50歳で始めた海外ひとり旅 と 自費出版

50歳にして「海外ひとり旅」の楽しさを知る。最近は野菜づくり、本づくりにも挑戦。

孤高の山 Matterhorn

2013年06月28日 23時05分09秒 | スイスへ2013年


今回の旅の目的は、これに尽きるかな。




孤高の山と呼ばれるにふさわしい。Matterhorn 4,478mだ。

これは、Gornergrat展望台からの眺めだ。
Matterhornに一番近い展望台は他にもあるが、初・中級者向けのハイキングコースが準備されている。
まともなハイキングは初めてというカミさんにはふさわしいと思ったが、予想以上にみごとな
眺めだった。前日の雨が嘘のように晴れ上がり雲ひとつかかってない状態が見れるのは珍しいらしい。
夏のピーク時には、人で溢れかえるのが、唯一の欠点といわれているそうだが、少し、タイミングが
早かったせいか、展望台のテラスのテーブルに座る人は、わずか数人という状況だった。

この山を、こんなに理想的な状態で見れたので、旅の出だしのアクシデントも帳消しだ。

この後の、ちょっとしんどかった山下りのハイキングにはついては、後日書くことにしよう。
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旅も終了

2013年06月27日 18時32分44秒 | スイスへ2013年
今回の旅も終了です。
いま、羽田空港の出発口です。二日前に成田に着き、東京に二泊しました。
スイスのアルプスからVeveyの街へ来た時も、結構、街中ヘ戻って来た感じがしましたが
Bern や Zurich に比べても 東京は とてつも無く大きな都市だというのを 痛感します。
渋谷ヘ行ってみましたがこれほど建物が密集し人が溢れるかえる都市が 西欧諸国に
あるだろうかと思ってしまいます。
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ゴルナークラート

2013年06月21日 22時22分03秒 | Gardening
Grindelwaldには何事も無く到着。今回は手軽にゴンドラに乗ってFirstの展望台へ行った。
帰りは途中下車して1時間半ほど歩いて町まで下りた。
翌日は、お決まりの Jungfrauyoch へ登山鉄道で登る。今回は登山口につながる
出口を出て雪山登山をする一行のあとを200mほど追いかけてみた。さすがに
雪山用の靴ではないので着いては行けなかった。ま、それは無謀なことだった。
肝心のJungfrauyochは霧に包まれてはいたが、しばらく待っていたらだいぶん晴れて
山頂もみることができた。
昨日、ここZermattへと移動してきた。が、残念ながら雨模様。2時を過ぎた頃に雨が上がったので
三分で行けるというスネガパラダイス展望台へ行った。予想通りというか、
それ以上に最悪の気象条件だった。
展望台のテラスに置かれたプラスティックの椅子が風で飛ばされたりする状態だったhorn。
多分Matterhornとおもわれる山の稜線が見えているのだが、その上部が雲に隠れて
見えない。1時間ほどレストランの中で待って見たが晴れる見込みがなく下山した。
で今朝は何とLucky なことに快晴だ。スネガパラダイス展望台よりもMatterhornが
目の前に観れるというゴルナークラート展望台へ行くことにした。
登山鉄道の料金も往復で8千円を超えるがここは、仕方がない。今回の旅の目玉なので。
走り始めて10分もしないうちにMattehornが目の前に現れた。乗客は一斉にカメラを向ける。
今日は良い一日になりそうだった。
ゴルナークラート展望台周辺の雪は凍りついていて少し上のホテルのテラスのある場所
へ行く道はアイスバーンみたいだった。
十分に眺めたあとは、せっかくなのでと、途中の駅で降りて二駅分くらいの距離を
歩いて見た。約3時間のハイキングだ。Zermattの町までは更に2時間程かかるので
途中から再度登山鉄道に乗って下山した。
下山途中の道は雪に埋もれていて、膝くらいまで雪に埋もれてしまうところが結構あったりして
スリリングだった。
ということでスイスの山とも別れて明日は世界遺産の街Bernへと向かいます。

