50歳で始めた海外ひとり旅 と 自費出版

50歳にして「海外ひとり旅」の楽しさを知る。最近は野菜づくり、本づくりにも挑戦。

ドナウ川

2009年06月29日 00時25分17秒 | 中央ヨーロッパへ
 とにかく今回の旅は、チェコのPRAHAへ行くのが主目的だったので、
それなりに昔から、2-3冊くらいはチェコに関する本を読んで
いたのだけど、他の国については、殆ど知らなかった。

この有名なドナウ川が、どこを発祥の地として、どこへ流れ
つくのかさえも。ましてや、Budapestの街を流れているのが
ドナウ川とは着くまで知りませんでした。

この街は「ドナウの薔薇」と呼ばれ、夜景は「ドナウの真珠」と
呼ばれていることさえも、全く知りませんでした。
というか、行くまでは、全然興味もありませんでした。
 でも、昼食で飲んだビールは、うまいし、なんでも
ワインはトカイワイン(貴腐ワイン...何か文字がunmatchな
気がします)が、世界的にも有名だとかで、ほんの二口分
ほど注文し、飲んでみましたが、「おいしい!!」。
本当に世の中のことを知らなかったと実感。
 なぜか、このとき、これは、やっぱりワインを飲みに
ボルドーやブルターニュへ行かなければと思ったのでした。
 本当に、この夜景は素晴らしかった。
残念なことに、夜のクルージングは雨で、船室からの
写真しか撮れずに、とても残念でした。
 そういえば、成田から乗った飛行機で隣席にいた
おばさん(失礼)は、ハンガリーだけ10日間の
ツアーに参加すると言っておられました。
そのときは、ご主人が亡くなって(それ位の年齢でした)、
あちこち旅行されている感じのおばさんでした
(どうしてもご婦人という感じではなかったもので
スミマセン)。
 というくらい、旅慣れた人からすると、Europeの
中では、意外に穴場な国なのかも知れません。
 確かに、私も、Viennaに3泊もする必要性は
全く感じませんでした。classical musicが好きな人には
良かったかも知れません。が、自由時間はほんの
半日でした。今回のツアー唯一、一人で参加されていた
おじさん(失礼、でも見かけはまさにその通り)、
でも東北大学を出られているようで、classical musicが好きな人
でした。小澤 征爾さんの演奏があるというので、
予約をしたとか、しようとして小澤氏が体調を崩し
中止になったと言っておられました。
 それで、最終日には、シュツゥットガルトへ行くと
言ってツアーから離脱されました。

Europeの歴史は、深いです。今回、よく解りました。



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IN PRAHA

2009年06月26日 00時39分14秒 | 中央ヨーロッパへ
やっと時差ボケが少し収まったので とりあえず
今回の旅のハイライト チェコのカレル橋からの
一応BESTと思えるショットです。
 今回の旅を 一言でいうとすれば、「疲れる 修学旅行」
でしょうか。
最初に着いた オーストリアのウィーンで一泊
budapestで一泊
Prahaで 2泊
そして最後に再度 Vienna で2泊
計6泊で 4ケ国を回ったことになります。
いろいろ感じることはありましたが、終わってみれば
駆け足で 中央ヨーロッパを体験したということでしょうか。
追々、書いていきます。
それにしても、昨年のScotlandがまだ 道半ばという
ところなので、またも、1年を費やすのかも知れません。
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東欧へ

2009年06月12日 01時20分27秒 | 中央ヨーロッパへ
 明後日、オーストリア、チェコ、ハンガリーを巡るという
tourに参加するために、東京へ向かいます。
ちゃんとしたパッケージtourを利用するのは、今回が
初めてです。実に安直なものです。というか、そうならざるを
得ないですね。出発前の一週間前に、泊まるhotelがわかるの
だから、事前に行きたいところのことをいろいろ調べる
なんてことができない。これが自分で計画しての旅だと
まづ、行きたいところを決めて、泊まる場所を探すという
手順になるのだが。おまけに行き先の情報がnetで調べると
英語以外の言語なので、簡単にいかない。
にわか仕込でドイツ語の教則本を買ってきてみたものの
とうてい間に合うはずがない。
ドイツ語は英語の親戚らしいので、語順はなんとなく似ているが
チェコ語に至っては、全然、違う。スラブ系らしいので
ロシア語圏みたいだ。昔、ほんの少しだけロシア語を習った
ことがあるけども、もう少し真面目にやっておけば良かった。
 と少々、愚痴りながらも、初めての東欧なので、
楽しみではある。
それに、10年ほど前に我が家にhome Stayしたチェコ人で
EVAという女の子(私の下の娘がWashingtonD.C.に居たときの
room mateだった)のお兄さんが、プラハを案内してくれる
とのことなので楽しみだ。
ただし、EVA本人はトルコで結婚して、今は、そこに住んでいる。
ということで、tourという旅の形式には、少々不満があるけども
初めて英語圏以外の国へ行くので、楽しみではある。


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Salmonlの朝食

2009年06月06日 01時20分04秒 | スコットランドへ
たぶん、10時頃にhotelを出たと思う。が、周りは
その時間にしては、真っ暗という程ではなく、
ちゃんと宿へ帰り着く。
部屋で無線LANが使えるということだったので、
Win98版のVAIOを使ってアクセスを試みる。
電波は捕らえでいるのだけど、繋がらない。
SSIDが間違っているのか、認証方法が合って
ないのだろう。日本を出るときに 新たに
Wi-Fi対応のカードを買ってきたのだが。
Frankfultの空港では、電波をちゃんと捕まえ
Login画面までは辿りつけたので、Cardについては
問題ないはずだが、なぜか繋がらなかった。
まあ、それほど、重要なことではないので、
あっさりと諦めて、寝る。思えば長い一日だった。

翌朝、起きて一階の食堂へと降りて行く。
客は私だけではないはずだけども、他には
誰も居ない。奥さんが出てきてmenuを見せる。
朝食は2種類しかなくて、Scotish Breakfastと
Salmonを主としたものだ。
 Scotish Breakfastは、前日、Edingburghで
食べたので、だいたいどんなものか分かって
いたので、Salmonの方を頼んだ。
 が、彼女が、Salmonでいいか? と確認した
のが、実はちょっと気になった。
 その理由はすぐに分かった。
私としては、例えばソーセージの代わりにSalmonが
出てくるくらいに考えていた。
 が、出て来たのは、もろに Smoked Salmon が
皿に盛られたものだった。写真に撮っておけば
良かったのだが、残念ながらカメラ(も携帯も)
持ってなかった。
 白い30cmもある皿に、Salmonだけ盛ってある。
日本のスーパーで買う、 パックされたSalmonの袋だと
4-5袋分くらいの量だ。
Cooffee と Salada とそれだけだった。
 ちょっとだけ、引いたけども、今更、変更なんて
ことはできないと思い、食べることにした。
確かにSpey川は、Salmonの産地なので、地元の
特産品なのだ。
ということもあり、何とか食べきった。
食後、これからどうするのかという話になり、
「この辺りには、蒸留所が沢山ある思うので、
どこかへ行きたい」というと
「それならば、一旦、Aberlourへ戻り、そこから
蒸留所巡りのtourが出ているので、それに申し込む
のがいい」と言う。「だけども、受付は午前10時
くらいまでなので、急がないと間に合わない」と
言う。そして「もし、そのtourに間に合わなくても
直接、蒸留所へ行けばいい」と教えてくれた。
更に、「ここから一番近いのは、「McCLELLAND」の
蒸留所だとのこと。私もそれは知っていた。
 が、本当に近くらしい。
ということで、急いで出ることにした。
でも、時間があれば、もっとのんびりとしたい
場所だった。

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dinner その2

2009年06月01日 00時55分32秒 | スコットランドへ
さて、日本に帰ってきてからわかった、その有名なBar
だけども。
よくガイドブックなどに書いてあるように
Localな人達が集っているとは思えなかった。
皆さん、全てが上着を着ている訳でもないけど
上品な感じだ。私の席の右手をみると、ソファが対向で
置いてあり、その真ん中にLow Tableがあると
いう日本でも見かける図だ。遅れて入って来た人と
談笑が始まった。耳を澄ますが、聴き取れない。
それにとても、近くに居る人に話しかけるような
雰囲気でもない。とは言え、何となく、皆さんの
視線は感じられて緊張していた。
 しばらくして、ビールが出てきたので
静かにそれを飲んでいた。
20分くらい、いや30分は過ぎていたのだろうか、
Managerの Elaine Fyffe女史が現れて、
「お待たせしました。あなたの席が準備できたので
こちらへどうぞ」と言う。
ここで、私にも、このBarはWating Barでもあったことが
解った。もう夕暮れを過ぎ、窓の外は暗くなり始めて
いた。案内されたのは、私が、最初に入ろうとしたが
閉まっていたドアがあるレストランだった。
5-6組くらいの客が居た。私は、一人旅のときは
こういうちゃんとした、ドレスコードがあるような
レストランに入ったことがない。
前の年にPEIへ行ったときは、仕方なくレストランに入ったが
そこは、もっと庶民的で、ざわざわして、学生さん
とかも来るような、日本の洋風居酒屋みたいな
ところだった。
 要するに、ちゃんとしたレストランは、一人で行くところ
ではない、と思う(当たり前か)。
でも、今回の場合は仕方がない。
 音楽も流れていない(たぶん)、静かで、Tableの
上には、Candleが置かれ、全体も暗すぎない程度の
照明だけだ。
 Manager氏は、直ぐに去り、暫くしてウェイトレスが
メニューを持って来た。前菜、パンは決まっているので
main dishを決めなくてはならない。
いやーー 実は、私はこれが大の苦手だ。
でも、品数は3つ程しかない。
なんとなくこの地方は、Salmonの産地だというのは
記憶していたので、Beef料理ではなく、Salmonということで
SalmonのSteakだったか、Grillだったか、どちらか
忘れたけど、頼んだ。どう違うのかは ???だったけど。
味は、全然、覚えていない。「うまい!!」という記憶も
ない。一人旅のつらいところだ。話相手が居ない
「ちょっとしたレストランでの食事」というのは、
最悪かも。
 beerを2杯くらいお替りして、4-50分くらいは
居ただろうか。少し酔いが回ったところで、退散した。
ちなみに、お値段は、日本円で6,000円くらいだったと
思います。
Nice Middleの人達には、お薦めです。


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