50歳で始めた海外ひとり旅 と 自費出版

50歳にして「海外ひとり旅」の楽しさを知る。最近は野菜づくり、本づくりにも挑戦。

ミャンマーを旅する その2

2016年11月29日 23時54分02秒 | ミャンマーへ

< 前回(その1)からの続き >

 前日の夜、Hotelに着くと、娘が待っていた。そこは、Down Townよりは手前のエリアだそうだ。
それでも中心部のはずだが、とにかく周りが暗い。街灯が無いから暗いのか、電力供給能力が
ないからなのかは、わからないが、たぶん後者だろう。
 で、このhotelに入るときに驚いたことがある。日本といわず欧米のHotelでも経験したことが
ない事があった。
 Hotelの入り口の横に、空港にあるセキュリティ・チェックと同じような設備があるのだ。
車から降りるとドア・マンがスーツ・ケースを持ってくれるが、それをセキュリティ・チェック
へと運び、あのベルト・コンベアの上に載せる。私たちが身に付けている小さなBagも
それに載せる。空港と同じだ。そして、客である私たちも、例のGateみたいなのを通る。
そのようにして Hotelに入るのだった。通常のHotelの出入り口で言うと、出口だけが
フリー・パスのドアなのでした。
 それ程、治安が悪い国だとは聞いていなかったので、かなり驚いた。
エレベーターも、Room Card持っていないと、上階へは行けない(これは、日本のHOTELでも
お目にかかることがある)。
料金は日本円で1泊二人で16,000円(朝食含む)くらい。始めて体験したことと言えば
 翌朝、勝手に全面ガラス張りの窓のカーテンが開いたことだろうか。
かと言って、客は別に外国人セレブばかりではない。

と、HOTELの良さに驚いていると、もう窓の外は暗い。夕食に行くことにした。空港でチャーターした
車に乗ってイタリアン・レストランへ移動。娘が言うには、Localのレストランで食べると、たぶん
腹具合がおかしくなるとのこと。

 そのレストランへ車で移動するのだが、周りが暗くて営業しているのかわからないくらいだ。
中に入ると、ちゃんとしたレストランだ。だけど私たち以外には客は居なかった。
しばらくすると、現地の人と思われる若いカップルが入って来た。男性の方は花束を持っていた。
たぶん相手の女性に対する何かのイベントだったのだろう。

店のサービスは、日本のちゃんとしたイタリアン・レストラン並みだ。
で、私たちが食事をしている間中も、チャーターした車の運転手は駐車場で待っている。
この後、Hotelへ戻り。娘夫婦は、その車で帰って行った。たぶん日本では考えられないほど
車を1台チャーターするのは、低料金なのだろうと思う。翌朝も、その車が私たちの
市内観光の迎えに来るとのことだった。

< 2016年11月11日 > 2日目 天候 曇り

この日の朝は、早く起きる必要もなかったが、カーテンが勝手に開き眼が覚めた。
前夜は解らなかったが、Hotelの左手を見降ろすとプールがあり、道路越しには湖が見える。
 片側3車線の道路には、まだ車も少ない。湖のほとりは、散歩コースとのこと。
朝食の後にでも行ってみようと思った。
今日の午前中の予定は YANGON最大の寺院 Shwe Dagon Pagaoda へ行くことだけだ。
なので、娘がチャーターした車は、10時半に来る。

 なので、ゆっくりとHOTELの朝食を楽しむようにとのことだった。HOTELの朝食は、フレンチで
YangonではTopクラスのサービスだとのこと。
 確かに、その階の全てを使ったスペースでのビュッフェだった。基本はフレンチだが、ちゃんと
Local foodのコーナーもあって、かなりのものだった。
とにかく、メニューが豊富。チーズは特に種類が多かった。パン(というかBread)のコーナーも
充実していた。コーヒーは頼むと、1杯づつ淹れてくれ、Tableまで持って来てくれる。
American、British Styleとは違うが食べ過ぎてしまうほどだった。

 が、食事を始めたら、いきなり停電したのには驚いた。 そうか、Ynagonの中心部でも停電すると
いうことが、この国の現状だというのを痛烈に感じた。
まだまだ、インフラの整備が、首都ではないが、経済の中心であるYANGONでも整っていない
ということを示していた。

