「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「紫の実房」 

2006-10-16 21:07:06 | 和歌

 「小紫」の実房が鮮やかな紫になった。





 夏の末ころ、仄かに色付き初めた実房に出会い、その枝先を辿ったら、何と、花を見つけて感激した。日にちを遡ってみたら八月三十日、その時の様子が「小紫」とのタイトルで書き留めてあった。あれから一ヶ月余、「小紫」と約束したわけではないが、紛うかたなく真正の「紫」の色を身に帯びて、待って居てくれた。

 「小紫」に憬れるのは虚庵居士だけではないようだ。「紫」の色には洋の東西を問わず、古来、人類は限りない愛着と尊敬と憧憬を抱いて来た。「何故か」については、多くの賢人が書き尽くしているが、凡人の虚庵居士には未だに解せないところもある。ただ言えることは、虚庵居士に「安らぎ」を与え、一方ではボンクラな頭に聊かなりとも「理性と感性」をもたらして呉れるようだ。

 ブログ「虚庵氏のお遊び」は、昨年々末のチョンボで消え失せ、気を取り直して再開して、今月で丁度十ヶ月目。 昨日の早朝、ご来訪下さった皆様の数が10,000名に達しました。

 皆様に支えられて続けて来れましたことに、こころより感謝申し上げます。








             紫にみを装いて待ちにしか
  
             約束たがえぬ小紫かも



             想ふらむ心のほどやよ如何ならめ

             いにしえ人は小紫みて



             ありがたき心の支えはあまたなる

             ひとびと柴の庵を訪ねて
       






「えのころぐさ」

2006-10-15 19:53:09 | 和歌
  
 空き地の「えのころぐさ」が、風に吹き荒ばれていた。

 秋風が身にしむこの頃は、久しく音沙汰ない友人のことが気にかかる。「去る者は日々に疎し」とは、人口に膾炙された言葉であるが、元をたどるとこの詩に到達する。
Far from eyes, far from heart. 交際が疎遠になり、やがて途絶えてゆく交友の感慨には、洋の東西を問わず、通じるものがあるようだ。


            去者日以疎  漢古詩(作者不明)

            去者日以疎   来者日以親
            出郭門直視   但見邱与墳
            松柏摧為薪   古墓犂為田
            白楊多悲風   蕭蕭愁殺人
            思還故里閭   欲帰道無因







             去る者は 日に日に疎く        

          来たる人とは 日毎に親しむ     

          街をいでて 彼方を見やれば    

          目に入るは ただ盛り土の     

                  墳邱なるかな          


          古き塚は 犂かれて田となり

          松柏は 薪に焚かれぬ

          はこ楊 秋風すさべば

          その葉音 我に代わりて

                  むせび泣くかも



          ああ遥か故里想えど たどる道の

          因るべも無くば如何に還えらむ    







「零余子・むかご」

2006-10-14 22:51:29 | 和歌

 「うつろ庵」の葡萄棚は、いつの間にかすっかり「自然薯」の蔓に占領されて、「むかご」が沢山なった。





 昨年も丁度今頃、「むかご」を摘み取って、友人知人へお裾分けした。「うつろ庵」の数少ない貴重な産物ではあるが、お配りしたお宅にとってはご迷惑ではなかったか。しかし考えてみれば、『たかが「むかご」、此方が思い煩うまでもないか』との思いに辿り着いたら、いたく気楽になった。

 しごく質素な日常生活をしている虚庵居士夫妻にとっては、実のところ「むかご」は大変なご馳走なのだ。ごく薄い塩味で「むかご」を炊き込んだご飯は、将に絶品だ。「むかご飯」を堪能した後に頂く「お薄」とも、至極相性がよろしい。秋の味覚の中でも、虚庵居士のランク付けでは最上級品だ。

 斯くまでも他愛も無いことを喜んでいるのを知れば、悪友は「虚庵居士も老境に達したか」と揶揄されるに違いあるまい。






             何時やらに葡萄に代わる自然薯の
  
             蔓を透かして見ゆる秋空  



             花結ぶ実にはあらねど自然薯は
  
             むかごに己を主張するらし  



             いわし雲の広ごる頃ぞむかご飯に 
 
             干物も佳きかな庵の食事は  






「ホトトギス」

2006-10-13 22:52:55 | 和歌

 「うつろ庵」のホトトギスが咲いた。

 ホトトギスは茎にも羽にも毛が生えていて、どう見ても美味しそうには見えないが、どの様な虫であろうか、ホトトギスの葉を好んで食い荒らしてくれる。蓼食う虫も好きずきと言うが・・・。