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Grindelwald 2日目

2013年06月20日 00時13分29秒 | スイスへ2013年
いろいろあったが、現在Grindelwald2日目だ。
予定より1日遅れて成田を17時過ぎに出発し、21時過ぎに予定通りにBangkok
に到着。0時過ぎに目的地のZurichへと向かった。
約10時間の後に晴天のZurich空港に到着。
鉄道でGrindelwaldへと向かった。Bern、Interlaken Ostで乗り換え昼前には
到着。昨年にくらべると歩いている観光客が少ない。10日ほど早い時期だからだろうか。
とくに日本人の姿がすくないのは、円安のせいだろうか。
特に予定を立てていなかったのでゴンドラでFirstへ向かった。
展望台付近では何やら施設を作る工事が行われていた。そう言えば
町中でも大きな穴が掘られていて、何でもアイガーセンターという建物ができるらしい。
スイスは景気がいいのだろうか。さすが観光大国といったところか。
2日目の今日は定番のJungfrauyochへ行った。昨年は帰りで途中下車して歩いたので
登山鉄道の料金は1万数千円だったように思うが、今回はまともに往復券を買った。
日本円で約1万8千円。安くないなあと思うが3,300mを超える岩山に穴を開けて敷設された鉄道で
あることを考えると納得というところか。展望台の凄い施設も込みだし。
さて、明日はZermattだ。
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スケジュール変更に

2013年06月16日 22時34分08秒 | Gardening
予定どおり成田空港に到着。早速タイ航空のカウンターへ行く。バンコクからZurich行きの便が欠航した情報は入っていなかった。直ぐに調べると言って離れて行った。5~6分して戻ってきた。
「確かに欠航です。お客様の場合、翌日に変更となっています」とのこと。それで、今日、バンコクへ行ったと
したら出発まで24時間も待機することになるんですか、と聞くとまた、連絡とってみますとなった。
ホテルは航空会社で手配しますとのこと。何となく他人事みたいな対応だなと感じていたが、その人はANAの人
だった。そして「このままバンコクへ行かれますか、それとも今日と同じ時間の便が空いていれば
変更しますか」と言う。バンコクへ行ってもすることもないので明日に変更して下さい、と応えた。
直ぐに戻ってきて「変更出来ました」とのこと。という事で、いま、都内の娘のアパートに居る。
さいわいMurrenのホテルも直前のキャンセルを了承してくれたとBooking.comから連絡があった。
旅程が一日減ったが、まあ仕方ないか。

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スイス行き トラブル発生

2013年06月15日 23時19分54秒 | スイスへ2013年
今回のスイス行きも明日出発だ。
が、予想してなかった事態が発生。
昨夜、9時頃、ふと携帯電話を見たらメール着信のインジケータが点滅していた。
また、いつものように あちこちからのCMや連絡だろうと思ったら違った。
Expediaからで、「至急、ご連絡下さい。」とのタイトル。発信は8時前だ。
電話すると暫く待たされたが、「お客さまが、乗継予定のバンコク発 Zurich行きの便が
欠航になりました。理由は不明とのこと。
私、「航空会社側の理由による欠航であれば代替の便が提供されるのでは」

相手: 「航空会社の窓口が全て閉じた時間なので、問い合わせができない。タイ航空の便で
空きがあれば、こちらで振り替えられるが、空席はない。明日、明後日と窓口は休みなので
どうにも対処できない。とにかく(16日に)成田へ行き、カウンターで状況を聞くしかない」
との返答。

私「じゃあ、バンコクまで16日に行って、搭乗日が延期になっていた場合、宿泊とかの対応は
してもらえるのか」

相手「それも、何んとも言えない。一般的に航空会社の事情による欠航の場合は、宿泊などは
手配してもらえるはずだ」

私「状況の把握と、どうにか予定の日にスイスへ行けるよう何とかして下さい」と告げた。
が、なんと、今日、その欠航になる前のスケジュールがメールで届いた。たぶん自動的に前日に
お知らせが届くシステムだからだろう。要するに欠航という状況が全く反映されていないのだった。

Expediaのサービスは、NewYorkへ行っていた頃に使い始めたので、もう7-8年前から使っている。
その当時は英語モードだった。それが、日本にも営業所ができて使い易くなったのだが、こんなにお粗末な対応しか
できないとは、ガッカリだ。

で、直接、成田のタイ航空へ、電話するが、テープで「ただ今、管理業務のため対応できません」と
自動のメッセージが流れてくるだけだった。朝から夕方まで何度かけても同じだった。

それで、タイ国際航空の official Homepage(英語版)を見つけ、予約コードを入れたりしていたら
なんとかつながった。
それによると、当初予定の便は Unable Operate となっていて、翌日の便に変更になっていた。
が、それは、まだ確定していない、みたいだった。

それで、タイで8年ほど仕事をしていた娘(今は、ミャンマーのヤンゴンで仕事をしている)に 
Skypeで連絡を取った。
が、回線スピードが遅いらしくて、videoをoffにしないと会話が途切れる。
ま、会話ができればいいのだ。
で、状況を説明。明日(15日のこと)、バンコクの空港に電話して状況を聞いてみる、という
ことになった。