 朝食を済ませて、予定どおり10時半にロビーと行く。既に、この日お世話になる車が来ていた。
車は娘がチャーターしていて、予定も組んであり、まず最初に一番有名な Shwe Dagon Pagaoda
へ行くことになっていた。
で、通常だと20-30分で着くはずなのに、やたらと道路が渋滞している。運転手に尋ねるが
解らないとのこと。普通だと15分くらいで着く Shwe Dagon Pagaoda に、何んと1時間くらい
掛かった。運転手に「今日は何かのお祝い事でもあっているのか」と聞いたが「何もない」との
こと。

<< Shwe Dagon Pagaoda ヘ>>
 
 Pagaodaの敷地内に入ったにも関わらず車は遅々と進まない。やっと受付のゲートを通り
入口に着いた。運転手に、かなり時間を費やしたので、「40分くらいで出て来る」と言って
Pagaodaへ向かった。


<一番高い Pagoda >

施設内に入ると、エレベータがあった。乗り込もうとすると、男性が乗ってきた。
「施設のガイドができる」と、聴き難い日本語で言ってきた。じっくり観て回る時間もないし、
解説を聴くほどの関心もなかったので断った。すんなりと去っていった。

エレベータを降り、外へでるといきなり すごい建物が眼に入ってきた。



この手の史跡は、以前、BANGKOKでも見たが、こちらは規模がすごい。修復工事なのだろうか、
上部を金箔で覆う工事のようだ。後で娘から聞いたことだが、要するに、現地の人たちは
これらの建物(?)を、史跡、歴史的遺産とは考えていないそうだ。なので、傷めば、修理、
修復するとのこと。なので、世界遺産にはなりえないと。

 それは、それで「良い」でのではなかろうかと思った。

 << 続く >>







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初めてアルプスへ行ったとき

2016年11月26日 01時00分18秒 | スイスへ2012年

今夜の BS放送で、スイス・アルプスを訪れるという番組が放送された。その目的地がGrindelwaldを
経て firstの展望台へ行き、Bachalpsee(湖)へ行き、Schreckhorn(シュレックホルン/4078m)が
湖面に写るところを取材するというのが 目的だった。
 私の場合も、スイス・アルプスでの最初の目的地がそうであった。
事前の知識もなく、必死の思いで行ったと思う。今になって思うと、かなり無謀な点もあったように
思える。この放送の取材は、7月過ぎくらいではないだろうか。湖の周辺に雪が残っていなかった。
旅人もTシャツという服装だ。

 この放送を見て そのときのことが蘇ってきた。このBLOGにも書いてはいるが、あまりにも
あっさりと書いている気がしてきた。もっと書いておきたいことがあるように思えてきた。
旅の紀行文などを書こうとか思って「旅」をした訳ではないので、メモを細目に取ることもして
いない。頼りになるのは、写真だろうか。結構、枚数だけは撮っているようなので、
もう少し細かいいきさつ、気持ちなど書けないだろうかと思った。

 いま思い返すと、無謀なことをやっているな、と思う。
Inishi・mor島への旅。
Scotlandの High Land地方へのドライブ、そしてSkye島の Old Man of Storへ登ったこと。

ま、冒険というほどの内容ではないが、「1人旅」を始めて、ほぼ15年が過ぎた。
じっくりと 思い返し、見直してみたい気になった。かな?







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ミャンマーの旅 Local food

2016年11月24日 00時12分17秒 | ミャンマーへ

あまり旅先などで、料理を写真に撮ることはしないほうだ。
特に、レストランとかではしない。が、たまに、オープンな場所だったりすると
撮ることがある。今回の旅では、3回ほどLocal Foodを食べた。そのうちの2食がこれだ。

(1) YANGONでの2日目 Down TownのOpen Cafeで食べた Lunch



ご飯が盛られた皿は、各自(3人)の分が出て来た。これに4品を注文し、シェアした。
画面、左手の奥に見えるのは、ビールを頼んだら出てきたピーナッツ。実はこれが、香ばしくて、
乾いていて カリカリ感があるが、おいしかった。なので翌日、ショッピング・モールへ行き
日本へのお土産として5袋ほど買った。
さて、料理は大半がカレー風味。真ん中の左手の皿は、肉ダンゴみたいな感じで、カレーのルウが
沈殿してOilと分離している感じだ。娘によると Oilは植物性のものとのこと。
その隣の赤いのはトマト、その奥の右手の皿が、ちょっと怪しい感じでピーマン系と地元の野菜を
混ぜたもの。その左手の皿はBeefだったと思う。

