50歳で始めた海外ひとり旅 と 自費出版

50歳にして「海外ひとり旅」の楽しさを知る。最近は野菜づくり、本づくりにも挑戦。

apartment of NYC47

2007年09月30日 23時32分32秒 | プリンス・エドワード島
 今回の旅は、今から考えてみると中途半端な内容だった。
結局、日本人らしいというか、いわゆるツアーとは違う旅を
したいはずなのに、結局、基本的には、それと同じだ。
 昨年、行ったアイルランドしかり。本当は、もっと
Inish Mor島を腰を落ち着けて周るべきだったのに。
NetやBlogで他の人が書いたことを、そのまま無条件に
受け入れて、日帰りなどという バカみたいな日程を
組んでしまった。
 今回の旅も、そのときの教訓が全く生かされていない。
「2日もあればPrince Edward島は観て回れる」という情報を
鵜呑みにして、安易に1日プラスして3泊あれば十分かなと
決め込んでしまった。
とんでもない間違いでした。
 いたるところで、車を止めてカメラを向けたくなる場所、
風景でした。
 残念ながらそれを、捕えるだけの技量と持ち合わせて
いませんでした。

 さて、それらの苦い思い出は、おいおい書くとして、
NewYorkでの、最初の宿は 写真にあるように
とてもいい部屋とは言えない、アパートでした。
NewYorkにあるアパートの部屋を貸すというタイプの
ものでは、唯一、最低の借りる期間が2日というところは
ここだけでした。(私がnetで調べた限りは)。
Broad Wayに歩いていけるところに位置していて 日に$80と
いうのは、まあまあいい条件だと思います。
部屋の内部は、ちょっと変則で、Bedが屋根裏みたいな
ところにあります。ダブルsizeでした。こじんまりとした
kitchenと 3畳分くらいのスペースにTVとソファと
小さなtableがあるだけの部屋です。
Bathはshareとなっていて、1floorに部屋が4つ(たぶん
ひょっとしたら3つだったかも)ありました。
隣の部屋からは、深夜に賑やかな会話が聞こえてきてました。
奥の部屋は、なぜか、買い物袋が、ドアの前に置いてあり
一度だけ、中年の男性がそれを持って部屋へ入って行くのを
見ました。
それ以外は、Bathroomで鉢合わせになることもなく
いつも静かでした。

結局、この部屋では、初日は、USオープン・テニスの会場から
帰って来て、そのまま BroadWayにmusicalを観に行き、
帰りに drag Storeでチキンの春巻きみたいなもの2個とBeer(6本)
を買ってきて食べた。とても食べきれずに1個は冷蔵庫に入れた。
翌日は、USオープン・テニスから帰ってきて、
中国製かのインスタント麺も食べた。まづい 実に貧しい食生活だった。

(と 記憶を辿りながら書いてみたが、メモを読むと少々、違って
いるようだ。そのあたりは、このあと書いてみたいと思います。
なぜか英語でメモしています。頭が英語modeになっていたの
でしょうか。内容は実にsimpleですが)


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NJ Transitでマンハッタンへ

2007年09月30日 12時17分46秒 | プリンス・エドワード島

(写真は、47Stにある、NYC47という部屋貸しのアパートの入り口です)

