過去の原子力産業界は、余りにも「黙して語らず」であった。
原子力発電について社会が安全だと認める大前提は、発電所が安全で安定な運転を継続し、その実績を積重ねることにあるが、従来は経営者も技術屋も口を噤んで、市民の皆さんへ語りかけをしようとしなかった。このことが、原子力発電に対して「不安感」を今まで残した、一因にもなっていると考えられる。
トラブル発生時に、「技術的な説明をしても、難しくて理解出来ないだろう」との驕りが無かったか? メディアが誇張した表現をしても、歯を食いしばって、復旧に全精力を傾けるだけではなかったか? これでは百年経っても理解は得られまい。
当事者は自分の言葉で解説し、記者も隣人も納得できるまで説明する責任があろう。
人間は納得できれば不安は解消され、安心できる。次世代を担う若者は身近な者に語りかけ、一人でも多くの市民が納得し、「お前がやっている原子力なら安心だ!」と言わせて欲しいものだ。(北大でのシニアと学生の対話・感想文より)
棘あれど黙して語らず薔薇の花は
思いをこめて咲きわたるかも
花ならずまして香りのなきものを
如何につげばや語る他なし
責められることを懼れて口つぐみ
語りかけずば理解は得られじ