夕食は、フレンチを食べたのだが、その夜に腹具合がおかしくなり始めた。

(2)3日目、飛行機でBAGANへ移動
Baganで、仏舎利塔などを見学し、昼時になったので、運転手兼ガイド(20代半ばくらいか)がお薦めの
観光客向けのレストランへ行った。
屋根が柱で支えられただけの構造で、オープンCAFEみたいな感じのスペースにテーブルが置かれている
だけだ。たぶん80-100人くらいは収容できるのではなかろうか。ほぼ満席だった。
メニューはシンプルで、ランチA、ランチBみたいな感じだ。もちろん単品もあったようだが
定番のランチがお得で、すぐ出てくるとのこと。出てきたのがこんな感じだ。



たぶんライスは御代わりOKだっただろう。3人分相当の料理が盛られた皿が出て来た。
それぞれの料理が何なのかは、全く説明もなく分からない。要するにLovcal Foodの典型的な
ものなのだろう。これは結構スリリングな食事だった。そのまま食べれるのもあるし、カレーの
ルウの感じでご飯に掛けながら食べた。
どれが、おいしいのか、試しながら食べる感じだった。どちらかと言うと「うん、これは まあ
食べられる」みたいな感じだ。「これは、おいしい」と感じたのは無かった気がする(それ位
印象に残るものが無かったかな!)
 因みに、1人当たり 400円くらいだった。安い!!!

=========

この後も、毎日、正露丸のお世話になることになった。ということで、申し訳ないが、ミャンマーの
Local Food は、私には合わなかったようだ。いや、原因は料理ではなくて、 水だった可能性も
高いので、断定はできない。

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ミャンマーの旅 Episode 1

2016年11月23日 00時35分58秒 | ミャンマーへ

50歳(正確には49歳?)で海外旅行へ年に1度ほど行くようになったが、今回、初めて体験した
ことがある。
 それは、腹の具合が悪くなったことだ。
11月10日にミャンマーのYnagonに到着し、夕食から現地での食事が始まった(機内食はタイ料理)。
このときは、娘夫婦と一緒に地元のイタリアン・レストランで食事した。
娘の夫(米国人)曰く、「今でも、ミャンマー料理を食べると胃の調子がおかしくなるときがある」とのこと。
なので、気を使ってミャンマー料理の店を外したそうだ。
この日、泊まったHOTELはフランス系で朝食もフレンチなので心配ないとのこと。
で、次の日、午前中は、Yangon市内にある有名なパゴダを見学し、お昼どきにDowntownで
娘と落合い、外国人が多く来る open CAFEへ行った。確かに客は外国人ばかり。
Open Cafeなので、騒々しいが、賑やかだ。そこで、地元のビールを頼み、食事は
Local Foodに挑戦することになった。出てきたのは、何というか、日本だと 和え物みたいな
感じで小さな皿に盛られていた。地元の野菜とかが使われていて、「おいしかった」。
 が、このあと何んとなく 腹具合が微妙な感じになってきた。
この後、お土産屋とか、地元のMarketなどを観てまわり、Hotelに帰った。
そして、夕食は、Savoy Hotelの1Fにあるレストランだった。
もちろん、ここでは Local Foodのメニューは無かった。
 が、Hotelに帰ってから、なんとなく腹具合が悪いのは続いた。
 日本に帰ってきてからも続き、やっと2日前(20日)に治った。

原因は、何なのかは、よくわからない。娘は水だと言う。洗面台でのうがいに 蛇口からの
水を使ったからだ、と。確かに、HOTELの洗面台には、ペットボトルの水が、どのHOTELにも
置いてあった。  なるほど、そういうことか、とは思った。
が、私としては、やっぱり Local Food(野菜が使われた煮込み料理)が原因だと感じている。
 
総じて、ミャンマーに対して、腹具合が悪くなったからと言って、全く「悪い印象」は持って
いない。

 それどころか、愛すべき 純朴な 国民性を感じた。

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ミャンマーを旅する その1

2016年11月19日 16時25分54秒 | ミャンマーへ

< 2016年11月10日 > 1日目

 娘が4年近く前から住んでいるミャンマーへ行くこと決めて具体的に動きだしたのは夏の頃だったか。
そもそもミャンマーという国には、殆ど興味はなかった。ア・ウン・サン・スーチーさんが
政治的なことで政府と対立し、不当にも軟禁されたという程度のことはTVなどで知ってはいた。
が、その程度の知識、認識しかなかった国だ。

旅先の候補としては、私の関心の対象ではなかった。知り合いに、若い頃に東南アジアから
インドにかけてバックパックの旅をした者はいる。が、私は、あまりそういう旅のスタイルを
する気はなかった。今も無い, かな?!

