50歳で始めた海外ひとり旅 と 自費出版

50歳にして「海外ひとり旅」の楽しさを知る。最近は野菜づくり、本づくりにも挑戦。

3つのMy Project

2021年07月02日 00時53分12秒 | Diary

70歳の大台に乗ったせいもあるのか、最近は俳優やタレントの名前が出てこない。
それと気力、集中力も持続できなくなった気がする。
旅の記録としての自費制作の本をこれまで4冊作った。1-2冊は「パーソナル編集長」という2万円弱のアプリで作ったので、クオリティーが低い冊子になった。
それで1冊目の「アイルランドへ行きたい」はInDsignで編集をやり直した。
その版下データは出来上がっている。印刷業者へ発注するだけだ。
なのに、まだそれをしていない。
2冊目となる「スコットランド車旅」もInDsignによる再編集の作業中だが途中でSTOPしたままだ。
それなのに、新たに「英国南西部の旅」の版下づくりを始めた。

果たして、この3つのMy Projectを完遂することはできるだろうか。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

英会話力の低下を痛感

2020年04月15日 01時00分17秒 | Diary

英会話力の低下を痛感

今日は、私の誕生日だった。いつもだと奥さんの、ささやかな料理とかプレゼントで終わるのだが、今日は、ちょっとしてイベントだった。
というのが、東京に住む長女とその娘(私の孫)が3月末から帰省(疎開というべきか)しているのだった。
ということで、今夜は私のBirthday Partyになった。途中で、東京に住む次女からビデオ通話が入った。彼女の夫はアメリカ人だ。普通にお祝いのメッセージを言うが、悲しいかな聴き取れない。何となく言わんとすることは、わかるのだが返事ができない。
69歳ともなると、日本語も浮かんでこなくなったりするのだから当然か。
 
 次女夫婦からは、お祝いにと、ScotlandのHighland地方のSingle Malt Whisky
「Glenfarclas」というのが届いていた。

この「コロナ・ウィルス」騒ぎがなければ、5月末には現地で飲めるはずだったのだが。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コロナ・ウィルス騒動

2020年03月19日 01時36分02秒 | Diary

どうなるのコロナウィルス騒ぎ

 私の「一人旅」が始まったのは2000年の2月だ。かれこれ20年前になる。
年齢も来月で69歳だ。家族からも「そろそろ一人旅は止めたら」と言われそうだ。
家族にはスコットランドの田舎、山の中を一人でレンタカーで巡ることは言ってない。
確かに、もうそういう旅は終えるべきかも知れないと思う。
 まあ、そういうことも考えたりしていた旅だが、これが妙なことになってきた。
そう「新型コロナウィルス騒ぎ」だ。パンデミックスとも言われ始めた。
昨日は、全ての宿の手配をした「Booking.com」からメールが届いた。
 どうも「無条件でキャンセルを受け付ける」ようだ。そのための専用のサイトを開設したので、そこから「キャンセル」の手続きができるとのことだった。

まあ、それはあらかじめ事前のキャンセルができる宿を選んでいたので問題ない。
最もコスト的に大きいのは航空券だ。
 今回は、当たり前だが、航空会社のいわゆる「早割り」でチケットを予約した。
珍しくJALの「早割り」が他社よりも安価だったので予約した。
当然、通常であれば「キャンセル」はできない。

 でも、今回は個人の都合ではないので、「キャンセルOK.料金払い戻しあり」というコメントがJALから出た。
でも、それは4月10日、出発の便というのが条件のようだ。なので私の場合は、まだ該当しない。
私は何とか5月上旬までには、「新型コロナウィルス騒ぎ」が収まって欲しい。

今後の状況で、英国が日本人の入国を制限することになれば、今回の旅は諦めざるをえない。
当然、JALも「キャンセルOK.料金払い戻しあり」という対応をしてくれるだろう。

 ということで、スコットランドのハイランド地方の蒸留所を巡る経路や湖水地方の北部のバス路線などは、調べる気力が出てこない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Blogのテーマを変更

2020年03月04日 01時05分02秒 | Diary

このblogのテーマを変える必要がありそうだ。当初は、まさに私が英会話を習い始めた頃と、海外旅行を始めた頃だったので、「テーマ」を「50歳で始めた英会話と海外ひとり旅」とした。それからもうすぐ19年だ。英語のリスニング力と意思表示をする会話力は相当落ちている。なので、blogのテーマに「英会話」という語句を入れるのは、おこがましい。
「69歳 海外ひとり旅と自費出版」とでもすべきだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どこかへ旅しよう 2

