50歳で始めた海外ひとり旅 と 自費出版

50歳にして「海外ひとり旅」の楽しさを知る。最近は野菜づくり、本づくりにも挑戦。

Chicago Blues Festival

2005年05月30日 00時15分57秒 | シカゴ
 娘に頼んでおいたChicago行きのticketが届いた。
元来、段取りが悪い性格なもので、いつも周りに心配をかけている。
 Chicagoについては、あまり情報がなく、1年のうちでも、最も忙しいと
いうか、人が集まるのが、6月だということも最近知った。
tourなんてものも、ないようなので、航空券なんて簡単に手に入ると
思っていたら、意外に難航したそうだ。6月8日成田発は空いていたが
帰りの便が空いてなくて、関西空港14日着がかろうじて取れたとのこと。
 それを聞いたのが5月上旬で、慌ててhotel探しを始めた。
が、案の定、手頃なところは空いていない。chicago市観光局が紹介する
Webから検索するが、 not available ばかりだった。これには少々焦った。
実は、最初は、8日-12日と5泊で検索をかけていたのだが、これだと
殆どhitせず。1日単位で、検索すると何とか数軒が空いていた。
ただし、所在地を見ると、Downtownではなくて、飛行場の傍ばかりだ。
どうやらchicagoの空港は、米国内のハブ空港らしく、ビジネス関係者は
オヘア空港の近くに宿を取るのか、空港周辺にHotelがかなりあるようだ。
ただし、空いている部屋でも、安くはなくて2-3万円というところ。
ちょっと高い。DownTownまで4-50分かかるエリアに対して、そんなには
払えない。まあ、行きは良いとして、夜の街から毎回タクシーという訳にも
いかないから。
では、どの辺りがいいか、と言われても、chicagoの街がよく分かっていない
のだから、なかなか探すにしてもポイントが絞れない。
しばし、ガイド本を読んでみると、マンハッタンと同じように南が治安が
悪く、北が高級住宅街のようだ。Downtownはchicago川を挟んで、南北に
2箇所あるように見える。目的とするblues Festivalは Grand Parkで
開かれる。それは、LOOPと呼ばれる環状線みたいなエリアの東側に位置
している。が、そのエリア近辺では、全くHotelが空いていない。
ということで、結果的に、川の北側に宿は取ることになった。
Hotelは、1部屋、税込みだと9千円弱というところか。最近のドルの
rateはどれくらいなのか。130円くらいだろうか。
結局、最初の3泊は同一のHotelで、残り2泊は別のhotelということに
なった。で、その後半の2泊を探すのが実は苦労をしたのでした。
最終的には、なんと楽天のホテル予約システムから見つけることができた。
ただ、不思議というか、合点がいかないのは、楽天のシステムは
予約した時点で、支払いの決済が動き出すということだ。
まだ泊まってもいないのに、既にクレジットカード会社の請求内訳書に
記載されていた。Cancel policyには、4日前までは無料cancel OKと
書いてあるのに、まだ、泊まってもいないのに料金の請求のプロセスが
動いているというのは、実に妙だ。Cancelしたら払い戻ししてくれるの
だろうか。やっと確保したのだから、まづCancelはありえないのではあるが。
 ということで、念願のChcago Bluesを聴く旅は、準備が進み始めました。

Chicago Blues Festival 2005 Schedule

22nd Annual
Chicago Blues Festival 2005
“Chicago Breakdown”
Celebrating the centennials of
Jimmy Walker. March 8, 1905, Memphis, Tn.- October 16, 1997, Chicago, IL.
Big Maceo-Major Merriweather, March 31, 1905, Atlanta, Ga.-February 23, 1953, Chicago, IL.
Meade Lux Lewis, September 4, 1905, Chicago, IL.- June 7, 1964, Minneapolis, Mn.
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Dacota House

2005年05月21日 00時34分40秒 | ニューヨークへ
今でも、オノ・ヨーコさんが住んでいるということです。
入り口には、警察みたいな格好をしたでかい身体のガードマンが立って
いました。「yokoさんがここに、住んでいますか?」と訪ねたら「yes」と
無愛想に応えてくれました。
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Appolo 11

2005年05月21日 00時30分06秒 | ワシントンD.Cへ
スミソニアン・エリアにある アメリカ航空宇宙博物館にある appolo11号です。
他にも、歴代の宇宙服の展示などもありました。
スミソニアンにある博物館の類は、なんと全て入場無料です。アメリカの太っ腹なところを
見せているのでしょうか。政治的なものなのか、本当のところは知りません。
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John Lennon 記念プレート in Central park

