50歳で始めた海外ひとり旅 と 自費出版

50歳にして「海外ひとり旅」の楽しさを知る。最近は野菜づくり、本づくりにも挑戦。

Book markに

2005年06月29日 23時38分00秒 | シカゴ
My Photo Albumの URLを追加しました。
この下の記事にある写真のギタリストは、 菊田俊介さんです。
Chicagoへ単身、渡って15年とか。今年は、2日目のトリで、有名なKoko Tylorさんの
レギュラーバンドの一員として参加です。
予想どおりの超絶テクニックでした。
隣に居た Michigan州はKALAMAZOOから来たという巨漢の男性が私に
" He is japanes! ya!! "みたいに 声かけてくれました。
KALAMAZOOという地は、昔、Gibsonのギターを作る工場があったところです。
彼は、そのことを知っていて、簡単に説明してくれました。今は、
アメリカ国内の数箇所で生産しているということも。
因みに、私が、若い頃に買った ES-335というギターには、このKALAMAZOOと書かれた
ラベルが貼ってあります。

Photo Albumを

2005年06月29日 22時56分35秒 | シカゴ
Rakutenがサービスしている フォト・アルバムというサービスを利用して、Chicagoでの画像を
アップしてみました。コンサートの模様は、メインステージから5-60m離れた位置からの
撮影なので その殆どがピントが合ってないのと、夜なので、シャッター速度が遅いのか
動く人を捕らえきれませんでした。カメラはOLYMPUSのC-730で、10倍のZoomができます。
行く直前に安かったの買いました。でも、もう少し奮発して、Panasonicか Canonの手振れ
防止機能がついたものを買うべきでした。

URLは http://photo.www.infoseek.co.jp/AlbumPage.asp?m=0&key=1335061&un=104281

です。


Chicagoでの食事

2005年06月26日 00時21分24秒 | シカゴ
シカゴへ、おいしいものを食べに行った訳でもないので、そういう話題はあまり
ありません。
Bluesを聴きに行ったので、それが話題の中心なのですが、食べない訳にはいかないので
食生活も発生します。その貧弱さ(私の)をReportいたします。

NewYorkへ行ったときは、ホテルの近くがラテン系のstreetだったせいもありますが
いわゆるDeliがあったので、不自由しませんでした。が、chicagoには、Deliらしき
ものを見つけることができませんでした。初日は、Bluesを聴かせる、ナイト・クラブ
みたいなところへ行ったのですが、そこは、日本でいうとBarみたいなところで、カウンターと
座席がいくつかある店でした。
料理もあるようでしたが、食べている人は殆どいません。
ビールをちびりちびりと飲む人が大半でした。つまみも無し。
で、最初のステージが9時半ころに終わり(帰る2日前にわかったのですが、私の
時計は、1時間遅れでセットしていました。だから実際は10時半だった)、
店を出ると、やけに、レストラン閉じていました。ピザ屋さんも閉じていました。
うろちょろして、やっと food shopらしき店を発見。でも、食事代わりに
なるのは、サンドイッチとパンだけ。できるだけ野菜がはさんであるものを
選びました。ターキーかビーフが多い。だいたい4$くらい。
ビールもと思い、6本一組になったのから、2本だけ、取ってレジへ
持っていったら、「No!! you cann't」と言っているみたいでした。
なるほど、6本一緒に買わないといけないのかと、わかる。
でもなあ、ホテルには、冷蔵庫もないので、翌日には、暖かくなってしまうけど
仕方がない、買う。あと、アメリカでは、ミネラルwaterが必須だ。
ということで、似たような、食生活が5日間、続いたと思っていいです。
あとで、700mlの缶ビールを売っている店を見つけて、冷たいビールが飲めるように
なりました。ということで、朝は、「star backs」でコーヒーとマフィンに
決まりました。
そして、昼は、Festival会場で、バドワイザーにピザか、スモーク・サーモンの
サンドイッチ。えびチリとか、骨付き肉とか、ハンバーガーもありましたが、
どうもいまいちなので、そうなりました。
会場の料金は、チケット制になっていました。7$で11枚のチケットを買います。
ビールが8枚。水が3枚。食べ物は、8枚から11枚。

その様子です。
http://j-kaz.web.infoseek.co.jp/chicago/food_corner.mpg



Stage

2005年06月24日 23時14分50秒 | シカゴ
今回、初めてビデオカメラを持って行きました。
が、予想通りというか、デジカメでの撮影はOKだったのですが、
Sound Recordingができるものは、ダメでした。
ただし、ちょっとだけ 撮ってみました。