 鳥の名前ホトトギスが野草に借名されたのは、花の模様が、鳥の斑な羽紋に似ているからだと伝えられている。鳥のホトトギスは、古来多くの詩歌に詠まれて来たが、野草のホトトギスが余り詩歌に詠まれないのは、何故だろう。地味な花ゆえ、この野草の存在が余り知られていない為かも知れない。

 ホトトギスの鳴き声は、「テッペンカケタカ」「特許許可局」或いは「本尊かけたか」「不如帰去」など、聞く者の心の在り様によって、聞こえ方は様々だ。漢字名も、杜鵑・蜀魂・杜宇・不如帰、或いは時鳥・卯月鳥・早苗鳥・子規等など、三千年昔の中国の伝説によるもの、或いは夏を呼ぶ時節の鳥名など、こちらも詠む人のこころ次第だ。

 蜀の望帝・杜宇が死して後、ホトトギスになったとの伝説もあるが、血を吐くような声と聞き、怨みを含んで聞こえるのも、杜宇が心底から蜀へ帰ることを願っていたからだと伝えられている。拙著「千年の友」・熊孺登詩、「湘江夜汎」を参照されたい。






             侘びしげに杜鵑の花たゆたへば
 
             耳に残れる啼声かなしき 



             ホトトギスの花咲きにけり吾庵の 

             虫の集きを共に聞かまし



             ホトトギス鳴きつる方をながむれど 

             姿は見えず想いを残すや  





  

「柳葉ひまわり」 

2006-10-12 21:48:33 | 和歌

 何時もの散歩道に、一叢の「柳葉ひまわり」が咲いていた。





 ここのお宅では、草花の名札をさり気なく吊るして居られるので確かめたら、「ゴールデン・ピラミッド」とあった。北米から輸入された花ゆえ、英語名をそのまま日本語に翻訳した「柳葉ひまわり」は解るが、「ゴールデン・ピラミッド」との命名は、いったい何に由来するのだろうか。

 逞しく大輪に咲く向日葵の印象は、灼熱の太陽を連想させるが、深まり行く秋には、風に揺れる一叢の「柳葉ひまわり」が相応しい。

 黄色の花は、過ぎ去った夏への思慕を思わせ、一方では細い茎と柳葉の嫋やかな姿は、澄みわたる秋空の下で観ると、この花は色々なことを話しかけているように思われるのは、虚庵居士だけであろうか。多くの人々がこの花に共感を覚え、最近頓に見かけるようになったのは、無意識に同じような思いを抱くからかも知れない。






             大空に薄く広がる雲見れば
   
             うろこ連なる秋は来にけり   



             この夏のあまたの思いをなぞるらし
   
             柳葉ひまわりむら花ゆれいて   



             傍らに近づき立てば様々な   

             ささやき聞くかも花それぞれに   






「蓼科の朝あけ」

2006-10-11 22:41:30 | 和歌

 何時もは、パソコンの前での夜更かしとお寝坊の毎日であるが、昨晩は蓼科に来て早寝したら、早朝に目覚めた。

 カーテン越しに、ほの白むのを待ちかねて、窓辺に立った。外気と室温の落差が激しいのであろう、二重窓のガラスにはタップリと結露していた。掌で露を拭って外を見ると、遥か彼方の御嶽山の頂だけが、朝日をうけて輝いていた。

 間近の蓼科高原も、眼下の諏訪盆地もまだ眠りの帳が明けきれず、幾重にも重なった山並みには、靄がかかっていた。

 昨日に続き、紅葉狩りを更に半日ほど愉しんだ。紅葉狩りの途上で摘み取った山葡萄は、酸っぱいながらも甘みがあって、貴重な自然の恵みのお裾分けに与った。






             明けぬれば棚引く靄と山並みの
  
             遥か彼方に御嶽山見ゆ



             寝静まる諏訪の盆地を下に見て
  
             頂輝く御嶽山かも



             ものの皆いぶきを潜めて寝静まる 
 
             山並み遠く朝陽さしきぬ



             朧なる靄消え去りてやがて見ゆ
  
             梢を透かす山肌清しき



             見上げれば梢の先の月影は

             朝日を受けて透けにけるかも



             薄雲は斑に光りて広ごりぬ
 
             冷気の身に沁む山の朝かも







「御嶽山の夕陽」

2006-10-10 21:44:19 | 和歌
 
 家内を伴って、信州・蓼科に遊んだ。

 毎年この季節になると、蓼科へ紅葉狩りに出掛けるのが愉しみの一つであるが、宿の予約に合わせて、紅葉の進み具合を宿の主に尋ねたら、
「大分色付いて来ました。山葡萄の葉は今が盛りです」
とのご案内であった。