が、それもラチが明かず。電話しても、15分待たされても要領を得ず。時間を置いて再度
電話して、30分待たされてもラチが明かず、断念したと連絡あり。

ミャンマーからバンコクへの国際電話はまだ、相当、通話料金が高いみたいなので、迷惑をかけてしまった。

ということで、万策は尽きたので、明日、成田空港で タイ航空とやり取りするしかなさそうだ。

 ちなみに、私が、直接 バンコクの空港に電話しても、たぶん訛りが強い英語なので、
会話は無理と言われました。それは、納得できます。

昨年、スイスへ行ったときも、機内の機長からのアナウンスが 殆ど英語として認識できませんでした。

さて、明日はどんな結末になるのだろうか。




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むち打ち症 その後

2013年06月11日 00時15分21秒 | Diary
 さて、追突されてから2カ月が過ぎた。1カ月経った頃は、回復が停まったというか、固定化した
ような感じがして、これは意外にやっかいなことになるかなと思った。
が、その後、少しずつ回復してきた。試にテニスをやってみた。いきなり普段どおりの練習を
したので、その翌日、すごいシッペ返しに見舞われて驚いた。自転車を倉庫から引っ張り出そうと
したとき、腰にこれまで体験したことのない痛みを感じた。お!! これは俗にいう「ギックリ腰」
ではないのかと。動くとやばいと思ったので、暫くその場でジッっとしていた。
翌日は、高校のクラス会があり実行委員なので、欠席する訳にはいかないということもあった。
 その日は、腰にコルセットをして、できるだけ急な動きをしないように用心した。
が、夜には、足がすごく 攣った(こむらがえり)。もちろん左首筋から左肩にかけて
痛みも出た。
 できるだけ無理をしないように1週間ほど過ごした。2日に一回のペースで近くの病院へ
リハビリに出かけた。先週末(2週間後)再度、テニスをやってみた。4ゲーム先取のgameを4回ほど
やった。最初の1game目は何ともなかったが、その後は左肩に痛みが出て、アイシングしながら
やった。が、その日の夕方、またも足が攣った(こむらがえり)、数分間 痛みが続いた。
どうやらむち打ち症と、単なる運動不足の相乗効果だったようだ。
昨日は、自転車に乗ってみた。ドロップ・ハンドルなので、首に負担を感じ、左腕にも痛みがあるが、
れないことはなかった。 缶コーヒーや缶ビールを飲み干す直前に首筋に感じていた痛みも
かなり軽減していた。
 ということで、一番気になっていたことを確かめるために、今日は、街へ映画を観に行った。
自転車で行こうかとも思ったが、40分の距離はちょっと不安だったので、車で出かけた。
駐車場から約15分ある。やっぱり左肩に違和感があった。
痛いという程でもなかった。 

これなら、backpackを背負って、ハイキングも出来るかも知れない。

1週間後には、スイス アルプスを何事もなく歩いているだろうか。

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スイスでの ハイキング計画 その1

2013年06月08日 00時31分21秒 | スイスへ2013年

今回のスイスの旅は、前半がハイキング、後半が世界遺産の街歩きということになる。
ハイキングの方は、Jungfrauに代表される Berner Oberland 地方と
Matterhornに代表されるZermatt地方だ。

スイス アルプスは沢山のハイキングコースがあり、整備されている初級者向けから
アイゼンを付けて登る上級者向けまである。昨年は、ちょっと無謀な面もあったが
どちらかというと中級者向けを選んだようだ。

今回は、カミさん(私以上に体力がない)も一緒なので、選択肢は「初級者向け」の
コースとなる。

で、参考までに 前回、歩いた3つのコースの所要時間を調べてみた。
こういう場合、デジカメで、撮った写真の日付データが役にたつ。
時差が7時間あるのを計算にいれて チェックしたら こんな具合になった。

 << 前回の ハイキング所要時間 >>

これを見ると、最初のコースで、相当無理をしている。新調した靴を試し履きも
せずに本番で歩いたし、ストックを使うのも初めてで、おまけに1本は廉価版のを
買ったため、短くて(90cmちょい)使い辛かった。岩場での下りのときに、ストックが
重要な役割を果たすとは、経験がなかったので、わからなかった。
 このときは、宿に着いたときは、ヘトヘトで「もう明日は、ダメだ」と思った。
が、朝になると、意外に回復していて、6時頃に眼が覚めて、急遽、4-5時間を
歩くコースを取ることに決めていた。

このKleine Scheidegg からGrindelWaldまでのコースは 女性でも楽勝な
コースのはずが、意外にタフだった。前日、初めて履いた靴だったせいか 靴擦れを
おこしてしまい、テーピングをしていたが、そこが痛くて、つらかった。
 前日の疲れも残っていたのだと思うが、この日もヘトヘトになった。