このURLへ接続してみてください。

http://j-kaz.web.infoseek.co.jp/chicago/play1.mpg

 このあとすぐに、監視員が飛んで来て
「don't take !!」だか叫びました。ということで、残念ながら
動画は撮れませんでした。


発音

2005年06月19日 23時56分15秒 | Practice English
今回のChicago旅行に関しては、日記風にノートにメモしてきたので、そのうちに
少しは、まとまったものを載せたいと思っています。
が、とりあえず、断片的に印象的なこといくつか。
一応、英会話をテーマにしたBlogなので、英語に関することなど。
まづ、私が、英語に関して最初にショックを受けたことに関することから。
5年ちょっと前に訪れたNewYorkでのこと、列車内のアナウンス
' door is open ', 'Door is closing' というのが全く聴き取れなかったという
苦い思い出があります。今回は、殆ど聴き取ることができたように思います。
 でも、聴き取りの進歩は感じられたのですが、発音に関しては、自信喪失に
近いものがありました。そもそも、英会話教室の講師に' I am goint to Chicago'
と言ったのに、' Where? ' と聞き返されたことでした。”シカゴ”ではわかって
もらえませんでした。”シカァーゴウ”ってな感じみたいでした。
また機内(United航空でした)でも、Festival会場でも、Night Spotでも、
HotelのBarでもBeer (ビア)とかなり Rの発音を意識しても、1回でわかって
もらったことはありませんでした。
たいてい' Bud ' と言った方がわかってもらえました。
Water しかりです。思い切りよく、よく言われるように日本語風に言うと
 ”ワラ”と言った方が通じました。
今回は、街を歩き回ったおかげで、かなり 生の英語を聴けました。そして、かなり
聴き取れていることが自分でもわかりました。でも、発音は Chicagoという土地柄も
あるのか、NewYorkみたいに寛大に受け止めてはくれないようです。
わかってもらえなかった例は
①ありきたりに L と R 。 交通機関であるCTAには、路線に色がついています。
' Red Line はどこですか' というのが通じませんでした。
② ' Free ' と言ったつもりが 'Three ' と受け止められました。きちんと下唇を
かまないと通じないようです。
③ Festival会場で隣に座った人と、話していて ' She is a writer ' と聴こえたので
 女性のことを話しているとばかり思っていたら 男性だった。 H は 無声音だったと
 いうのを実感。
④ 'Platformも 何度言ってもついにわかってもらえませんでした。破裂音 P も
 きちんと発音しないとダメのようです。ついでにいうと、そのPlatformには 
 「Orange Lineが止まるか」と聞きたかったのでしたが、’オraンジ' ではダメなようで
 たぶん'オーraンジ' と発音しなければならなかったのかも。

相手が、会話してやろうという人であれば、なんとかわかってもらえるのですが、
通りすがりの人の場合は、ちゃんと発音しないとダメなようです。

今夜もJet lag

2005年06月18日 22時13分31秒 | シカゴ
昨夜が午後6時頃から、睡魔が襲ってきましたが、今日は9時頃からでした。
少しづつずれて、元に戻るのでしょう。上の娘は、仕事だったとはいえ大変だったなあ、
と思います。ということで、文章を書くのはまだIt's tough! なので、撮ってきた写真を
アップします。
会場は、GrandParkという大きな公園です。NewYorkだとCentral Parkに相当するでしょうか。
mainのstageと他に stageだけで構成された SubStageと言えるものが4つありました。
MainStageは、定員(イスの数)があるので、遅れて行くと入れません。それでも
フェンスの外には、大きなDisplayがあり、それを みなさん思い思いのスタイルで楽しんで
いました。
さてこの写真は、Festivalの前日に着いて、さっそく尋ねた bluesの演奏を聴かせる
NightSpotの店先です。
泊まったHotelから、歩いて10分(慣れたらのことですが)のところでした。

Jet lag

2005年06月17日 00時59分12秒 | シカゴ
今日もまだ時差ぼけが続いています。
夕方になると猛烈な睡魔に襲われます。今まで、これほどのことは無かったのですが、
行ってからも帰ってからも、時差ボケ対策に失敗したようです。
今日は、英会話のレッスンの日だったので、昨日、デジカメで撮ってきた画像を、100枚ほど
printして、教室へ持って行きました。いつもだと、海外旅行から帰った人には、
speachをさせるのですが、今日は、取り合えず無しということになりました。
たぶん、まだspeachが一巡していないからかと思いました。
でも、来週予定の人がパスしてもいいということになり来週、やることになりました。
今回は、失敗談がいくつかあるので、それを中心に話そうかと思っています。