2005年05月21日 00時26分08秒 | ニューヨークへ
この場所を Strawberry Fields と呼んでいるようです。
 このプレートの意味を知らない人も、結構居るようで、プレートの上を
歩いて通り過ぎる人もいます。ということで、なかなかシャッターチャンスが
訪れませんでした。
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Imagine

2005年05月21日 00時17分18秒 | ニューヨークへ
Central Parkの中にある John Lennon を記念したプレートです。
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2度目のN.Y行き

2005年05月20日 23時51分59秒 | ニューヨークへ
 さて、このblogは、旅の思い出を自分なりに整理することと、英会話のかかわりを
含めて書くことを目的に作りました。まづ、最初のまともな海外旅行ということで
印象の強かったWashington D.C.とNew York行きのことを書きました。その約1年後
2001年の5月にも同じ行程で旅行したのですが、同居人、娘(案内役)と一緒だった
こと、そして2度目だったということもあり、新鮮味、驚きが減ったと思われます。
殆ど、記録を取っていません。とはいえ、目的がひとつだけあって、それは
Central Parkの中にあるという John Lennon の記念碑というべき Strawberry Fieldsと
名づけられた場所へいくことと、その近くにある Dacota Apartmentへ行くことでした。
それは、無事にかないました。メトロポリタン美術館を見た後に、家族と別れて
一人で、地図を見ながら広い公園を歩いて、どうにかそこへ辿りつくことができました。
30-40分くらいかかったかも知れません。大きな岩に埋め込まれていた、
有名な「Imagine」の歌詞が刻まれたプレート。そして、2mほどの丸いプレート。
そこから、公園を道路に向かって進むと、道の向かい側にDacota Apartmentはありました。
公園側からカメラを構えている若い人が数名いたので、すぐにわかりました。
 他には、WashingtonD.Cでは、古い街並みを再現した高級住宅街である
George Townに行ったり、スミソニアン地域にある、博物館をいくつも見て廻りました。
自然博物館、宇宙博物館、現代美術館など、1日ではとても足りないくらいでした。
N.Yでは、自由の女神を無事、フェリー上から拝む(?)ことができました。
5番街で買い物したり、冷やかしでTiffanyへ行ったり、家族に振り回されました。
残念だったのは、摩天楼に登ってみようと、エレベータ前に並んだのですが、
霧が晴れないということで、時間切れとなり、登れなかったことです。
 ただ、この旅では、一人でcentral parkから地下鉄に乗って、5番街で降り、
てくてくと、南下し、摩天楼の近くだったHotelまで歩いたことで、Manhattanの
土地勘というか、つくりがわかった気がします。やっぱり歩くのが、その土地を
知るのには一番だと思いました。

次は、London、Liverpool行の記憶を辿ってみたいと思っています。
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Thumb

2005年05月20日 23時26分39秒 | Practice English
昨日のlessonは、Tさんのshort presentationと 前々回の続きみたいな
概念分けみたいなことと、身体の部位についてでした。
まづTさんのspeachですが、titleは「an early bird」でした。
ご存知の方も多いと思いますが、これは「早起きの人」のことです。
新しくクラスに加わった人は、知らなかったです。前年から継続の人は
皆知ってました。私は、結構、早い時期から知ってました。
最初にNewYorkに行ったとき、parkingの看板に Early bird service みたいな
書き方しているのを見て、なるほど早朝サービスだなと思い当たりました。
 あと「a piece of cake」も新しいメンバーの方は知りませんでした。
やっぱり4年も通っていると、それなりにボキャブラリは増えているのかも。
さて、それはいいとして、そのTさんですが、なぜか、私は彼の話が以前から
聴き取れません。先生は当然のことながら全て聴き取れているようだし、
意外に私以外の人も、そこそこ聴き取れているようだ。それに、先生は
Goodを連発するので、模範的なのだろうと思うのだが、私は、どうも波長が
合わないというか、リズムが合わない。妙にむづかしい単語を使う傾向もある
みたいだし。速い訳でもないのに、どうも苦手だ。私が普段、American Englishを
聴いているからだろうか。彼は、毎年 Hongkongへ行ったりしているので、
British Englishなのだろうか。今の私には、そこまでは、わからない。
次に、単語のジャンル分けだが、illness と injury に分けるということを
やった。
headacheは、どちらに属するかみたいなことだ。
で結論としては、西欧流の区分けは、見た目で決めるようだ。
頭痛、腹痛、腰痛など、本人にしか分からないものは、全てillnessとなる。
喉が痛いのなどは、喉が傷ついているのだろうから、injuryと
思ったりするが、それは、外面に現れないので、とにかく illness だとのこと。
なにか、文化の違いを感じる。曖昧さを許す「日本語」と「英語」の違いを
考えさせられる。
 それと、身体の部位で、指のことが出てきて、親指は「Thumb」であり 
bはsilentして発音しないと説明があった。ここで急に 長年の疑問が解決した。
「日本流」に発音するとこれは「サム」となる。突然、私の頭にギターを弾くときに
使う「サムピック」のことが浮かんだ。このピックは、指輪のような構造に
なっていて、親指の先に付けて使う。なるほど、「Thumb pick」だ。
私の頭の中では、長いこと、この指輪状のものは、[some pick]みたいに認識されて
いたに違いない。
普段から、気になる単語は、そのときに調べる癖をつけなくてはと、痛感した
次第です。