そういう場所なので、案内役の娘がいることだし、今後行くこともないだろうと思い、行くことにした。
現地での案内役もいるので、自分1人で行く旅に比べると、事前の調査も、手配も無用だ。
現地のホテル、国内移動の航空券も娘が手配してくれている。
 ということで、「一人旅」とは違うスタンスで臨むことにした。

行った先は、経済の中心地 Yangon、仏教遺跡が残るBagan、大きな湖インレー湖(Lake Inle)だ。

=============================---

今回は、航空会社はタイ航空を使った。これまでは格安航空券サイトを利用することが多かったが、
今回は、出発を福岡空港とし、帰路は羽田空港としたかったので、直接、タイ航空のサイトから
予約した。格安航空券サイトだと、普通は往復航空券しか扱ってないことが多いからだ(単独で
往路、復路を申し込むと高くなり格安ではなくなる)。タイ航空の英語版のサイトからだと
これができる(日本語版のサイトからも出来るのかも知れない)。価格は7万円弱。
これに、VISA取得の5,000円が必要だった。
経路はバンコク経由のヤンゴン行きだ。

当日は、いつもよりも早起きして歩いて高速バス乗り場へと行く。
予定より少し遅れて福岡空港国際線ターミナルに到着。タイ航空の受付カウンターはJALが代行
していた。「タイ航空はANAと提携しているはずだが」と思ったがANAカードにマイルが加算されれば
別にどうでもよいことだ。
カウンターには、すごい行列。他の航空会社よりも圧倒的にタイ航空の利用客が多い。
順調に手続きは終わり、予定どおり11:50にBangkokへ向け飛び立った。
隣に座っていた若者二人が「何だJALだと思っていたのに、、」とガッカリした様子。
JALとの共同運航だったのだ。
タイ航空だと機内の映画も日本語音声のものは少ない。洋画の場合、字幕が中国語の場合が
多い。観たのは
・「Ghostbusters」-- 言葉にの速さに着いて行けないが映像だけで内容はわかる。
・「INDEPENDENCE DAY: RESURGENCE 」-- 最近、よくある異星人とのドンパチばかりで面白くなかった
  のと難しい単語が多くて途中で止めた。
・「REBORN(ターザン)」--- まだ耳が慣れてないが、まあ、筋書きはわかるので最後まで観た。
ここで、日常会話が多い映画を探し
・「The Best Exotic Marigold Hotel」(邦題『マリーゴールド・ホテルで会いましょう』)を観る。
  --- British Englishなまりだが、最近の私は、米英語より聴き易く感じる。やっとこの
    あたりで、耳が慣れてきた。

Bangkokも、もうすぐだった。約6時間の旅。

Suvarnabhumi International Airport(スワンナプーム国際空港)に到着。この空港はヨーロッパへ
行くときも使ったので様子はだいたいわかっている。Transferなので、何の手続きも必要ない。
Yangon行きのゲート付近は、店舗も少ない。利用者が少ないからだろう。
3時間待って、現地18時過ぎに、Yangonへと向かう。飛行機も小さく左右に2席だ。
約1時間半の旅だ。現地はBangkokよりも30分の時差(遅い)、19時頃に到着。
もう辺りは真っ暗闇。入国審査も VASAのプリント1枚と、機内で書いた入出国届みたいな
ペーパーがあるからか、担当官とは「ひとこと」も交わさずに、通過。
このVASAのプリントには、VISA*** みたいな表記のゴム印が押されるのだが、出国するまで
持っている必要があるようだ。
 空港には義理の息子がタクシーで迎えに来ていた。
車は日本車の右ハンドル。だが、走行車線は右側だ。なので、乗っているとちょっと妙な感じがする。
何でも、走っている車の8割ほどが日本の中古車だそうだ。品質が良いからというのがその理由
とのこと。月も出てないため、道路の左側は真っ暗闇。街灯が殆どないためだ。
だが、道路は片側3車線で、それなりに整備されている。英国の統治下の際に整備されたようだ。
 Yangon中心部までの途中、道は車で溢れていた。
この日の宿は、中心部から2kmほど離れたKaba Aye Pagoda という通りに面した比較的新しい
Hotelだった。1泊約15,000円。日本だとこの2-3倍払わないと泊まれないかも知れない。