米国、2日目。
時差の関係か、なかなか眠れなくて、結局、2時頃に寝たようだ。
その割には、6時頃には目覚めてしまった。窓のカーテンを開けると
窓の外は駐車場だった。部屋は1階だった。
車の出入りの音で目覚めたようだ。
朝食は付いてないので、まづは、できるだけ早く空港へ戻り
manhattanへ行きたかった。荷物は前夜にまとめておいたので
8時には、hotelの前のシャトル・バス乗り場へ向かう。
既に、5-6人の客が待っていた。そのうちの4人は、傍の
ベンチに腰掛けて話をしていた、英語ではなかった。
たぶんスペイン語かな? 南米か、そのままスペインの人かも
しれない。彼らも昨夜、遅くにNewarkの空港に着き、このhotelに
泊まったのだろうか。
 バスの出発時刻を示すものもない。ただ待つしかなさそうだ。
30分ほどでバスが来た。皆、淡々と乗り込み、淡々と空港へ
着いた。昨夜、バスに乗ったP4ではないところへ止まった。
 大半の人が降りたので、私も確信はなかったが降りた。
が、どうも違う。どうやらterminalAで降りたようだ。
NYCへ行く交通機関には
 Amtakと、Nj TransitとPath Trainの三つがあり、
それぞれ料金も$30,$14,$9となっていて、所要時間は
それぞれ45分、30分、40分ー60分である。
時間と料金を考えてNJ Transitを使うことに決めていた。
 ということで、再度、Air Trainに乗り、
Newark Pennsylvania Stationへ向かう。
このAir Trainというのは、モノレールみたいだ。
15分ほどで、普通の列車の駅に到着した。
たぶん切符は、現金で買ったと思う。
 2年前にchicagoへ行ったときに$40ほど紙幣が残ったので
それを持ってきていたのだと思う。
このPen Stationは、日本でも見かける駅と同じように
階段を上り、線路をまたいだ通路を通り、階段を下りて
プラット・ホームへ降りていくという構造だ。
New York行きのhomeへ降りたはずだが、左右のどちらが
それなのかがわからない。他の旅行者も同じみたいで
誰とはなしに 尋ねている。
列車が入って来ても、列車に何処行きというような表示が
見当たらない。まあ、ローカルな交通機関はそういうこと
多いか。一つは乗り過ごし、なんとなく見当がついたので
次に来た列車に乗り込んだ。Europeから来たらしき青年二人も
乗り込んできたので、間違いないだろう。
座席は8割くらいの混みだった。時間は9時15分。
暫くすると、女性の車掌が回ってきて、切符を点検した。
この点検のやり方がちょっと変わっていて不思議だった。
切符に切れ目を入れるのは、日本でも昔、やっていたが、
そのあとが違う。なにやら座席表みたいなものを持っていて
といっても5cm×8cmくらいの小さな紙切れだ。
それを各自の座っている席の前のとってみたいな部分に
挟んで行く。
どうも、空き席とそうでないのをカウントする仕組みらしい。
同じようなやり方を7年前だったか、初めて米国に行った
ときに見た。WashingtonD.CからNew Yorkへ向かうAmtrakの
特急列車内でのことだった。同じようなやり方をしていた。
暫くして、ある駅に着いたら大半の人が降りて行った。
 そのあと、再び車掌が現れて、さっき挟んで行った
紙を回収し始めた。たぶんこの後は、もう切符の点検も
しないのだろう。というか必要がないのだろう。
 ちょうど、30分後にManhattanのPen Stationに
列車は到着した。
 駅は、Grand Central駅に次ぐ大きさのはずで、
かなり広い。
目指すは、、47Street 10th Ave と 9th Aveの間にある
アパートだ。そこで、11時半にオーナーと待ち合わせ
をしていた。
とりあえず、地下鉄に乗らなければと、探すが意外な
ことに見当たらない。こういうときは誰かに聞くに
限る。ちょうどPolisを見つけたので地下鉄のC かE の
乗り場はどこにあるかと。
彼は、「真っ直ぐに行け」と言った。
地下鉄の乗り場で待っていると、すぐに来たので
乗り込んだ。が、どうやらExpressだったみたいで
次に止るのは59stみたいだ。そこまで行くと もう
Central Park付近のはずだ。が、仕方ないので、
そこまで行き、再度、下りの各駅停車の地下鉄に乗り
51stまで行き、降りる。
そこからテクテクと南下して、47stで右折し、9stを
目指す。降りた駅は8Aveなので、そんなには遠くない。
目指す、通りはすぐにわかり、借りる予定のApartmentも
すぐに見つかった。時間は10時前で、まだ約束の時間までは
たっぷりある。
 朝食も食べていなかったので、9Aveの角にあった
StarBacksへ戻る。
テーブルが4つほどの、こじんまりとした店で、客も
多くなく店を覗くと2つほどテーブルが空いていた。
入り、窓際のテーブルを確保。さっき覗いたときに
客がパソコンを使ったいたので、きっと無線LANの設備が
あるに違いないと思った。
ちゃんと席の傍にACのコンセントもある。
ブルーベリー・マフィンとコーヒーを頼む。
私は、なぜか、この手の店だと、このブルーベリー・マフィンを
選んでしまう。

