50歳で始めた海外ひとり旅 と 自費出版

50歳にして「海外ひとり旅」の楽しさを知る。最近は野菜づくり、本づくりにも挑戦。

自費出版 NY&PEI その5

2019年03月31日 23時34分17秒 | 自費出版

タイトルを変更しました。

歳のせいと思うが、暫くPhotoshopで細かい作業をしていないとツールの使い方を忘れてしまう。最近はPhotoshopを使うといっても JPEGの画像データをCMYKに変換したり解像度を上げたり、色調を変えたりするくらいだったからだろう。
北米大陸の地図を作るのに3日もかかってしまった。それも、かなり手抜きだ。、
これをEPS形式で保存して完成だ。
でも、まだこのあと2つも作らなければならない。


自費出版 4冊目 その4

2019年03月30日 01時38分52秒 | 自費出版

地図づくり 1

今日は、本づくりの中で一番面倒な、地図を作ることにした。
(1)Princd Edward島の地図(詳細)
(2)Canada, USA を含む北米地図
(3)SharlotteTownのStreet Map
地図は、Google MapをCopyして、掲載するのは違法なので、適当な旅行本の中から
使えそうなのを探し、その上にトレーシング・ペーパーを重ねて、輪郭を手書きで
写し取る。それをprinterでScanしてJPGに変換する。
それをPhotp shopに読み込み、その輪郭に沿ってブラシ・ツールで色を塗っていく。
 今日は、北米大陸に取り組んでみた。
Princd Edward島がどこに位置しているかを、まず示す必要があるからだ。
あらためて地図を眺めてみるとPEIの小さいこと。

 久しぶりに、スポイト・ツールやブラシ・ツールを使って細かい塗りをやった。
疲れます。腕や肩によくない作業だと思う。で、今日は完成に至らず。


自費出版 4冊目 その3

2019年03月28日 00時28分43秒 | 自費出版


自費出版 4冊目 その3

 旅行記を書く(作る)ときに、特に私のように無線工学(無線通信を含む)をやってきた人間には、文章を面白おかしく書くという芸はない。
 なので、文中の写真は重要な位置を占める。

でも、当時、旅をしていた頃は、カメラで風景を撮ることよりも、映像で残すことの方がメリットがあると思っていたようだ。
なので、ビデオ・カメラを多用している。この旅のときは、一眼レフカメラはCanonのEOSのX*だった。当時はまだ、SDカードの容量が512MBくらいの時代だった。

なので、動画は一眼レフカメラでは、短い時間した撮れなかった。
ということで、当時は60分ほどの動画を撮るのにはTAPEが使われていた。
 この旅では3本を使っていた。

CANONのEOSで撮った写真は、それなりに良いのだけど、いかんせん枚数が少ない。
 旅の場面、場面に即した映像は、ビデオ・データにしか残っていなかった。

ならば、なんとかVideo DATA(AVI形式のデータ)を、使うしかないと思った。
幸い、そのAVI形式の全てを、DVDに保存していたので、それを使うことにした。
 それで、このVideo DATAから、動画再生アプリで再生しながらスナップ・ショットを
取り出してみたが、どうもボケた画像しか取り出せない。
 なんとか1コマづつ、JPEGに変換するアプリはないものかと、探したら
 Free Video to JPG Converterという フリーのアプリを見つけた。
これは、すごいのだけども、吐き出すファイルの数も凄い。

 どれを採用するかで、かなり時間がかかりそうだ。
でも、これをやってみた。

 処理された画像データのサイズは 720×540だった。この画像サイズだと 印刷のクオリティーにはちょっと、もの足りない。

 でも、画質のクオリティーが低くても、一眼レフで撮った画像データが少ないので仕方がないだろう。

PhotoShopで どれだけ補正ができるのか、わからない。

とにかく、12GBの動画を、JPGに1コマずつ吐き出したのを、チェックするだけで大変そうだ。

========

 考えてみると、New York経由で プリンス・エドワード島へ旅したのも11年以上も前の出来事だ。本にしてみようと思ったものの、当時の資料が全く見当たらない。
 当時の私は、まさか本にするなんてことは考えていなかったからだろう。


自費出版 4冊目 その2

2019年03月25日 02時13分22秒 | 自費出版


 想い返すと「海外ひとり旅」みたいなテーマを自分で勝手に決めて年に一度、海外へ旅をするようになった。思えば、それなりのきっかけがあったと思う。
日本経済のバブルが弾け、私が勤めていた会社でもリストラみたいなことが始まった。
私はいわゆる「団塊の世代」の最後の世代か、その後の世代とか言われている。
 いつも世の中の制度が(悪い方へ)変わるときに、その対象になる。
世の中がまだ60歳定年だったのに、私がいた会社は「東京、大阪などの大都会で就業できない者は、50歳で退職し子会社へ転籍しなさい」ということになった。
 私はいまさら、東京、大阪へ転勤する気もなかった。
といういことで、退職し子会社へ転籍した。
 ま、それで、私の華麗(?)な「サラリーマン生活」は終わりを告げました。

いま思うと、そういう会社へのうっぷんもあったのかも知れません。
 「海外へ行こう」と思ったようです。
その旅の中で、印象深い(あまり良い意味ではありませんが)PEIの旅でした。

 想い返すと「海外ひとり旅」みたいなテーマを自分で勝手に決めて年に一度、海外へ旅をするようになった。思えば、それなりのきっかけがあったと思う。日本経済のバブルが弾け、私が勤めていた会社でもリストラみたいなことが始まった。私はいわゆる「団塊の世代」の最後の世代か、その後の世代とか言われている。 いつも世の中の制度が(悪い方へ)変わるときに、その対象になる。世の中がまだ60歳定年だったのに、私がいた会社は「東京、大阪などの大都会で就業できない者は、50歳で退職し子会社へ転籍しなさい」ということになった。 私はいまさら、東京、大阪へ転勤する気もなかった。といういことで、退職し子会社へ転籍した。 ま、それで、私の華麗(?)な「サラリーマン生活」は終わりを告げました。いま思うと、そういう会社へのうっぷんもあったのかも知れません。 「海外へ行こう」と思ったようです。その旅の中で、印象深い(あまり良い意味ではありませんが)PEIの旅でした。記憶を呼び戻して、再度、書いてみたいと思います。




米国南部の旅 その5

2019年03月17日 00時55分52秒 | New Orleans


 New Orleansの旅については、次女が計画を立ててくれた。私が以前から「New Orleansへは何としてでも行ってみたい」と言っていた。でも彼女と彼女の夫(米国人)も「あそこは一人で行くところではない」と言われていた。それは、2005年8月末に米国南部を襲った超大型ハリケーン「カトリーナ」の影響で街が壊滅的な打撃を受け、治安が悪くなった。それは、まだ今も少なからず残っているからだという。
 でも、もう13年も経過したからなのかは、わからないが次女夫婦が計画を立ててくれた。
 2018年の2月頃には、航空券の予約もしてくれた。
宿泊は、New Orliensだけは、Hotelに泊まるが、Memphis、Nashvilleは、民泊とでも言えばいいだろうか、個人の所有する家を借りる形だった。
私も2年前にコッツウォルドへ行ったときに、Cheltenhamでは、大学生が所有するアパートの1室を借りたことがある。その予約システムは Booking.com だった。でも、現地ではその大学生のオーナーに電話をして部屋の鍵を受け取るというシステムだった。
 なので、英語が全くダメな人には薦められない仕組みだった。
だが、米国の場合は、もっとシステム化されていて、Web上で希望の部屋を探し、申し込むと、オーナーと接触することなく、一軒家を借りることができる。
英国よりも一歩進んだシステムになったいた。
 当然ながら、現地で使えるスマホを持っていることが条件となる。

ただ、その現地で(New Orlieansだからなのか、スマホ(私の場合は、iPhone)のための SIMが簡単に入手できなかった。これは意外だった。Londonでは、ヒースロー空港内のあちこちで SIMが売られていて、街中にもSIMを扱うSHOPが簡単に見つかった。
中心部ではSIMを厚かるShopを見つけることができず、郊外まで電車で行き入手することになった。

 ということで、この旅は、私にとっては、色んなことを経験することができた旅でした。

気力と集中力が衰えてきたのか、旅の概要をまとめるのが、ちょっと「しんどく」なった気がする。

なんとか、この貴重な旅のことをまとめてみたい気持ちも湧いてきたかな。

ということで、New Orlieansといえば ルイ・アームストロングなので、
写真を掲載します。
路上ライブも3日目のグループがなかなか良かったので それもアップします。



  << ルイ・アームストロング公園にある銅像>>



 <<公園内のモニュメント 1>>


<<公園内のモニュメント 2>

 

<< いかした路上LIVE >>


 





自費出版 4冊目を

2019年03月12日 00時21分30秒 | 自費出版


 実は、3冊目として作った「気ままに自転車旅 アイラ島・湖水地方」が、これまでの2冊と違って評判が良い。その前の2冊はどちらかというと友人・知人も義理買いしてくれた感じだった。親戚などにはタダであげた。
3冊目は、これまで何の反応もなかった知人二人が即座に「買う」と言ってくれた。
理由は簡単だ、本文を見る前に「カバーが綺麗、今までのと全然違う」ということだった。
その感想は全く当たっている。
 作ったアプリが違うからだ。前の2冊は「パーソナル編集長」という廉価なもの。
3冊目は、業界標準の 組版ソフト InDesign と PhotoShopに Illustratorを駆使して作った。運よくプロのデザイナーとボアランティア活動での小冊子作成でかかわることになり、印刷のノウハウを教えてもらったから、できたことだ。

で、先日、3冊目を買ってくれた旅好きな知人が「プリンス・エドワード島へも行ったそうですね。私の姪が『プリンス・エドワード島へ行きたい』、と言っているので情報を提供してもらえませんか」と言ってきた。で、「ハイ、いいですよ。いつか本にしようと思い下書きは書いていますから、それをまとめてみます」と返事をした。

ということで、数日前から、その下書きのテキストを InDesignに流し込んでみた。
が、あまりパッとしない。なぜかというと、いい写真が少ない。
 それは、この頃は、まさか本にするなんてことを考えていなかったので、静止画よりも
動画を重視していたからだと思う。

旅の記録としては確かに動画の方が、訴えやすい。ただし、字幕を入れたりBGMを入れたりという作業hs発生し、手間はかかる。
 ただし、本の場合は、きれいな画像が必要だ。
今、そのときの画像データをみると、数も少ない。これというものが無い。
でも旅の経験談としては、とてもおもしろい。私の英語力のピークだったようにも思える。

なので、2-3日かけてプロトタイプを作ってみた。
A5版で120ページくらいにはなりそうだ。

校正、推敲をすれば、なんとかなりそうな気がしてきた。
表紙に使いたいのは、この画像だ。