 気も漫ろに「うつろ庵」を飛び出して、車を大分走らせてから、肝心のカメラを忘れて来たことに気付いた。カメラに収めると、何時でも後から振り返れるので安心だが、カメラが無いとなると「心のまなこ」にシカと焼き付ける以外にあるまい。久しぶりの蓼科の山は、紅葉には未だ少し早過ぎたが、所々に見られる鮮やかな紅葉と緑葉の対比が、素晴らしかった。

 夕暮れになって、標高千七百メートルに位置する宿に到着した。折りしも西の窓には、夕陽が射しこんでいた。重なる遥かな山並みを越えて、御嶽山の山の端に紅蓮の夕陽が落ち込むところであった。稀に見る素晴らしい夕映であった。



             紅に燃ゆる夕陽は今まさに
  
             一瞬 煌めき 沈まむとすなり  



             御嶽の山影黒く深まれば 
 
             たなびく浮き雲 輝きわたりぬ  



             あかねさす光を残して沈みける 
 
             夕日の後を眺めつるかな  







「花蔓草」

2006-10-09 07:44:28 | 和歌

 秋も深まるというのに、花蔓草が春を思わせるかのように、瑞々しく咲いている。





 木の葉は紅葉が始り、木によっては既に落葉しているものもあるが、花蔓草の溌剌とした表情は一体どうなっているのだろう。多肉質の艶やかな葉が次つぎと芽吹き、この時節には珍しいピンクの小花を咲かせる姿は、どう見ても初々しい乙女の風情だ。背丈は低く保って地に這い、「うつろ庵」の隣りでは、道路沿いのフラワーベルトから垂れ下がっているので、赤いレンガに映えて殊のほか鮮やかだ。

 このところ頓に目立つようになった一文字セセリが、小花にとまって一心に花蜜を吸っていた。航空母艦から飛び立った軍用ジェット機よろしく、短く逞しい羽を、水平と垂直にした姿は、超音速で駆け抜けるファイターそのものだ。

 横須賀を母港とする通常型空母が近く退役して、原子力空母・ジョージワシントンが配備される計画だ。次回の市民大学の講演では、原子力に携わってきた専門家の立場から、分かり易い解説が、一つの要となろう。






             朝にけに花蔓草は咲けるかな
   
             深まる秋にも艶を保ちて



             もみじ葉の風に舞ひきてひとときの
   
             言葉交わすや花蔓草と   



             空母から飛び来たるらし一文字
  
             セセリはジェット戦闘機と見ゆ    







「花水木」

2006-10-08 17:04:10 | 和歌

  花水木の実が、赤く色づいた。





             紅に花水木の実の色づきて
 
             深まる秋を彩りにけり



 数日前には、紅葉した葉が大分残っていて、緑葉との対比が鮮やかで目を愉しませて呉れた。ただ下から見上げると、葉の裏しか見えないのが残念であった。表の紅葉はもっと鮮やかであろうが・・・。今朝の花水木は、一昨日の嵐で殆どの葉は吹き飛ばされ、赤い実だけが青空に浮かんでいた。緑葉と赤、空色と赤い実、色の対比の妙とは、このことであろうか。嵐で枯葉が吹き飛ばされて、丸裸になった花水木を見て気がついたが、枝の先端には既に来春の準備が整えられていた。丸くシッカリ閉じているのは花芽であろうか、冬を越す為の身支度も、十分のようだ。





             もみじ葉を嵐に脱ぎ捨てやがて来る

             春の花芽か梢に結ぶは 



 散歩から帰ってきたら、シドニーちゃんをおんぶしたお隣のN夫妻と出会った。適当なレストランを知らないので「お弁当」を買って来たと言って、ビニール袋を掲げて見せた。虚庵夫妻が数年来昵懇にしている、小さなイタリアンを紹介した。港近くの込み入った民家の中のレストランゆえ、地図をプリントして差し上げた。