次のMurrrenでは、Birgという駅から歩いて町まで降りることにしたが、
砂利みたいな道ば多くて、滑るので 身体に力が入るためか、時間的には
短いコースだったが、これまた疲れた。
要するに、疲れた蓄積しているので、歩いた時間は短くなっているのに 疲れ方は
同じように感じたようだ。

殆ど 晴天に恵まれたのは ラッキーだったかな。


今回は、新たに Matterhorn周辺を歩くつもりだが、行ってみないとわからないかな。


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プラハからの message

2013年06月05日 00時19分41秒 | Diary

Istanbulに住む、娘の友人の お兄さんはチェコのプラハに住んでいる。数年前にプラハで
会い、街を案内してもらった。その彼からのmessageが Facebookに掲載された。


==========================

6:30 - Florenc - vstup je zabarikadova'n - vy'tah i vs(echny vstupy
6:35 jedu pode'l Vltavy po Bubenec(ske'm na'br(ez(i', hladina r(eky vstoupla o min.
metr ... z ostrova S(tvanice je z velke' c(a'sti zaplaven, lze vide(t tenisovy' area'l,
jes(te( nebyl zasaz(en ... pode'l na'br(ez(i' jsou postavene' barika'dy
6:45 proji'z(di'm Liben(sky'm mostem ... Golf yacht je z poloviny pod vodou,
hasic(i, voja'ci stave(ji' barika'du sme(r Holes(ovice ... most bude v provozu,
voda tam nedosa'hne, coz( me( uklidn(uje, ale sme(r Zoo je to zavodne(ne' ...
7:00 dorazila jsem do pra'ce a jsem tu sama
7:30 jsem tady sta'le sama a por(a'd prs(i'i'i'


====================
チェコ語なので、、翻訳サイトに投げてみた。結果は以下のとおり。


6: 30 pm Florenc エントリは zabarikadova'n リフトとすべての入力
ヴルタヴァ川堤防、Bubenec(ske'm vstoupla 分計チェイスの島からの複雑なテニスを見ることができる、
まだ打たれています、主浸水後川沿いを行く
6:35 バリケード... ウォーター フロントに沿って構築されて
6:45 私は Liben( ブリッジ.ゴルフ ヨットは水、消防士、兵士の下半分 (holes(ovice) への方向でバリケードを
建立された橋は操作が安心ですが、水、それが濡れている動物園の方向になります.
7:00 職場に到着、私はここだけ
7:30 ここで私はまだ一人で、まだ prs(i'i'i'

=======================-

彼はジャーナリストだ。
今の時点で、何のmessageも入ってこないので、無事だと思う。

この2日前に、彼の息子の誕生祝いのmessaageを送ったばかりだというのに。

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Istanbul からのMessage

2013年06月05日 00時17分45秒 | Diary





あまり普段はFacebookをチェックしないのだが、Istanbulに住んでいる娘の友人からmessageが届いていた。
その内容が深刻だったので、びっくりした。というのが、その日のニュースを見てなくて
何のことなのかわからなかったからだ。最初はこのmessageを娘の友人が書いたのかと思っていたが
どうもそうではなくて、上の写真の女性のようだ。

何やらIstanbulでは大変なことになっているみたいだが、日本の新聞社のHPを見てもよく状況が掴めない。
CNNのHPを見ると、現地からのreportが動画で配信されていた。

彼女は、チェコ人なので、民主化の動きには敏感なのだろう。彼女からは、福島の原発事故の直後にも
「がんばれ}とmessageが届いていたのに、さっきそれを知った。

間違いなく、世界は狭くなっている。internetが普及する15年前までは考えられなかったことだ。
まさか、私がこういうmessageを受け取るとは思ってもいなかった。

以下、送られてきたものをそのまま掲載します。

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← I.stanbul Uzaktan Muhtes,em Go"ru"nu"yor!
More on Istanbul Protest by Ece Temelkuran →

What is Happenning in Istanbul?

01/06/2013 tarihinde yay?mland? by sumandef



To my friends who live outside of Turkey:

I am writing to let you know what is going on in Istanbul for the last five days. I personally have to write this because at the time of my writing most of the media sources are shut down by the government and the word of mouth and the internet are the only ways left for us to explain ourselves and call for help and support.