 さて荷物をテーブルの側に置き、PCを取り出し、無線LANに
試してみる。が、電波は捉えることができるがコネクトできず。
しばらく試すが駄目なので、諦める。ひょっとしたらプロバイダと
契約してないと駄目なのかも知れない。

 約束の時間にアパートの前へ行き、ドアの横にある、インターホンで
指定された番号を呼び出すも、返事なし。
やっぱり、日本人が経営しているとは言え、ここはNYCなのだ。
時間厳守とは限らないか。
暫く(と言っても、たぶん5-6分だったかも)待っていると、日本人女性が
急ぎ足で近づいてきた。
「**さんですか」と尋ねたら、「いえ、代わりの者です」とのこと。
遅れたことを謝り、部屋へ案内してくれた。
部屋は事前に日本で見たとおりの部屋だった。
あるものは全て使っていいことなど、一通りの説明を受けて、鍵を受け取る。
 部屋代はCashなので、渡したら、$40足りないという、
「あれ?ちゃんと準備しておいたはずだが」とcheckしたら
確かに足りない。別に騙すつもりもなく、単なる時差ボケで
計算間違いをしたのかも。
 部屋を空け渡すのは、どうするのかと聞いたら、玄関と
部屋とBathroomの鍵を一緒にして、壁のフックに掛けて
出ていけばいいとのこと。Checkも無しとのこと。
New Yorkにしては少々、無用心な気もしたが、玄関は自動ロックなので
それでいいのだろう。
ということで、身軽な服装に換えて、とにかくUSオープン会場へ行くことに
した。

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Newarkへ到着

2007年09月26日 00時27分58秒 | プリンス・エドワード島
 到着地のNewArk空港は、New Yorkの空港として扱われているが
実際には、ニュージャージー州にあり、New Yorkのように
24時間運行の地下鉄もTAXIもない。
夜中の0時頃着いたとはいえ、結構、旅行者は多い。
着いたのはターミナルAで、主だったホテルへの
シャトルバスはターミナルBから出ているとのことだったので、
そこへ行くためにエア・トレイン(無料)に乗らなくてはならない。
乗り場は、すぐにわかった。行くと、すぐに女性の係り員が
近づいて来て、どこへ行くのかと聞いたので、「ターミナルBへ
行って、シャトル・バスに乗りたい」と言うと、「ホテルは
どこか?」と聞くので「Howard Johnson」と応えたら、
「それならP4だ」と言う。ちょっと事前情報と違う気がしたが
信じて乗り込む。数分で到着。降りると、なるほど、シャトル・バスの
乗り場の表示が出ていた。

今回の旅では、私はできるだけTAXIに乗るという安易で費用の
かかることは止めようと決めていた。
地元の人が使う、公共交通機関を利用してやろうと思っていた。
たぶん、ここで、TAXIに乗ってマンハッタンまで行こうとすると
$70-80くらい出せば行けたかも知れない。
でも、そうしてマンハッタンに到着しても、高いhotelに泊まるしか
ないはずだ。ということで、できるだけ経費を抑えるということで
無料のシャトル・バスを使うことにしていた。

さて20分ほど待っていると Holiday Inn とHoward Johnsonとボディに
書かれたバスが来た。
さっそく乗り込む。10数人の乗客がいた。
車は、10分ほどで、Howard Johnsonと建物に書かれたHotelに
到着した。私も降りようとすると、運転手が「どこのHotelか?」と
聞くので、「Howard Johnson」と応えると、なぜか彼は、
妙なことに「じゃあ、ここではなくて次だ」という。私の他にも
中年の夫婦が「でも、ここはHoward Johnsonじゃないか」と言ったが
重ねて運転者が、「次だ」というので、私とその夫婦は従うことに
した。
数分で、次のHotelに到着した。Holiday Inn と書いてある。
疑心暗鬼ながら降りて、中に入り、Check in しようとしたら
receptionist が 怪訝な顔して、「ここはHoward Johnsonじゃない」
と言う。そんなことは、わかっているので、「But, driver said to
me Get off here!」・・・ と言ったら、しばらく考えていたが
「そこで待て、すぐに車を呼ぶから」と言った。
彼の態度からすると、また運転手が面倒なことをしてくれた、と
いう感じに見えた。でも、かの中年夫婦は、一緒に降りたように
思うが、近くに見えなかった。
Holiday Inn とHoward Johnsonの客を運ぶシャトル・バスなので、
提携hotelか同一経営のHotelなのだろうか。
まんざら運転手が全面的に悪いのでもないのかも知れない。
それにしても、何か最初からトラブルになったなあ、と不安が
よぎった。(が、実際、まさにその通りの展開となった)