Chicago Blues Festival

2005年06月15日 22時49分09秒 | シカゴ
Chicagoへ行ってきました。
目的は、Blues Festivalです。
今回は、滞在した5日間、殆どがBlues漬けの日でした。
 Chicagoの街は、とてもきれいな緑の多い街でした。
英語の面からは、考えさせられるというか、得た面も多かったです。
 そのなかでも一番は、発音のことでした。
英会話教室では、あまり厳しく発音のことは指摘されません。
先生の話すスピードも日本人の初心者、中級者を意識したものです。
それからすると、生の英語のスピードというかリズムは、教室のものとは
違っていました。それは、わかってはいたのですが、今回はより強く
感じました。それでも2-3日経つうちに、かなりそのスピードと
リズムにも慣れていくのがわかりました。よく言われる英語モードへの
頭のチューニングです。初日あたりは、ステージ上で発せられる言葉が
よくわからなかったのですが、ところどころ単語が聴き取れるように
なり、たまにはセンテンス毎、聴き取れる状態も生まれました。
客席の隣の人と、とぎれとぎれに会話しているうちに、少し慣れても
きました。
ただ、発音の上では、がっかりすることばかりでした。
Beerを買うときも「ビヤ」では通じず、「バド」だとすぐにBudweizarが
出てきましたが、、、。ミネラルウォータも、品名の綴りがむづかしいので
ウォーラーみたいに言って、これまた通じず。彼らの言うような感じで
「ワラ」みたいに言っても、結局通じませんでした。
市内を走る 環状線があり、それは色で区別されていて Red Lineというのが
あるのですが、みごとに通じませんでした。RとLをハッキリと区別しないと
ダメだというのを痛感させられました。
また、Orange Lineというのもあるのですが、これまた なんど言っても
通じませんでした。
もうひとつ、会話していて、相手の人が、席を一つ確保していて
その人のことを She is a writer for Blues magazine というように言うので
てっきり女性だと思い込んでいたら、来たのは、堂々たる体格の男性でした。
つまり H の発音が S に聴こえていたのでした。
audienceの席についても、席を探している人に対して「空いてます」と言う
つもりで、「Free」と言ったら、Threeと受け取られ、「Oh!No *** three ??」
と早口で言いながら去っていかれました。Fの発音はキチンと下唇をかまないと
通じないようです。ということで、日本人の聴き取れない、発音できない「音」の
全てを体験しました。もうひとつ P も ダメでした。駅で Platform のことを
尋ねたのですが、これまた通じませんでした。いづれも破裂音を伴うもの
ですね。
と話題、失敗はつきませんが、今日は、夕方7時頃からすごい睡魔に
襲われています。Jet lag です。Chicagoに居るときも、うまく乗り切れません
でした。ということで、今夜は、このあたりで。

なぜシカゴなのか

2005年06月01日 00時09分10秒 | シカゴ
シカゴと聞いて、イメージすることは人によって違うでしょう。
映画だと「アンタッチャブル」(私は、まだ見たことがありません)、「逃亡者」の
舞台でもあるそうです。映画よりは、ブロードウェイのミュージカルで有名な「CHICAGO」
(2年前に、NYのブロードウェイで観ました。よかった)。
私の義弟などは、ビジネス絡みで2-3度行ったことがあるらしい。かのオートバイで有名な
ハーレー・ダビッドソンの工場でもあるのか、商談のために行ったそうだ。
娘が以前、仕事で「Chicagoに行くけど何がいいのかな、音楽?」と聞いてきたので、
それは「やっぱりChicago Bluesでしょう!!」と言っておいた。
でも、どうやらこの二人は、残念なことにDowntownには案内もしてもらえず、自ら足を
運んだこともないそうだ。
で、私の場合は、なんと言ってもBluesなのです。それも ミシシッピ川流域で生まれた
初期のカントリー・ブルーズではなく、もう少し洗練された Chicago Bluesなのです。
'73年頃に初めて聴いたのが、マジック・サムという人のレコードで、それまで聴いたことの
ある B.B Kingとは違う、力強くシンプルな音にすごく惹かれました。
だが、その当時は、まさか自分がChicagoにまで行くことになるなどとは、思ってもいなかった。
その後、ギターを買って、Bluesらしき音を出す練習などもしたが、時代はRockであり、
私も、FusionだのJazzなどに、うつつを抜かすことが続く。
そんな中で、Eric Claptonが Southern Rockから Bluesに帰り、マイナーだったBluesを
少しだけmajorにしてくれたかな。
 ということで、私にとってのBluesとは、聴くことも観ることも含めて、長年の夢なのです。