「行って来たら、ご報告するわね!」
と、明るい奥様の声が印象的だった。気に入ってくれれば良いが・・・。






             高てらす秋の陽射しに煌めくは

             紅小粒の花水木かな





  

「孔雀草」 

2006-10-07 14:28:24 | 和歌

 台風並みの低気圧が吹き荒び、通過した後の三浦半島は、快晴に恵まれた。まさに「台風一過」である。





 昨日は、偶々ゴルフコンペが予定されていたが、前夜から荒天の予報が繰り返されていたので、参加を断念した。幹事殿にご迷惑を掛けては済まないので、留守電にメッセージを残し、念のため夜のうちにゴルフ場へファックスを入れた。予報通り朝から吹き荒れていたが、ゴルフ場へ電話したら「キャンセルになりました」との返答であった。大勢が参加するコンペでは、天候の異変は誠に厄介で幹事泣かせだ。幹事殿もさぞや気を使ったことであろう。





 散歩道の孔雀草は、か細い茎にも拘らず、暴風雨に耐えて清楚な花を咲かせていた。「手弱女」という言葉を思わせる花だ。たぶん「撓む」から来た表現だろうが、吹き荒ぶ風にも撓んで耐え忍ぶ「嫋やかさ」には、芯の強いものも感じさせる。

 紋白蝶と一文字セセリも、何処で暴風雨を耐え忍んでいたのだろう、今朝は孔雀草の花蜜を吸っていた。






             吹き荒ぶ秋の嵐をいずこにや
 
             凌ぎて舞へる今朝の蝶かも 



             かくばかり細き花茎折れもせで

             嵐に耐える手弱女ぶりかな 



             うろたえて 留守電 ファックス また電話

             さげすみ見やるか嫋やかな花は      






「新たな交流の架け橋」- 札幌その七 

2006-10-06 15:14:45 | 和歌

 北海道大学における原子力学会と「シニアと学生の対話」を契機に、新たな学術交流のチャンスが芽生えた。





 今回のイベントでは、北大・大学院のS教授およびN助教授には一方ならずお世話になったが、S教授の母校が虚庵居士の住まいのごく近く、防衛大学であることが判明して話が弾んだ。偶々、防大で研究を進めておられるスターリングエンジンを、かつて見学させて頂いたことが話題となった。図らずも北大・大学院でも新たな研究に取組んでおられると伺い、防大・名誉教授のT先生がお送り下さった論文集をご紹介した。

 双方の先生から折り返しご返事を頂き、是非とも学術交流を深めたいとのご意向が示された。スターリングエンジンは、原子力のような大型電力源ではないが、あらゆる廃熱や、バイオマス・廃棄物の燃焼熱の活用など、巾広いエネルギー対応が可能な環境対応型エンジンとして、やがて広く実用化されることが期待されている。

 これを契機に新たな学術交流が進展すれば、偶々仲立ちをした虚庵居士としても、欣快至極である。双方の先生方が一堂に会する機会を、是非とも実現したいものだ。






             吹き荒ぶ秋の嵐に北大の
 
             薔薇は無事かと案ずる今日かな 



             香りたつバラの気品を相知れば
 
             共に惹き合う契機なるべし 



             相共に最先端の研究の
 
             橋渡りませ夢を抱きて  






「M君との対話」  - 札幌その四

2006-10-05 20:34:48 | 和歌

  北海道大学での「シニアと学生の対話 イン北海道」は、大成功であった。





 四十数名の学生が、数人づつのグループに分かれ、参加したシニアも夫々二人づつグループに入り、膝を突き合わせて一時間半ほど対話をした。経験が豊かなシニアの発言が多くなるのは止むを得ないところだが、自然に囲まれて勉学を続ける北大生は、すこぶるナイーブで感受性が豊かであった。出来る限り学生諸君の発言を促し、最後の十分程度で、学生達は対話の要点を手際よく纏めて発表した。





 対話会の最後は、ビールを酌み交わしながらの懇親会になった。四・五十歳の年齢差を越えて、学生とシニアが歓談する姿は素晴らしい情景であった。M君との歓談では、如何に女友達をつくるかを例にして、爆笑の輪が広がった。