すぐに、ワゴン車みたいなのが、来て、Howard Johnson Hotel
へ運んでくれた。
 もうロビーには誰も居ない、一人reception Deskに男性が
いて、電話に向かって何やら、がなり立てている。
客からのクレームらしい。何だか、水周りのトラブルのようだ。
その忙しそうな彼に「Check in please」と言ったら、
「悪いが、ちょっと待っていてくれ、すぐに戻るから」と言って
消えてしまった。
 なんだか、こういうシーンは映画によく出てくるなあ、などと
眺めていた。周りを見ると、当然ながらレストランは閉まっていて
一人若い男性が、パソコンに向かってKeyboardを叩いている。
たぶん無線LANを使うためにロビーへ来ているのだろうと想像した。
 0時を過ぎた時間に、いらだっても仕方ないので、待つことしばし。
帰って来た、そのreceptionistに予約のpaperを見せた。
暫し、考え込んでいたが、すぐにKeyboardを叩き、Key Cardをくれた。
 部屋を開けてみると、$100にしては、広すぎる程の部屋だった。
たぶん、本来の予約したレベルの部屋が空いていなかったのだろう。
Lucky!!
風呂もちゃんとした湯船があり、横になれるくらい広い。
Bedもキングサイズのツインだ。
 いろんなことがあって、緊張していたせいか、あまり腹は減って
いないが、何か食べたい。部屋の外へ出て、さらにHotelの外へ
出てみたが、コンビニなどなく(当然か)周りには何もない。
hotel内に自動販売機はあるもののジュース類だけ。当たり前か。
片隅に小さな売店があり親子らしき女性達がこちらにはおかまいなしに話に夢中になっている。ビールとパンでも置いてないかと思ったが
チョコレートなどの菓子類があるだけ。ビスケットか何かと思ったものの、何となく先方も私を無視しているので、止める。
ということで、この日は夕食抜き。Doleのジュース1本で終わり。
ただ、持って行ったPCの電源を入れてみると、ちゃんと電波を
掴んでくれた。ineternetにも簡単に接続できたので、
家族と仲間内の掲示板に書き込みをする。
この調子で、この先も無線LANが使えれば便利だなと思った。

それにしても、先が思いやられる旅の始まりでした。 
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映画「アンの結婚」を観る

2007年09月23日 23時56分41秒 | プリンス・エドワード島
Prince・Edward島へ行く前に、映画「赤毛のアン」の3作目
「アンの結婚」を買っていたけども、なぜかあまり観ようと
いう気が起きなかった。でも、一応、観てみようと昨夜、
ふと思い立ち観てみた。
でも、いきなり なにか違う感じがした。アン役の女性が
交替したかと思った。でも、そうではなくて、アンを
演じているミーガン・フォローズが歳を取っているだけ
だった。化粧で老け役をやっているのだろうと思う
ことにして観続けた。
 展開に何か違和感があるが、作者の生きた時代から
して、第1次世界大戦(?)だとしたら一応、時代考証は
合うかなと思ったが、それにしても少々無理があった。
2時間20分近い大作だった。
 気になったので、「赤毛のアン」シリーズのタイトルを
調べてみたが、「アンの結婚」というタイトルはなかった。
シリーズ5作目にあたる「アンの幸福」を半分ほど読んで
いるのだが、どうも世界大戦の場面は出て来ないようだ。

ということで、ネット(Wikipedia)で調べてみると
1作目 『赤毛のアン』(1985年)
2作目 『赤毛のアン アンの青春』(1988年)
3作目 『赤毛のアン アンの結婚』(2000年) 
そして、この3作目は、オリジナルなストーリーだと
書いてあった。
主役のミーガン・フォローズが1作目のときにいくつ
だったかは知らないが、少なくともそれから15年経ての
演技だったということになる。
1作目が25歳だったとしたら、40歳だから納得だ。

