50歳で始めた海外ひとり旅 と 自費出版

50歳にして「海外ひとり旅」の楽しさを知る。最近は野菜づくり、本づくりにも挑戦。

アイラ島紀行 その20  Port Ellen 2日目

2014年10月20日 00時56分27秒 | アイラ島と湖水地方

 さて、BowmoreからBridgendを経由してBowmoreまで20kmとちょっとの距離を
走っただけだが、結構疲れた。
この旅に出る前にBD-1で走ったのは、10Kmちょっとだった。車体の状態を
チェックするのが目的だった。走った道路もちゃんと舗装されていたのと
坂道を走らなかったので、状態の良くない道だとspeedが出ないことを把握
できていなかった。

せっかくScotch Whiskeyの本場に来たのだから どこかPUBにでも行ってと
考えるところだが、その気力が出て来なかった。
宿に帰る途中に レストランを持ったHotelが一軒あったのだけど 料理の
menuを見ると軽く6,000円は超えてしまいそうだったので、行くのは止めた。
ということで、夕食の買い出しに、一軒しかないスーパーへ行った。
どうやら、その近くのレストランがあって、そこでは踊ったりできる、なんと
なく賑やかなところ、みたいに看板に書いてあった。
そういう場所もちょっとついて行けないので、サラダとビーブサンドと
Beerを買って宿に戻った。ありがたいことに TVではWorld Cupサッカーを
中継しているので、時間を持て余すことがなくて助かった。

 今回、泊まったB&Bの部屋はこんな感じだった。




オーナーの Lynnの人柄なのか、壁に掛けられた絵などを見ると ロマンチックというか
メルヘンチックな感じを受けた。

他のB&Bが 30-40£なのに対し、部屋が広いせいもあるが、倍近い料金だった。

翌日は、島の東側にある、 Laphroaig、LAGAVULIN、Ardbeg の蒸留を巡ることにした。


アイラ島紀行 その19  Port Ellenへ戻る

2014年10月16日 00時46分35秒 | アイラ島と湖水地方

前回書いた記事の中に埋め込んだ地図を見るとわかるように、Bridgendから南へは
国道 A846とB8016という道路が延びている。

ところで英国の道路は、わかり易く区分けされている。
Google Mapを使って London付近を拡大すると地図上の道路は M1 とかM3、
 A41 というように名前が付けられている。 Mで始まる道路は 高速道路だ。
Aは通常の国道で 桁数が増えるほど 車線の数が減ったりする。
A941とかだと1車線の規模となる。 B8016 という表記は 私の推測では
たぶん Single Track だ。地方へ行くとこれは意外に多い。
でも一方通行ではない。対向車があった場合は離号できるスペースが
500mから1Kmくらいの間隔で設けてある。そして対向車が見えたら その
スペースに近い方が そこに退避するという暗黙の了解になっている。
これが実によく守られていて、どちらも気が付かずに 路上で立ち往生すると
いった場面を見たことがない。6年前にScotlandのhighland地方へ行った
ときに遭遇しなかった。本当に気の毒なくらい はるかかなたで待っていて
くれるのだ。そしてすれ違うときには 手を挙げて挨拶してくれる。
もちろんこちらから 右手を挙げてあいさつする。

<< 国道B8016 の離号帯>>



基本的には通行量が少ないのだ。現に Port Ellenまで 2時間と少しかかったが、
その間に 4-5台の車としかすれ違わなかった。そして驚くことに、自転車に乗った私が
走っていると、後ろから来た車は 私を追い越さないのだ。最初は、わからなかったので
そのまま離合帯に着くまで走ったが、その後は、完全に停まって 左手の路肩に停車
するようにした。そうすると後続の車も追い抜いていってくれた。
これも Scottish気質だろうか。日本人以上に律儀だ。

<< BD-1 >>



ということで、Port Ellenに戻った。2時間ちょっとしか走ってないのに、随分疲れた。
というのも、このBD-1のタイヤは道路のデコボコを吸収させるためなのか、タイヤが
マウンテンバイクのようなTYPEを使っている。そのせいなのかは、わからないが
ISLAY島の道路だとスピードが出ない。道路の表面がデコボコというか、砂利が混じった
ような道なのだ。

<< 灯台 >>



Port Ellen から左手を見ると 前方に この灯台が見える。これが4Kmくらい先にあって
そこへ行くには 結構な坂道を走らなくてはならない。ということで行くのは諦めた。



アイラ島紀行 その18  Bridgendへ

2014年10月09日 01時58分00秒 | アイラ島と湖水地方
<< Bridgendへ >>

 さて、Bowmore蒸留所のtour を終えて、「さてどうするか」と考えた。
もし、時間的に間に合うのなら、Bowmoreからバスに乗り、Port Askaigまで
行き、そこからフェリーに乗って、わずか10分で行ける Jura島へ
行ってみようかという思いがあった。
で、バス停へ行き、時刻表を見ると ギリギリの時間だった。ひょっとして
定刻より遅れてくるのではないかと、期待したが、10分ほど待ったが
来ない。隣にいたオジさんに尋ねると、「その便なら、もう行ったよ」とのこと。
その後の便もあるが、Port Askaigまでは行けるが、JURA島へ行ったとすると
Bowmoreへ帰る便がない。自転車で帰るとすると約30Kmくらいはありそうだ。
普通のロードレーサーであればそれ位の距離は何ということはないと思える。
が、BD-1のような小径車でかつタイヤがマウンテンバイクのようなタイプは
なぜか、スピードが出ない。おまけに坂道に弱い。
見知らぬ土地での 無理なスケジュールはリスクが高くなるので、このplanは
却下。とにかく現地の地図がないので不安がつきまとう。

 では、Port Ellenへ戻り、他の蒸留所のtourに参加するとしてもすでに、
午後2時を過ぎているので、 時間的に間に合わない。

かと言って、少し時間が余るので、Port Askaigへ行く途中にあるBridgend
という場所へ行ってみることにした。

<< Google Map で見る>> 

https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9+%E3%80%92PA44+%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%88+Isle+of+Islay,+%E3%83%96%E3%83%AA%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%89/@55.7815235,-6.250006,11z/data=!4m2!3m1!1s0x488a448f8e654c35:0x24bf3931460c97c1

ほとんど車とすれ違うこともなく、20分ほど走った。Bridgendという標識がある場所に辿り着いた。
左手は遠浅の海のようだ。昼食もまだだったので、海辺へ行ってみた。

<< 海辺の周辺 >>






水は結構透明度が高い。が、海藻がいっぱいで見た目はよくない。
左手遠方へ目をやると、馬とが離し飼いにされていた。羊は近いところにたむろしていた。

<< sheep >>



カメラを向けると 心なしか反応したのか、こちらへ近づいて来た(ように思えた)。



腹ごしらえも済んだが、左手は少し登り坂になっていて、その先は たぶんPort Charlotte へと
続いているのだと思うが、夕方の早い時間には Port Ellen に戻りたかったので、ここで
引き返すことにした。来た道を引き返すよりも Bowmoreをバイパスする道があるよう
なので、そちらを走ることにした。


マッサンの謎とき その3

2014年10月05日 00時45分47秒 | アイラ島と湖水地方

竹鶴氏に関する本がどれくらい手に入るのか Amazon で検索してみた。
すると 結構な数が出版されていた。
一般向けには販売されていなかったはずのものまで 発行されているでは
ないか。それにリタ夫人を扱ったものまである。

おまけに、それらの中には、出版元が NHK出版というものまである。
もちろん最近出版されたものだ。
本人による自伝的な「ウイスキーと私 (1976年)」などはプレミアムな価格が
ついている。ちょっとげんなり。

ともあれ、「ヒゲのウイスキー誕生す」を読み進んでみた。
結果、TV番組の方は、結構 フィクションが織り込まれているようだ。

一番気になったのは、泉ピン子さん演じる母親だ。実際にはすごく
優しい方だったようだ。父親よりも早く結婚を認めたようだ。
それと、竹鶴氏が帰国する前に、既に親族会議では結婚を認めるという
結論になっていたそうだ。

なので、思うのは、まだ竹鶴氏のお孫さんが現役でいるのに、竹鶴家が
いかにも保守的であったように描くのはちょっとどうかなという気がします。

でも、今回のドラマも毎日録画することにしました。というのも 私の娘が
長女役で出演している 西田さんのファンでもあり、うちのカミさんも
会ったりしたことがあるので、なんとなく応援したくなります。

ところで、本を読んでわかったことは、竹鶴氏が研修した場所は2か所です。
ハイランド地方の北海側のエルギン。1週間か2週間です。

次がCambletown、ここはもう少し長かったようで、シングルモルトの製造と
いうより ブレンディッド・ウィスキーのことを学んだようです。

マッサン 第2回目のなぞ

2014年10月01日 00時49分17秒 | アイラ島と湖水地方

 第2回目は、マッサンのスコットランドでの回想シーンだったが、あの舞台はどこなのだろうか。
実際にScotlandでのロケと思うが。演出上の設定は どこなのだろう?

蒸留用のポットから出てきたシーンがあり、エリー(リタ夫人)が登場して 自宅でのPartyが
あったところを見ると Cambeltown ということだろうか。
私の手持ちの唯一の竹鶴氏のことを扱った本「ヒゲのウイスキー誕生す」によれば、現在、
町は廃れているようだ。

 ニッカがScotlandに蒸留所を創ったことがあるらしいが、それがどこなのか私は知らない。
今は、サントリーがかなり scotchの蒸留所の経営に携わっているらしい。
Bowmore, 米国のJin Beamと。 複雑な心境だ。




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