2020年02月02日 01時05分20秒 | Diary

どこかへ旅しよう その2

昨夜、行先を考えた結果、湖水地方とハイランド地方を「再度巡る旅」というコンセプトが浮かんできた。

ハイランド地方のスペイサイドへは2008年に行った。レンタカーを借りてのスリリングで思い出深い旅だった。湖水地方へはアイラ島へ行った帰りに寄ったという感じの旅だった。
なので、あまり下調べもせずに行ったので心残りがあった。
特にアルス湖へ行けなかったのが悔やまれる。行けなかった原因は、現地のバスは土日は運航していない路線があるということだった。観光地なのに土日に運休というのは日本人には信じられなかった。

そこで、今回の旅は当時と違って年金だけの境遇となったので、贅沢にレンタカーで動き廻るなんてことはできない。自転車を持って行く体力も無くなった。とはいえ自転車は現地でレンタルすれば済むことだ。

いずれにしても、両地域は田舎なので、現地の交通機関はバスしかない。
ロンドンから鉄道で最寄りの駅まで行き、どこかに宿をとり、地元のバスを利用して
動いてみようと思っている。
2017年に英国のコッツウォルズと南西部を旅したときは、殆どバスでの移動だった。
ちゃんと路線バスの時刻表をチェックすれば、それほどむづかしくはないと感じた。

ハイランド地方と湖水地方のディープな場所へ行ってみようという気になってきた。
早速、宿を検索してみたら5月中旬だと、リーズナブルな宿はもう「残り2-3部屋」というのが多かった。

ちょっと計画を立てるのが遅かったかも知れない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浅草へ

2019年05月11日 00時20分28秒 | Diary


20年ぶりくらいに、浅草へ行った。
そのときは、Washington D.Cへ行くために、東京に就職したばかりの娘と浅草で落合い夕食を共にした。その日は、浅草の三社祭り(?)の日だった。元気のいい若者があふれていた。
食事のあと、成田へ行くべく東京駅へとタクシーに乗ったのだが、すごい人だかりで
タクシーが進まない。駅に着いたときは、成田行きの最終電車は出てしまっていた。
どうしたものかと思ったが、タクシーの運転手さんが、シャトル・バスなら間に合うかもと言って、そこへ行き、なんとか成田へ行くことができたことを思い出した。

 

それにしても、すごい人出だ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Real English

2019年01月22日 23時51分24秒 | Diary

 今回のアメリカ南部の旅では、私の英語のリスニング力が、かなり落ちていると感じた。
南部の英語は、かなり訛りが強いというのを考慮しても、やはり落ちていた。
 私が昔から好きなミュージシャン Rickie Lee Jones を Youtubeで探していたら
こんな動画が出てきた。
これがストレスなく聴き取れないと 現地での会話はむづかしいだろう。
暫く聴いていると、かなり聴き取れてくる。

Rickie Lee Jones wants to fight the darkness that gnaws at people.

https://www.youtube.com/watch?v=fNIZvrV0q7I

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Wimbledon テニスの思い出

2018年07月04日 02時04分10秒 | Diary
Wimbledon テニスの思い出

 30代の中頃から40歳まで、健康のため、体力維持のためにとテニス・スクールに通った。
そのスクールのコートが、もろにハードコートだったためか、よくあることらしいが膝を痛めてしまった。同じ頃に会社の同僚も私より少し前にそれに見舞われて退会していた。
 私も、なぜかその頃からやたらと仕事が忙しくなったこともあり、退会した。

暫くテニスから遠ざかっていたが、その当時の言葉でいうと「パソ通」仲間とテニス・クラブを作った。初心者を含め10名くらい居ただろうか。懇意の国立大学の先生の顔で
荒れた職員用のコートを使わせてもらったりしたものだ。
 そのテニス・クラブは今も存続している。

 そういうことで、海外へ一人旅を始めたときも、最初に行きたかったのはNew Yorkだった。本場のJAZZも聴けて、USオープン・テニスも観れるということでNew Yorkへ行った。
 次は、何といっても テニスの聖地 Wimbledon へも行きたいと思い、2006年に行った。
その頃の日本人プレーヤーの代表格は「杉山 愛」だった。
 そのことは、少しだけこのBlogにも書いている。