 と謎は解けたが、この謎が解ける前に、あらためて
第1作を字幕無しで観てみた。
 やっぱり聴き取るのはむづかしい。
特にアンの多弁さは、ついていけない。
子供の役なのに、結構むづかしい表現をするし。
レイチェル役のが、一番聴き取り易かった。
いづれにしても、やはり語彙不足が決定的だと
痛感した。と、いつも痛感してばかりで、特に
対策を講じることもないのは、自分自身でも
困ったものだと思う。
語彙を増やすには、やはりreadingだろうか。

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初めての自転車 TREK 7_3

2007年09月23日 02時40分25秒 | Diary
Cross Bikeなるものを買った。
考えてみると、自分で自転車を買ったのは初めてだ。
いや、正確には、はるかに昔、買ったことはある。
就職をして、最初に配属されたところが丘の上というか
市街地から4kmほど離れたところだったので、街中へ
行くにはタクシーくらいしかなかったという生活環境
だった。
 それで思いつきのように友人から自転車を譲って
もらった。今でいうとCross Bikeのようなものだった
ような気がする。いくらで譲ってもらったのかさえ
覚えていない。あまり興味はなかったのだろう。
生活必需品ということだったのかも知れない。
 が、ほんの2-3回乗っただけで、盗まれて
しまった。街中のパチンコ屋の近くに停めた。
 たまたま、そのまま飲みに行き、一晩、置いたままに
して、翌日、行ってみると 無かった。
その後は、特に全く自転車に興味も湧かず、普通の流れで
車を買うことになった。
 結婚して、娘たちが通学のために自転車を買い、
それに2-3度乗ったことがある程度、というのが
つい、1ケ月前までの私の自転車歴だ。
 いや、もちろん、最初に自転車に乗ったのは、
父親の通勤用の自転車だった。

でも自転車というのは、考えてみると不思議だ。
最初に乗り方を覚えるのが小学校の低学年なのに、
その後、普段乗ることがなくても、身体が乗り方を
覚えている。

さて、それで自転車だが、意識をして乗ったのは
昨年行った、Irelandは Inish Mor島でのことだ。
 行く前から、島を巡るための最も一般的は手段は
自転車であるということが、ガイドブックに書いて
あった。
レンタルした自転車というのは、今、思うとかなり
Low specの物で、ガタガタだった。それでも
結構スピードは出るし、お尻は痛くなるしで、
たったの片道4-5kmしか走ることができなかったという
苦い思い出がある。

先月、行ったPrince Edward島では、本格的なレンタル店も
あるようだし、専用の道路も整備されているというのを
知っていたので、3泊のうちの1日くらいは 自転車で
巡ってみたいと思っていた。

そのための事前practiceのために、知人から Road racerなる
ものを借りて、にわかracerの真似をしたのだけども、
とうてい無理なことだった。

が、実際に島へ行ってみると 本格的なCyclingnist を
見かけた。
 あれは、なかなかに格好いいものです。

ということで、もう一度、Prince Edward島を訪れることが
あるかどうかは、わからないけれども、そのときのためか
あるいは、再度、Inish Mor島へ行くこともあるかも
しれないということで、自転車を買いました。

 午後、テニスの練習のあと、さっそく専門店へ行き
TREKというメーカーのFXというモデルを店主のお勧めで
買いました。予算ははるかにオーバーでしたが、
まあ、専門家の意見には従うべしということで、
お任せモードにしました。
 
早速、乗ってみましたが、road racerのように神経質な
とこともなくて、一種爽快感のある乗り心地でした。

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S.FranCiscoからDetroit、そしてNewarkへ

2007年09月20日 00時00分57秒 | プリンス・エドワード島
SanFranCisco空港は、なんとなくだだっぴろく、殺風景だった。
朝の10時頃に到着して、最初の米国への入国ということで
審査を受けたはずだが、あっさりと通過したのだろう、あまり記憶がない。
次のDetroit行きの出発まで約2時間待ちなので、コーヒーとマフィンを
買って朝食とする。のんびりとしていて、この後、いろんなことが
起きることなど思いもよらなかった。

