圧できてきたと思う。
 が、核分裂というのは、自然界においては、自然に存在する
現象ではない(と、私は認識している)。
人が、意図して、ウラニウムを圧縮し、濃度を上げ、爆弾に
したりしてきた。ゆるやかな核分裂を実現できたかに見えたが
それは、人の思い上がりだったようだ。
核分裂の後に出来る、プルトニウムは、人類の手には負えない
代物だった。それが解っていながら、彼是 30年以上が過ぎた。
 昔、佐賀の玄海原発が臨界実験を行うということで、その反対
運動で、原発の周りで雨の中を座り込んだ夜のことを思い出した。

つい、この間まで、電力会社は、「電気のない生活など考え
られませんよね」と名の知れた俳優に言わせていた。
原発の廃棄物を地中深く(と言ってもたかだか3-4百m)に
埋める計画をCMで流していた。
 この地震の多い国で、地中に埋めて、どうなるのか。
漏れたら地下水が汚染されて、とんでもないことになるのが
わからないはずはない。

東北で飛散した放射性物質が大気を伝わり 東京の水を汚染した。
ここ、熊本は、中国大陸の黄沙が風に乗り飛んでくる。
風向き次第では、福島からここまで飛んでくるのは 非現実的な
ことではないように思う。
 現に他国の人は、日本全土が汚染されるだろうと思っているようだ。

識者は、その量は、僅かなものだと言う。自然界に存在する放射線の
レベルよりも低いと。
確かに、大気を突き抜けて飛んでくる放射線を人は皆、浴びている。
大地に存在する放射性物質からの弱い放射線も浴びているだろう。
 だからと言って、それと同等か、それ以下の量であっても、
今、以上に浴びても いいはずがない。自然界の放射線でガンに
なった人が居たとして、弱いながらも放射線が倍になれば ガンの
発生率は増えるのでは、ないだろうか。

わずかだとは言え、数万年に亘って続いてきた自然界の均衡が破れるのでは
ないのか。

とは言え、こういう日本を容認してきたのは、私を含む日本人だ。

そういう日本人とは、いったい 何なのだろう。