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一昨日のLesson

2005年05月14日 10時19分31秒 | Practice English
連休をはさんだので、14日ぶりのレッスンでした。
今季は、生徒が定員一杯----こういうときに Full House というのを知りました。
言われてみると納得ですが、頭には浮かんでこないです。英語が操れない日本人の
大半は、「言われてみると、わかるんだけど」状態ではないでしょうか---。
 定員が7名で、うち男性が私ともう一人で、2人です。世の英会話教室も
こんなものかも知れません。
 さて、この日のテーマは、前回、指名された生徒さんの Short Presentaionと
そのあと、どれだけ聴き取れたかを、講師が各自に質問するというものです。
話の内容は、アガサ・クリスティーの小説についてでした。ほんの2-3分の
Speachです。
私は殆ど聴きとれたのですが、1つのフレーズだけ、わかりませんでした。
 " .... there were none. " という下りでした。その前に2冊の本を読んだと
いう説明があった(そうだ)のを Two でなくて too と聴いてしまったため
2冊の本のタイトルについて話したことに 結びつかなかったことと、
かの著者のタイトルをあまり知らないことが原因で、聴き取れなかったのでした。
「The Murder on the Orient Express」というのは、タイトルを知っていたので、
聴き取れました。そのあと and then と言って " .... there were none. "と
きたので、confused してしまいました。講師も2冊目のタイトルは、聴きとれたか?
と言ったので、そこそこ、むづかしい部分だったのでしょう。誰もいませんでした。
"And then there were none"というのがタイトルだったようです。本を読んで
いれば、わかったかも知れません。邦題は「そして誰もいなくなった」だそうです。
 で、作家は、英語では内容により使い分けるということで、
a writer, a novelist, a playwright ( ?) ,a drmatist, a mystery writer と。
ま、言われてみれば、わかるのですが、、、、。

次は、お決まりの、pairになっての会話、テーマは WH question を使って、
Golden week について質問するというものです。
What did you do in Golden week ? みたいな感じです。
習い始めの頃は、こんなことも、簡単に口から出て来なかったのですが、
やっと最近は、自然に出てくるようになりました。英会話も "石の上にも3年" と
いうことでしょうか。

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アメリカは危ないか

2005年05月12日 00時21分49秒 | My Travelling
 よく知り合いに「アメリカへ行こう」と誘うと、大抵「まだ死にたくない」とか「怖い」と
いう答えが返ってくる。2001年の9・11のせいもあるかも知れないが、アメリカは
危ない場所と思っている人が多いと思う。確かに統計上も治安は決して日本よりいいとは
言えない。ただ、いつだったか、話の流れで英会話の先生に「Is *** safe?」と質問したこと
がある。南米の都市だったと思う。そうしたら先生から逆に「Is tokyo safe?」と聞かれた。
そして「I think Tokyo is very dangerous city!」と言われた。まさに、外国の人から
見ると、東京は怖い場所かも知れない。要するにどこでも、危険なエリアはあるのだ、と
言いたかったのだと思う。
 でも、やっぱりアメリカは油断してはいけない場所なのだろう。
私も昔から人並みに漠然と映画や音楽を通じて、アメリカに対する憧れは持っていた。
JazzやRock、Bluesを本場で見て聴いてみたいと思っていた。
が、アメリカのイラクへの侵攻などを見ていると、どうもアメリカがわからなくなってくる。
最初は、ブッシュ大統領を含む保守的な人達がやっていることと思っていたが、
どうもそうではなさそうに思えてくる。ブッシュ大統領が再選された先の選挙でも
イラク戦争を否定する候補はいなかったみたいだし、一応、国民の支持があっていると
いうことらしい。アメリカの国民はaggressive なのだろうか。
 ということもありますが、来月はじめに Chicagoへ行ってみることにしました。
ひょっとしたらアメリカへ行くのもこれが最後になるかも知れません。
6月の時期に、なぜChicagoなのか、ということは次回に書きたいと思います。