 < Hotel MELIA YANGON >

    https://www.melia.com/en/hotels/myanmar/yangon/melia-yangon/index.html

それから、チェックインのとき受付の担当者からカードを出してと言われ、出した。すると何かいつもは聴かない単語が並んだ。" sorry,What?"と尋ねたら、隣に居た娘が横から担当者に尋ねてくれた。
depositだろうと思ったが、少し違うようだった。あとで調べると、これはどうやら
「プリオーソライゼーション」という扱いのようだ。カードの請求が来たときにわかるだろう。


到着したときは、周りの様子がわからなかったが、翌朝、外を眺めると道路越しには結構大きな湖があり、
隣接した土地は大規模な工事が始まっていた。



  << 続く >>


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Baganの遺跡

2016年11月13日 21時14分23秒 | ミャンマーへ
Yangonから飛行機で約1時間でbaganに到着。とんでもなく多くの遺跡が残っていた。不思議な光景だ。
現地のお祭りと3連休が重なったとかで凄い人出だった。その為、日本で言うと参道見たいな場所で裸足になる必要があった。これには最初は戸惑った。夜、夕食のためにホテルの外に出ると街灯がすくなくて暗闇状態だ。
レストランとかも簡易な作りで大き目の屋台みたいな感じだ。がちゃんとした味で一人400円くらいで食べきれないほどだ。
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ミャンマー到着

2016年11月11日 09時49分01秒 | ミャンマーへ
福岡空港を経てbankok経由でミャンマーの首都Yangonに到着した。空港は熊本空港より少し大きい位。中心部へ行く車から外を見ると真っ暗闇だ。要するに街灯が殆んど無い。中心部に来てもやはり、全体的に暗い。ネオンサインがあまり見られない。多分、電力の供給が不足しているのだろう。朝、起きて外を眺めると素晴らしい景色だ。目の前の湖へ行きたいが、道路には信号がない。横断歩道を渡るのは命懸けに思える。人が渡ろうとしていても車は止まる気配が無い。
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玉葱が、、、、ちょっと

2016年11月09日 01時31分31秒 | 家庭菜園

まがりなりにも、農作物を作っていると、10月、11月、12月の初めは忙しい。
が、この時期に植える作物は、とても有用であるにも関わらず、意外に簡単で、まとまった量が期待できるものだった。
その代表各の「大根」が、見るも無残な姿になっていた。
<< 虫に食われた 大根の若芽? >>



農業の物まねみたいなことを始めた5年前、実に簡単に大根が育ち収穫できた。が、今年は出だしから
躓いている。なんと、芽が出て葉を付けて育つはずが、壊滅状態だ。葉が虫に食べつくされていた。
かなり、ショック。畑を貸してくれているオーナーに尋ねると、「今年の10月は異常に暑さが続いたせいで、
虫が繁殖したからではないか」とのこと。殺虫剤、農薬を使わないと防げない、とのことだった。
 ということで、種まきの時期はずれてしまうが、再度、今日、種を追加で蒔いてきた。どうなることやら。

続いて「玉ねぎ」

昨日は、そろそろ玉葱を植える頃だと思い、苗の販売店へ出かけていった。ところが、本日は完売と
表示されていた。次の入荷予定は、数日先だった。その日は、ミャンマーへ行っているので買えない。
ということで、本日、行きつけの苗屋へ「玉ねぎの苗はありますか」と電話した。すると「もう、ありません。
次の入荷はわかりません」とのこと。「どうしてですか?」と聞くと「今年は、入荷が少ない」ということだった。
そこで、たまに行くホームセンターへ行くと、そこにも無かった。まさか、あるはずは無いと思って行った
ホームセンターに5束(250本)が残っていた。見ると、かなり苗の状態が悪い。太さもバラバラで、、、、。
が、仕方がないので、3束買った。植えた状態は、以下のような感じ。苗の上部が黄色だ。



さて、10月初旬に植えた ニンニクは、まあまあ順調に育っているようだ。
昨今は、ニンニクの種玉(?)が、やたらと高価格だ。なので、今年の春(地震の後)に収穫し、乾燥させて
残しておいたのを使ったのだった。そもそも、生育が悪く小さなのばかりだったが、意外に葉ぶりは
良く、育っていた。



 さて、明後日は、ミャンマー行きなので、10日ほど 留守にするが、その間に、ちゃんと育ってくれれば、、、

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