 彼らにとっては未経験な話題も、学生の最も関心のある話題を例に譬えれば、半世紀の年齢差も、たちまちギャップが埋まることを発見させて貰った。






             麗しき情景なるかも学生と

             グラス片手にジジら語らふ



             爺さまと孫ほど離れた齢の差も
 
             忽ち埋まる歓談なるかな
 


             北大の学生達と語らえば
 
             気風は伝えぬ ボーイズビーアンビシャス
   






「黙して語らず」  - 札幌その六

2006-10-04 20:37:35 | 和歌

  過去の原子力産業界は、余りにも「黙して語らず」であった。





 原子力発電について社会が安全だと認める大前提は、発電所が安全で安定な運転を継続し、その実績を積重ねることにあるが、従来は経営者も技術屋も口を噤んで、市民の皆さんへ語りかけをしようとしなかった。このことが、原子力発電に対して「不安感」を今まで残した、一因にもなっていると考えられる。

 トラブル発生時に、「技術的な説明をしても、難しくて理解出来ないだろう」との驕りが無かったか? メディアが誇張した表現をしても、歯を食いしばって、復旧に全精力を傾けるだけではなかったか? これでは百年経っても理解は得られまい。
当事者は自分の言葉で解説し、記者も隣人も納得できるまで説明する責任があろう。





 人間は納得できれば不安は解消され、安心できる。次世代を担う若者は身近な者に語りかけ、一人でも多くの市民が納得し、「お前がやっている原子力なら安心だ!」と言わせて欲しいものだ。(北大でのシニアと学生の対話・感想文より)






             棘あれど黙して語らず薔薇の花は 

             思いをこめて咲きわたるかも



             花ならずまして香りのなきものを
 
             如何につげばや語る他なし 



             責められることを懼れて口つぐみ
 
             語りかけずば理解は得られじ  






「姫林檎」 - 札幌その二

2006-10-03 22:18:57 | 和歌

  北海道大学のキャンパスを散歩していたら、鈴なりの「姫林檎」に出会った。





 羽田から早朝に飛び立って、千歳空港から札幌駅に着いたら、まだ十時そこそこであった。たっぷり時間があるので、同行のI氏と共に北大まで歩いた。正門に立てかけられていた日本原子力学会の看板の前で、若干恥じらいつつも、記念写真を写してキャンパスに入った。クラーク先生の銅像を訪ね、農学部の裏道を経てポプラ並木に到った。

 姫林檎の大木が、道路に覆いかぶさるように枝を伸ばしていた。しかも枝には赤く色づいた実が、鈴なりであった。左側の農場のフェンスには、名も知らぬ蔦が絡み付き、色鮮やかに紅葉して、我々を迎えて呉れていた。

 午後から始る、「シニアと学生の対話イン北海道」に参加する学生達の思いが、凝縮したかのような情景であった。






             その昔 農学校に始まりし

             北大訪ねて 先ず農場に立つ



             紅の粒煌めきて姫林檎は
  
             君らも学ぶや枝も撓に



             フェンスには熱き思いを紅に  

             葉を染め学ぶ 若人か 蔦よ    






「薔薇二輪」  - 札幌その五

2006-10-02 08:44:00 | 和歌

 北大・工学部の中庭には、薔薇が咲いていた。

 赤・ピンク・ローズなど、かなりの数のバラが咲いていたが、手入れが行き届かないのであろう、枝が徒長したり、枯れ花や枯枝が残ったりだった。だが、この時節で見事な花を観たいと願うのは、欲張りというものだ。そんななかで、二輪の薔薇が仲睦まじく咲いていた。

 札幌に滞在する日程は、当初はごく短いタイトな予定であったが、幸いにも都合がついて半日だけの余裕が出来た。予てからブログを通じてお付き合い願っている、お~どりん様へメールを差し上げたら、早速ご返事があって、ご夫妻と感激的な対面がかなった。

 市民ギャラリーで開催中の毎日書道展の会場で落ち合い、元サッポロビールの工場を改造した「ファクトリー」内の、とあるイタリアンで、ビールとワインとお喋りを堪能した。瞬く間の半日であったが、貴重な出会いに恵まれた半日であった。






             清しくも明るく仲の睦まじき
  
             ご夫妻なるかな気くばりうれしき

 

             千年の付き合い経たる旧友に

             逢いし心地の初対面なるかも



             語らひの時はたちまち過ぎしかな 
 
             機上に酔ふは出会いの余韻か