さて、12時40分頃に、S.F.Ciscoを飛び立ち、Detroit空港には
現地時間で20:14着の予定となっていて、そんなに時間がかかるのかな
と思ったら、時差があるからだった。同じ国の中で4時間近い
時差があるとは、さすがに米国は広い。
数時間乗ったら、もう到着したDetroit空港は夜だ。

 次のNewark行きのflightまでわずかに30分の時間しかなかった。
おまけに空港のロビーが横に広がっていて、到着ロビーがその端っこの方で、
その反対側が搭乗GATEだった。小走りに走った。何とか間に合った。
機内はほぼ満員で、自分の席の上のLaggage Cabinは一杯。
空いているところを探して、一番後ろの方まで行った。
出発時間ギリギリだったが、飛行機は、手荷物の積み込みに
手間取っていた。丁度、座った席から手荷物
(スーツケースの他にも、大きな航空貨物便みたいな箱類も相当あった)
の搬入作業が見えた。出発が遅れているにも拘わらず、作業がのんびり
している。運搬車を運転、操作する人と、荷物をカウント、チェック
する係りと、機内へと繋がるベルトコンベアみたいな台に、荷物を
移す作業の係りの3人で作業をしている。その荷物を積み替える係りが
若い黒人女性で、見るからに細い身体で力がなさそうで、1m弱ほどの高さ
のある台まで大きなトランクを担ぎ上げるのだが、時々失敗して
落としてしまう。誰も手伝う様子はない。
あんなに手荒に扱うのだから、スーツケースの車輪なども壊れるはずだ、
なんてことを思った。
結局、飛行機は25分遅れで飛び立った。


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PEIへの旅、まづはNYCへ

2007年09月19日 00時37分09秒 | プリンス・エドワード島
さて、ようやく時差ボケから立ち直りつつある。それにしても
今回のはひどかった。年齢も関係あるらしい。日本よりも東への
旅が時差ボケはひどいというが、一昨年、CHICAGOへ行ったときは
これほどではなかったと思う。あのときは、現地での時差ボケが
苦しかったような気がする。
 とは言え、いつものように、旅の記憶を辿ってみることにする。
今回も、一応メモ帳らしきものをポケットにしのばせて、適宜
メモしてみた。が、それもどうやら最初の頃だけであった。
かなりいい加減な英語の箇条書きだったりする。

## 最初のページから

(当初、朝の9:13分発、福岡行きの高速バスに乗る予定だった
が、少しでも早い方がいいかと思い、急遽8:42発に変更した。)

It took 15 minuts when I got the bus stop.
I had a lot of sweats. It was hot and humid day.
When the bus left the bus stop It was late 20minuts .
It was cloud. the bus fulled of passengers.

一便、早いのに乗ることにしたのは、正解であった。
バスは、20分も遅れて到着したからだ。約1時間15分で福岡空港へ
到着。雨が降っていた。
とりあえず、成田空港へ向かう。
ほぼ定刻に成田空港へは到着した。出発は、約2時間半後では
あるが、意外に余裕はない。
まづは、North West Arilineのカウンターを探す。
荷物は機内持ち込みなので、そのままカウンターへ。
E-ticketを出して、簡単に手続きは終わり、3枚のticketを
もらう。帰りの分は、現地で手続きするようにということで、
そのフライトが記された copyをもらう。
これを失くすと、ticketを発行してもらえないらしい。
ほんの紙切れだが、大事なものだ。
 昼食をGateをくぐる前に済ますかどうか、考えたが、
何があるかわからないので、とにかく、Gateをくぐって
中に入ることとする。
 米国行き、かつサンフランシスコということで、客は多い。
セキュリティチェックでは、液体がうるさいというので、
シャンプー、リンス、日焼け止め、body soapを申請した。
女性の検査官から、「ちゃんとジッパー付きのビニール袋に
入れて来るように。今回は、これを使って下さい」と
ちょっと嫌味風にビニール袋を渡されて無事通過。
 次に、米ドルとカナダドルに両替する。
ざっと計算して 米ドルが4万円= $300、 CANADAドルが
2万円=$150 とした。
結果的には、米ドルは、現地で$200の追加、CANADAドルは
$30くらいが余ってしまった。

NWAの飛行機は、ほぼ時間どおりに飛び立った。

The airplane's insaide was wide.
Seat arrange was like this.

[ ABC ] [ DEF ] [ GHI ]

I took a seat number D5. It was 1st line of economy class's
seat. It was good.
But It was a long flight around 9 hours.
I could not sleep. DVD program had old films.
I was bored.

ということで、当日の flight Schedule です。

知り合いから、今回の旅は、NewYorkまでどれ位の時間がかかったかと
聞かれます。これを見ると 19時間もかかったわけです。
格安航空券は、やっぱりしんどいですね。

PS;写真は、Newark空港に近い Howard Johnson Hotelの室内です。
ラッキーなことに、予約とは異なり、広い部屋でした。
米国のこのいい加減さは、好きですね。
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時差ボケ

2007年09月12日 23時44分53秒 | プリンス・エドワード島
今回の旅行のいくつかのエピソードは、おいおい書くことにします。
旅を終えて、目下とまどっているのは、いわゆる時差ボケです。
それなりに時差ボケの経験はあるのですが、今回はひどいです。
アメリカに居たときも少しは感じていたのですが、日本へ帰って
からの方が何倍もひどいです。
ネットで調べてみたら、時差ボケは、欧州へ行くよりも米国、
それも東へ行くほどひどくなるそうです。
それと、年齢が高くなるほど、長引くそうです。
 確かに昨年、Irelandへ行ったときは、殆ど時差ボケは
感じませんでした。
往きとなる米国については、まづサンフランシスコ空港
でした。日本との時差は9時間ほど。そこで3時間ほど
待って、デトロイトへ行きました。ここがサンフランシスコ
と3時間の時差で、2時間ほど後に、NewYorkに着きました。
最終的に日本との時差が13時間。
日本時間の8月30日16時に出発して、NYに着いたのが、現地時間で
30日の23:45分頃でした。結構、長い時間をかけて辿りついた
訳です。そのせいか、あまり米国内では時差ボケはあまり
感じませんでした。
日本に帰ってきた日は、東京泊まりで、昼頃、眠気を
感じましたが、まだ緊張していたからか、あまりひどくは
ありませんでした。翌日、自宅へ帰って来た翌日の
昼間は、眠くて4時間ほど爆睡してしまいました。
会社へ出て、今日で3日目ですが、昼間から食欲も
なく睡魔に襲われています。昨日は、帰りの車の運転も
やっとという状態で、自宅へ着いて食事したら
寝てしまっていました。

これは、 PEIのビーチへ続くボードウォーク です。

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North Cape in PEI

2007年09月08日 23時08分24秒 | プリンス・エドワード島
 Prince Edward島では、自分では沢山の写真を撮ったつもりですが、
帰ってきてみると、大したことがなくて300枚くらいしか撮ってません。
一応1,000枚くらい撮れるだけのMemoryは調達して行ったのですが、、、。
それに、絞りやらをいじりながら写したので、光量不足やピンボケなど
素人の陥り易い失敗が沢山でした。
 でも、なんとか目的だった 写真が撮れました。
やっぱりPEIは、遠くまで広がる畑と 海岸線、海岸の景色が最高
だと思いました。
とりあえず 1枚だけ。
 NorthCapeの灯台 です。
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何とか帰国

2007年09月08日 07時50分57秒 | プリンス・エドワード島
昨日、なんとか無事に--- 今回の旅では、本当にこの言葉に実感が込もります
-- 成田に帰り着きました。熊本へ帰る便には間に合わない予定だったので
昨夜は東京泊まりでした。今日、ちょっと都内をぶらついて夕方に熊本へ
帰ります。

それにしても、今回の旅はいろんなことがありました。全て一人で予定を
立てたことによるメリットとデメリットを十分すぎるほど味わいました。
特に今回は、飛行機の乗り継ぎが多く、国境を越えたりしたことで、初めて
体験したこともありました。冷や汗の出る場面もありましたが、何とか
乗り切り帰ってきました。

Prince Edward島(通常 PEIと略して呼ばれていました)は、とても
いいところでした。offシーズンだったこともあり、殆ど観光客がいなくて
初めての海外でのドライブ(かつ左ハンドル)も堪能できました。
美しい田園風景?も沢山、カメラに納めたつもりですが、
メモリーカードは1枚全て使い切ることもなかったので、おもったよりも
撮影してないみたいです。

ということで、自宅に帰り じっくりと整理しようと思います。
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