昨年、初めて自主製作本を作ったが、その中で、そのWimbledon大会のことも書いている。
その本の中に、「杉山 愛」の試合中に撮った画像を使いたいと思った。
そういう場合、肖像権というのがあるので、「杉山 愛」の事務所に許可をもらうために
メールしたが、返事が来なかった。なしのつぶてではなく、掲載希望の画像を送るようにとマネージャーさんからの連絡だったのだが、なぜか回答は来なかった。
これは、どういうことだったのか、今でも解らない。
 というようなことを思い出しながら 錦織圭の試合を先ほどまで観ていた。
たぶん勝ちそうだった。
 彼の試合のコートは No.14コートなので、入場料金だけで見ることができるコートだ。
彼がBEST10のランキングの頃は、2ndコート以上での試合だったので、一般の人は
殆ど観ることができない。今年、現地へ行った人はラッキーだと思う。
 私も少しだけ「行ってみたかったなあ」と思ったが、残念ながら私は、Londonでの
過ごし方を知らない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

FIFA World Cupの思い出

2018年07月02日 02時40分25秒 | Diary
FIFA World Cupの思い出


 かれこれ20年近く海外へ行っていると FIFA World Cupとの縁が出てくる。
私の旅の始まりの頃は、行き先は殆ど米国だった。
 2006年にアイルランドへ行き、その後は、殆どEuropeになった。
その旅の中で、初めてリアルタイムでFIFA World Cupの試合の中継を見た。
場所は、アイルランドの西方の街 Galwayのホテルでだった。
開催地はドイツだった。そのホテルのBarで日本の試合を観た。

 次は、2014年にスコットランドのアイラ島へ行ったときだった。
ブラジル大会だった。時差もあったが、ちょうど寝る前の時間帯にLIVEで放映されていて
退屈せずに済んだ。

 欧米の夏休みは6月の下旬に始まるので、その少し前に現地に着くようにプランを
立てるのが良さそうだ。この4-5年の経験でそれが解った。

 英会話教室に通っていた頃の記憶でFIFA World Cupにまつわるレッスンのことを思い出した。

それは、こんな感じだった。講師が "What does it mean FIFA?" という質問を出し、
その解答を問うテーマだった。
もちろん、その時の私のスキルでは解答はわからなかった。

解答は、" It stand for Football International Faderation Association "
だったと記憶している。

その頃の私のレベルだと、たぶん" It means Football International Faderation Association "と答えたと思う。それは、それで相手には通じると思う。
が、たぶん Native の英語ではないのだ。

 海外を一人で旅すると、日本で習った英語とは違う表現に遭遇することがたまにある。

それで、FIFA World Cupの話題に戻ると、日本のTV放送だと、解説者というか、そういう人は常に日本人チームの応援団的なことが多い。解説する姿勢が客観的でない気がする。
 英国だと解説者は解説者だ。根拠のない「まだ行けます」とか「まだ大丈夫」みたいな
事は言わない。

 そういうことを私が言うと、私の身の周りでは、どうも歓迎されないようだ。
なので、あまりそういう事は言わないように、最近は気を使っている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時々、農作業。

2018年06月23日 01時22分56秒 | Diary

時々、農作業 

 ときどき「不真面目な農作業」をしている。
発端は2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災だ。その大災害の様子は
職場のTVでリアルタイムで観ていた。東京に住む娘の携帯に電話したが接ながらなかった。
その後、福島原発の事故で、東京の水道水が放射能に汚染されたというニュースが流れた。
 そのとき娘の子供(私の孫娘)は1歳にも満たなかった。
娘いわく「東京の野菜は怖いので、熊本の野菜、コメを送ってくれ」と言ってきた。
そして「できれば無農薬の野菜が欲しい」とも。そんなのは、「意外にむづかしい。」と
言ったら、娘は「だったら作って」と言ってきた。

 丁度その頃、職場の先輩からリタイアしたら畑地を貸すからやってみればと言われていたのだった。

生まれたばかりの孫娘のためならと、以来「柄にもない Farmer」を時々やっている。

野菜づくりのモットーは、無農薬(これは絶対条件)。肥料は可能な限り有機肥料。

といいうことで、今年のジャガイモの収穫は以下の通りだ。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする