窓の外を見ると、夜明け前で、アラスカを南下しているのか、もう既に五大湖あたりなのか、川と思われる流れが黒い大地に映えてまるで墨絵のように見える。暫くうとうとしていると
いよいよダレス空港も近いらしい。覚えていないが、たぶん朝食が機内で出たと思う。
初めての関税申告書も書いて、いよいよ着陸だ。10時くらいだっただろうか。ダレス空港は
だだっ広い感じだった。とにかく周りに建物とか、山が見えないので平面的だ。
日本の空港に比べると土っぽい。殺風景でもある。そしていよいよ入国審査だ。
日本人の乗客は、殆どが学生で、それも女子学生だ。キャーキャーと騒がしい。卒業旅行なのだろう。審査は、型どおりで、「Sight seeing」「I'll Stay at my daughter's apartment」みたいなことを言った。すんなりパス。意外に客は少なく。出口へ向かうと、99年の夏以来に
見る娘が一人で立っていた。周りがアメリカ人の中で見ると、日本人というより東洋人に会ったという感じだ。外へ出ると、マイクロバスみたいなのが、何台か待機している。
娘が一台に近づいて運転手(ではなかったらしい)と交渉しているみたいだ。
直接、娘の住んでるアパート近くまで行くことにしたと言う。乗り合いのバスと言った感じで車内には他の客も数人居た。
運転手は黒人の女性で、映画で見るような、恰幅の良さだ。60cmくらいもあるステアリングを
操る。車は高速道路を走る。車窓から見る風景が日本とは、なぜかわからないが、違う。
途中、ORACLEのビルが見えたりして、アメリカへ来たんだなという気がした。
どれくらいかかったのだろう? たぶん40分くらいだろうか。彼女が住むRosslynの駅前に
着いた。きれいなビルが建っていて小奇麗な街だ。駅から10分ほどで、アパートに到着。
結構でかい。日本でいうと、団地みたいでもあり、マンションに近い。
入り口を入ると1階には、ロビーというかラウンジみたいなのがあり、受付の人(黒人女性)が居る。住人は「Hello!」と言ってエレベータへと向かう。中は、1ルームマンションといった感じだ。実際、1ルームだ。娘いわく、時差ボケしないよう、眠くても寝ない方がいいとのこと。「アーリントン国立墓地とか、歩いていける距離だし、WhiteHouseも地下鉄で行けば
すぐだから適当に見てきたらどう?」「私は大学へ行くから。大丈夫でしょう?」ということになった。着いたのは、木曜日だったのかな。
ということで、一人で、出かけることにする。ガイド本を見ると、確かに近くに硫黄島記念碑
があるようだ。その先が国立墓地だ。外へ出ると意外に暖かい。2月だから寒いだろうと思い
ダウン入りのコートを持って来ていたが、ダウンを取り外しても大丈夫だった。
10分くらいの距離に硫黄島記念碑があった。すごいデカイ。妙な気分だ。日本人から見ると
硫黄島は、日本が敗戦することになる第一歩というか、玉砕などと言われてきた場所だ。
でも、米国から見ると、日本軍を壊滅させ勝利につながる橋頭堡の意味があるのだろう。
若い兵士の像が力強く建っている。最初の歴史上のカルチャーショックだ。日本の軍隊は仮に
(ありえないことではあるが)、どこかの国との戦争に勝ったとしても、こういうように、兵士を主題にした記念碑を作ることはありえないだろうと思う。甘いかも知れないが、民主主義の一端を見た気がする。でも、これは、アメリカという他民族の国をまとめていくための為政者の方法かも知れないな。戦争で、死んでいった人を大切にすることがとても大事なことなのだろうと思う。
硫黄島記念碑を過ぎると、お墓が並んでいるところへ出た。どうやら国立墓地に来たらしい。ということは、かのケネディの墓もあるはずということで、どんどん進んで行くと、威厳のある建物が見えてきた。少し小高いところにそれはあった。意外に普通な墓というか、石のプレートがあるだけのシンプルな墓だった。ま、大げさな日本の神社みたいなのよりも身近でいいかな。それから、引き返して、Rosslyn駅へ向かう。思ったより以上に進んだ駅だ。
驚いたのは、東京駅みたいに、すごい長いエスカレータが地下へと向かっている。そして
日本だけと思っていたが、エスカレータは右側を空けて乗っている。空いた右側を急ぐ乗客が
降りていくのだ。まるで日本ではないか。エスカレータは長くて、地下2階相当まで下る。
そこから2駅ほど乗り、出てると、なんとなく霞ヶ関みたいな雰囲気だ。
なんとなく歩いて行くと、WhiteHouseが近いらしい。あっけなくWhiteHouseを見つけた。
周りは公園というか、Open Mindを感じさせる。Federal**** みたいな建物が多い。
帰り道を間違えないようにと気をつけながら。地下鉄でRosslyn駅へと戻った。
( 続く )
いよいよダレス空港も近いらしい。覚えていないが、たぶん朝食が機内で出たと思う。
初めての関税申告書も書いて、いよいよ着陸だ。10時くらいだっただろうか。ダレス空港は
だだっ広い感じだった。とにかく周りに建物とか、山が見えないので平面的だ。
日本の空港に比べると土っぽい。殺風景でもある。そしていよいよ入国審査だ。
日本人の乗客は、殆どが学生で、それも女子学生だ。キャーキャーと騒がしい。卒業旅行なのだろう。審査は、型どおりで、「Sight seeing」「I'll Stay at my daughter's apartment」みたいなことを言った。すんなりパス。意外に客は少なく。出口へ向かうと、99年の夏以来に
見る娘が一人で立っていた。周りがアメリカ人の中で見ると、日本人というより東洋人に会ったという感じだ。外へ出ると、マイクロバスみたいなのが、何台か待機している。
娘が一台に近づいて運転手(ではなかったらしい)と交渉しているみたいだ。
直接、娘の住んでるアパート近くまで行くことにしたと言う。乗り合いのバスと言った感じで車内には他の客も数人居た。
運転手は黒人の女性で、映画で見るような、恰幅の良さだ。60cmくらいもあるステアリングを
操る。車は高速道路を走る。車窓から見る風景が日本とは、なぜかわからないが、違う。
途中、ORACLEのビルが見えたりして、アメリカへ来たんだなという気がした。
どれくらいかかったのだろう? たぶん40分くらいだろうか。彼女が住むRosslynの駅前に
着いた。きれいなビルが建っていて小奇麗な街だ。駅から10分ほどで、アパートに到着。
結構でかい。日本でいうと、団地みたいでもあり、マンションに近い。
入り口を入ると1階には、ロビーというかラウンジみたいなのがあり、受付の人(黒人女性)が居る。住人は「Hello!」と言ってエレベータへと向かう。中は、1ルームマンションといった感じだ。実際、1ルームだ。娘いわく、時差ボケしないよう、眠くても寝ない方がいいとのこと。「アーリントン国立墓地とか、歩いていける距離だし、WhiteHouseも地下鉄で行けば
すぐだから適当に見てきたらどう?」「私は大学へ行くから。大丈夫でしょう?」ということになった。着いたのは、木曜日だったのかな。
ということで、一人で、出かけることにする。ガイド本を見ると、確かに近くに硫黄島記念碑
があるようだ。その先が国立墓地だ。外へ出ると意外に暖かい。2月だから寒いだろうと思い
ダウン入りのコートを持って来ていたが、ダウンを取り外しても大丈夫だった。
10分くらいの距離に硫黄島記念碑があった。すごいデカイ。妙な気分だ。日本人から見ると
硫黄島は、日本が敗戦することになる第一歩というか、玉砕などと言われてきた場所だ。
でも、米国から見ると、日本軍を壊滅させ勝利につながる橋頭堡の意味があるのだろう。
若い兵士の像が力強く建っている。最初の歴史上のカルチャーショックだ。日本の軍隊は仮に
(ありえないことではあるが)、どこかの国との戦争に勝ったとしても、こういうように、兵士を主題にした記念碑を作ることはありえないだろうと思う。甘いかも知れないが、民主主義の一端を見た気がする。でも、これは、アメリカという他民族の国をまとめていくための為政者の方法かも知れないな。戦争で、死んでいった人を大切にすることがとても大事なことなのだろうと思う。
硫黄島記念碑を過ぎると、お墓が並んでいるところへ出た。どうやら国立墓地に来たらしい。ということは、かのケネディの墓もあるはずということで、どんどん進んで行くと、威厳のある建物が見えてきた。少し小高いところにそれはあった。意外に普通な墓というか、石のプレートがあるだけのシンプルな墓だった。ま、大げさな日本の神社みたいなのよりも身近でいいかな。それから、引き返して、Rosslyn駅へ向かう。思ったより以上に進んだ駅だ。
驚いたのは、東京駅みたいに、すごい長いエスカレータが地下へと向かっている。そして
日本だけと思っていたが、エスカレータは右側を空けて乗っている。空いた右側を急ぐ乗客が
降りていくのだ。まるで日本ではないか。エスカレータは長くて、地下2階相当まで下る。
そこから2駅ほど乗り、出てると、なんとなく霞ヶ関みたいな雰囲気だ。
なんとなく歩いて行くと、WhiteHouseが近いらしい。あっけなくWhiteHouseを見つけた。
周りは公園というか、Open Mindを感じさせる。Federal**** みたいな建物が多い。
帰り道を間違えないようにと気をつけながら。地下鉄でRosslyn駅へと戻った。
( 続く )