タイトルを変更しました。
歳のせいと思うが、暫くPhotoshopで細かい作業をしていないとツールの使い方を忘れてしまう。最近はPhotoshopを使うといっても JPEGの画像データをCMYKに変換したり解像度を上げたり、色調を変えたりするくらいだったからだろう。
北米大陸の地図を作るのに3日もかかってしまった。それも、かなり手抜きだ。、
これをEPS形式で保存して完成だ。
でも、まだこのあと2つも作らなければならない。
地図づくり 1
今日は、本づくりの中で一番面倒な、地図を作ることにした。
(1)Princd Edward島の地図(詳細)
(2)Canada, USA を含む北米地図
(3)SharlotteTownのStreet Map
地図は、Google MapをCopyして、掲載するのは違法なので、適当な旅行本の中から
使えそうなのを探し、その上にトレーシング・ペーパーを重ねて、輪郭を手書きで
写し取る。それをprinterでScanしてJPGに変換する。
それをPhotp shopに読み込み、その輪郭に沿ってブラシ・ツールで色を塗っていく。
今日は、北米大陸に取り組んでみた。
Princd Edward島がどこに位置しているかを、まず示す必要があるからだ。
あらためて地図を眺めてみるとPEIの小さいこと。
久しぶりに、スポイト・ツールやブラシ・ツールを使って細かい塗りをやった。
疲れます。腕や肩によくない作業だと思う。で、今日は完成に至らず。
自費出版 4冊目 その3
旅行記を書く(作る)ときに、特に私のように無線工学(無線通信を含む)をやってきた人間には、文章を面白おかしく書くという芸はない。
なので、文中の写真は重要な位置を占める。
でも、当時、旅をしていた頃は、カメラで風景を撮ることよりも、映像で残すことの方がメリットがあると思っていたようだ。
なので、ビデオ・カメラを多用している。この旅のときは、一眼レフカメラはCanonのEOSのX*だった。当時はまだ、SDカードの容量が512MBくらいの時代だった。
なので、動画は一眼レフカメラでは、短い時間した撮れなかった。
ということで、当時は60分ほどの動画を撮るのにはTAPEが使われていた。
この旅では3本を使っていた。
CANONのEOSで撮った写真は、それなりに良いのだけど、いかんせん枚数が少ない。
旅の場面、場面に即した映像は、ビデオ・データにしか残っていなかった。
ならば、なんとかVideo DATA(AVI形式のデータ)を、使うしかないと思った。
幸い、そのAVI形式の全てを、DVDに保存していたので、それを使うことにした。
それで、このVideo DATAから、動画再生アプリで再生しながらスナップ・ショットを
取り出してみたが、どうもボケた画像しか取り出せない。
なんとか1コマづつ、JPEGに変換するアプリはないものかと、探したら
Free Video to JPG Converterという フリーのアプリを見つけた。
これは、すごいのだけども、吐き出すファイルの数も凄い。
どれを採用するかで、かなり時間がかかりそうだ。
でも、これをやってみた。
処理された画像データのサイズは 720×540だった。この画像サイズだと 印刷のクオリティーにはちょっと、もの足りない。
でも、画質のクオリティーが低くても、一眼レフで撮った画像データが少ないので仕方がないだろう。
PhotoShopで どれだけ補正ができるのか、わからない。
とにかく、12GBの動画を、JPGに1コマずつ吐き出したのを、チェックするだけで大変そうだ。
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考えてみると、New York経由で プリンス・エドワード島へ旅したのも11年以上も前の出来事だ。本にしてみようと思ったものの、当時の資料が全く見当たらない。
当時の私は、まさか本にするなんてことは考えていなかったからだろう。
想い返すと「海外ひとり旅」みたいなテーマを自分で勝手に決めて年に一度、海外へ旅をするようになった。思えば、それなりのきっかけがあったと思う。
日本経済のバブルが弾け、私が勤めていた会社でもリストラみたいなことが始まった。
私はいわゆる「団塊の世代」の最後の世代か、その後の世代とか言われている。
いつも世の中の制度が(悪い方へ)変わるときに、その対象になる。
世の中がまだ60歳定年だったのに、私がいた会社は「東京、大阪などの大都会で就業できない者は、50歳で退職し子会社へ転籍しなさい」ということになった。
私はいまさら、東京、大阪へ転勤する気もなかった。
といういことで、退職し子会社へ転籍した。
ま、それで、私の華麗(?)な「サラリーマン生活」は終わりを告げました。
いま思うと、そういう会社へのうっぷんもあったのかも知れません。
「海外へ行こう」と思ったようです。
その旅の中で、印象深い(あまり良い意味ではありませんが)PEIの旅でした。