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DCから東京へ

2005年05月03日 21時56分54秒 | ワシントンD.Cへ
 Pentagon Centerは、文字通りアメリカ国防総省(通称Pentagon)の一つ手前の
駅だ。駅自体も、ショッピングモールみたいで、駅を出ると、日本でいうデパート
みたいなのが、2-3ある。ブランド物を扱うブティックなどもあり、賑わっていた。
そういうところで買い物する用もないので、スーパーというかOutlet的なshopへ
行き、お土産用のTシャツなどを買った。
 そしてRosslyn駅とアパートの間にあるPharmacyで、お土産のお菓子(チョコレートなど)を買った。ということで、日本人らしく帰りの準備はOKだ。
その日の夜は、前の年に、我が家へ1ケ月ほどHome Stayをしていた娘の友人 EVAと
食事に行った。同じアパートに住んでいるにもかかわらず、着いた翌日くらいに
ちょっとだけ顔を会わせた程度だった。学費を稼ぐために仕事をしていて、それが
忙しくて、なかなかゆっくり話す時間がなかったからだ。
 一緒に、近くの日本食を出すrestrantへ行った。そのときのレシートによると
 ・Kirin(Beer)$3.50 *2
 ・Kirin Lite $3.50
 ・Tonkatsu $8.00
 ・Singapore Fried Rice $7.00
 ・Vagetable
 ・mes Goreng Vegetable ??

 計  $37 とある。
キリンビールは0.5Lの缶で、輸出仕様だった。
どんなことをEVAと話したのか、憶えていないが、当時の私の英語力では
大したことは話していないだろう。せいぜい 相槌を打つくらいだったと思われる。
 
さて、いよいよ29日は、日本へ向けて帰る日だ。昼頃の便だったので、朝から
アパートを出た。娘は学校へ行くので、もう空港までは送ってこないという。
「独りで大丈夫でしょう?」と言われると、つい「大丈夫だろう」と言った。
地下鉄はDulles空港までは行ってないようで、Rosslyn駅から、一番空港に近い
駅まで行き、そこからバスに乗り空港へ行った(と思う)。娘はバスに乗る
ところまで付いてきてくれた。
 少々、不安であったが、あっさりと空港には辿りつくことができた。
空港は、がらんとして静かだった。たぶん朝食は取ってこなかったようで、
空港の Starbucksのレシートが残っている。
 ・Tall COFFEE ofD $1.30
 ・SCONES $1.60  FEB 29 8:45AM とある。
そのあと、Duty Free shopで $75の買い物をしている。たぶん、
酒類と買ったはずだ。
 Checkinは、ANAのカウンターなので、日本人らしい人もいて、日本語で大丈夫だろう
と思っていたら応対したのはアジア系の人で、ちょっととまどったが、なんとか
クリア。まだ時間があったので、shopを覗いていたら、店員さんから 指差されて
「 What ***?」と聞かれた。何かと思ったら、MD Playerだった。
「This is a MD Player」と言ったら「Waoh!!! Good ** Cute」みたいなことを
言われた(よく聴き取れなかった、悲しい)。
 ということで、なんとか無事に成田に帰りついた。
その日は、初めてのアメリカ行きだったこともあり、用心して 都内に一泊する
スケジュールだったので、余裕があった。
 東京駅に着き、山手線の電車に乗ったとき、なんというか、日本人の小さいことを
改めて感じた。そして、皆、疲れ切った表情で電車に揺られているので、妙な気持ちが
した。NewYorkの地下鉄の喧騒と比べると、一種のカルチャーショックだった。
外国人でさえも日本の電車に乗るとおとなしくなるらしく。少々悲しい気分になったのを
憶えている。
アメリカの人達は、こんな満員電車に乗ることに耐えられるだろうか。
スーパーなどで買い物をしていて、前を横切る人は皆、"Excuse me" と言い、少しでも
身体が触れると "Excuse me"と発する人達だ、日本のように満員電車状態を受け入れる
だろうかと思わずにはいられなかった。多国籍の人種と共存する国と、同じ言語と
文化(?)を共有している国民性の違いと言えばそれまでだが、日本もそうは
行かなくなるのではないかと、思ったりした。
 その夜、日本のJAZZを聴いて、焼き鳥を食べ、「やっぱり日本はいいなあ」と
思ったのも事実です。

                 初めてのアメリカ旅行編は 終わりです。


PS:実は、この1年後には、家内と一緒に、また、Washingon.D.C ~New Yorkへ
行くことになりました。 そして、その1年後には、Londonへ行くことになろうとは
このときは思いもよりませんでした。

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