Last week of May 2013 a group of people most of whom did not belong to any specific organization or ideology got together in Istanbul’s Gezi Park. Among them there were many of my friends and yoga students. Their reason was simple: To prevent and protest the upcoming demolishing of the park for the sake of building yet another shopping mall at very center of the city. There are numerous shopping malls in Istanbul, at least one in every neighborhood! The tearing down of the trees was supposed to begin early Thursday morning. People went to the park with their blankets, books and children. They put their tents down and spent the night under the trees. Early in the morning when the bulldozers started to pull the hundred-year-old trees out of the ground, they stood up against them to stop the operation.

They did nothing other than standing in front of the machines.

No newspaper, no television channel was there to report the protest. It was a complete media black out.

But the police arrived with water cannon vehicles and pepper spray. They chased the crowds out of the park.

In the evening of May 31st the number of protesters multiplied. So did the number of police forces around the park. Meanwhile local government of Istanbul shut down all the ways leading up to Taksim square where the Gezi Park is located. The metro was shut down, ferries were cancelled, roads were blocked.

Yet more and more people made their way up to the center of the city by walking.

They came from all around Istanbul. They came from all different backgrounds, different ideologies, different religions. They all gathered to prevent the demolition of something bigger than the park:

The right to live as honorable citizens of this country.

They gathered and continued sitting in the park. The riot police set fire to the demonstrators’ tents and attacked them with pressurized water, pepper and tear gas during a night raid. Two young people were run over by the vehicles and were killed. Another young woman, a friend of mine, was hit in the head by one of the incoming tear gas canisters. The police were shooting them straight into the crowd. After a three hour operation she is still in Intensive Care Unit and in very critical condition. As I write this we don’t know if she is going to make it. This blog is dedicated to her.

These people are my friends. They are my students, my relatives. They have no ?hidden agenda? as the state likes to say. Their agenda is out there. It is very clear. The whole country is being sold to corporations by the government, for the construction of malls, luxury condominiums, freeways, dams and nuclear plants. The government is looking for (and creating when necessary) any excuse to attack Syria against Turkish people’s will.

On top of all that, the government control over its people’s personal lives has become unbearable as of late. The state, under its conservative agenda passed many laws and regulations concerning abortion, cesarean birth, sale and use of alcohol and even the color of lipstick worn by the airline stewardesses.

People who are marching to the center of Istanbul are demanding their right to live freely and receive justice, protection and respect from the State. They demand to be involved in the decision-making processes about the city they live in.

What they have received instead is excessive force and enormous amounts of tear gas shot straight into their faces. Three people lost their eyes.

Yet they still march. Hundreds and thousands of citizens from all walks of life then joined them to support for the protestors. Couple of more thousand passed the Bosporus Bridge on foot to support the people of Taksim. They were met with more water cannons and more pepper spray, more hostility. Four people died, thousands of people were injured.

No newspaper or TV channel was there to report the events. They were busy with broadcasting news about Miss Turkey and “the strangest cat of the world”.

Police kept chasing people and spraying them with pepper spray to an extent that stray dogs and cats were poisoned and died by it.

Schools, hospitals and even 5 star hotels around Taksim Square opened their doors to the injured. Doctors filled the classrooms and hotel rooms to provide first aid. Some police officers refused to spray innocent people with tear gas and quit their jobs. Around the square they placed jammers to prevent internet connection and 3g networks were blocked. Residents and businesses in the area provided free wireless network for the people on the streets. Restaurants offered food and water for free.

People in Ankara and I.zmir gathered on the streets to support the resistance in Istanbul. Demonstations spread to other cities where citizens were faced more brutality and hostiliy from police. Hundred of thousands kept joining.

Mainstream media kept showing Miss Turkey and “the strangest cat of the world”.

***

I am writing this letter so that you know what is going on in Istanbul. Mass media will not tell you any of this. Not in my country at least. Please post as many as articles as you see on the Internet and spread the word.

I do not belong to a political party. I don’t believe in politics. I don’t defend any ideology and I am not on the side of any regime. Like many others in Turkey I am tired and frustrated from the polarization between Kemalist seculars and the Islamists. I don’t belong to any of them. I believe in moving away from polarization and towards a new way of relating. I know many people who are out on the streets of Istanbul share the way I think and I know we are not the only ones. We just want to live our lives with human dignity.

As I was posting articles that explained what is happening in Istanbul on my Facebook page last night someone asked me the following question:

?What are you hoping to gain by complaining about our country to foreigners??

This blog is my answer to her.

By so called ?complaining? about my country I am hoping to gain:

Freedom of expression and speech,

Respect for human rights,

Control over the decisions I make concerning my on my body,

The right to legally congregate in any part of the city without being considered a terrorist.

But most of all by spreading the word to you, my friends who live in other parts of the world, I am hoping to get your awareness, support and help!

Please spread the word and share this blog.

Thank you!

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