想い返すと「海外ひとり旅」みたいなテーマを自分で勝手に決めて年に一度、海外へ旅をするようになった。思えば、それなりのきっかけがあったと思う。日本経済のバブルが弾け、私が勤めていた会社でもリストラみたいなことが始まった。私はいわゆる「団塊の世代」の最後の世代か、その後の世代とか言われている。 いつも世の中の制度が(悪い方へ)変わるときに、その対象になる。世の中がまだ60歳定年だったのに、私がいた会社は「東京、大阪などの大都会で就業できない者は、50歳で退職し子会社へ転籍しなさい」ということになった。 私はいまさら、東京、大阪へ転勤する気もなかった。といういことで、退職し子会社へ転籍した。 ま、それで、私の華麗(?)な「サラリーマン生活」は終わりを告げました。いま思うと、そういう会社へのうっぷんもあったのかも知れません。 「海外へ行こう」と思ったようです。その旅の中で、印象深い(あまり良い意味ではありませんが)PEIの旅でした。記憶を呼び戻して、再度、書いてみたいと思います。
New Orleansの旅については、次女が計画を立ててくれた。私が以前から「New Orleansへは何としてでも行ってみたい」と言っていた。でも彼女と彼女の夫(米国人)も「あそこは一人で行くところではない」と言われていた。それは、2005年8月末に米国南部を襲った超大型ハリケーン「カトリーナ」の影響で街が壊滅的な打撃を受け、治安が悪くなった。それは、まだ今も少なからず残っているからだという。
でも、もう13年も経過したからなのかは、わからないが次女夫婦が計画を立ててくれた。
2018年の2月頃には、航空券の予約もしてくれた。
宿泊は、New Orliensだけは、Hotelに泊まるが、Memphis、Nashvilleは、民泊とでも言えばいいだろうか、個人の所有する家を借りる形だった。
私も2年前にコッツウォルドへ行ったときに、Cheltenhamでは、大学生が所有するアパートの1室を借りたことがある。その予約システムは Booking.com だった。でも、現地ではその大学生のオーナーに電話をして部屋の鍵を受け取るというシステムだった。
なので、英語が全くダメな人には薦められない仕組みだった。
だが、米国の場合は、もっとシステム化されていて、Web上で希望の部屋を探し、申し込むと、オーナーと接触することなく、一軒家を借りることができる。
英国よりも一歩進んだシステムになったいた。
当然ながら、現地で使えるスマホを持っていることが条件となる。
ただ、その現地で(New Orlieansだからなのか、スマホ(私の場合は、iPhone)のための SIMが簡単に入手できなかった。これは意外だった。Londonでは、ヒースロー空港内のあちこちで SIMが売られていて、街中にもSIMを扱うSHOPが簡単に見つかった。
中心部ではSIMを厚かるShopを見つけることができず、郊外まで電車で行き入手することになった。
ということで、この旅は、私にとっては、色んなことを経験することができた旅でした。
気力と集中力が衰えてきたのか、旅の概要をまとめるのが、ちょっと「しんどく」なった気がする。
なんとか、この貴重な旅のことをまとめてみたい気持ちも湧いてきたかな。
ということで、New Orlieansといえば ルイ・アームストロングなので、
写真を掲載します。
路上ライブも3日目のグループがなかなか良かったので それもアップします。
<< ルイ・アームストロング公園にある銅像>>
<<公園内のモニュメント 1>>
<<公園内のモニュメント 2>
<< いかした路上LIVE >>
実は、3冊目として作った「気ままに自転車旅 アイラ島・湖水地方」が、これまでの2冊と違って評判が良い。その前の2冊はどちらかというと友人・知人も義理買いしてくれた感じだった。親戚などにはタダであげた。
3冊目は、これまで何の反応もなかった知人二人が即座に「買う」と言ってくれた。
理由は簡単だ、本文を見る前に「カバーが綺麗、今までのと全然違う」ということだった。
その感想は全く当たっている。
作ったアプリが違うからだ。前の2冊は「パーソナル編集長」という廉価なもの。
3冊目は、業界標準の 組版ソフト InDesign と PhotoShopに Illustratorを駆使して作った。運よくプロのデザイナーとボアランティア活動での小冊子作成でかかわることになり、印刷のノウハウを教えてもらったから、できたことだ。
で、先日、3冊目を買ってくれた旅好きな知人が「プリンス・エドワード島へも行ったそうですね。私の姪が『プリンス・エドワード島へ行きたい』、と言っているので情報を提供してもらえませんか」と言ってきた。で、「ハイ、いいですよ。いつか本にしようと思い下書きは書いていますから、それをまとめてみます」と返事をした。
ということで、数日前から、その下書きのテキストを InDesignに流し込んでみた。
が、あまりパッとしない。なぜかというと、いい写真が少ない。
それは、この頃は、まさか本にするなんてことを考えていなかったので、静止画よりも
動画を重視していたからだと思う。
旅の記録としては確かに動画の方が、訴えやすい。ただし、字幕を入れたりBGMを入れたりという作業hs発生し、手間はかかる。
ただし、本の場合は、きれいな画像が必要だ。
今、そのときの画像データをみると、数も少ない。これというものが無い。
でも旅の経験談としては、とてもおもしろい。私の英語力のピークだったようにも思える。
なので、2-3日かけてプロトタイプを作ってみた。
A5版で120ページくらいにはなりそうだ。
校正、推敲をすれば、なんとかなりそうな気がしてきた。
表紙に使いたいのは、この画像だ。