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自己満足日記

クラキンのささやかな道楽三昧  2009年3月14日開設

レベル ファイターシリーズ

2023年02月04日 14時50分34秒 | プラモデルのお話

突然ですが、私が子供の頃(小5~中3頃)に作り倒したレベルファイターシリーズのお話です。

私のプラモデル歴の第1幕は小学校4年生頃~中学を卒業する迄の6年間ほどです。
最初はサンダーバードやTVアニメのモーターライズ物なんかを作っては遊んで壊し・・・でしたが、5年生頃からスケール物を作り始め、特に飛行機に嵌まってました。
きつねうどんが1杯80円くらいの当時、1個100円という手頃なお値段で売っていたのがレベルファイターシリーズでした。
1/72で第一次、第二次大戦の各国の戦闘機がラインナップされていて、買っては作り、買っては作りを繰り返していたように思います。
プラカラー(懐かしい呼び名)を買ってきて筆塗りで塗装して作り始めたのもこの頃です。

記憶に残っている範囲で作ったキットを挙げてみます。
コルセア、ゼロ戦、疾風、飛燕、Bf109E、Fw190、Me262、P-47、P-40、P-39、P-51、テンペスト、ハリケーン、スピットファイヤー、SE5、ソッピースキャメル、DH2、スパッド、アルバトロス、フォッカーDⅦ、フォッカーDrⅠ・・・など

どのキットも今の水準で見ればかなり見劣りしますが、当時としては十分にハイレベルなキットでしたし中学生くらいの子供がお小遣いで何とか買える事も嬉しかったです。
全面に施された凸リベットや筋彫りも「凄いなぁ~~」と思ったものです。
1969年に観た映画「空軍大戦略」で飛行機好きが決定的になりました。
この頃の写真で唯一残っているのがテンペストです。
今の私より上手かも知れません。

買ったものの作らないまま高校入学(第Ⅰ幕の終了)と同時にお蔵入りになったのが、
フィアットCR42、隼Ⅰ型、F4F-4ワイドキャット、フォッカーEⅢです。
この4個は他の「積み」(48のアポロや144のSST等々)と一緒に阪神淡路大震災をきっかけに実家の物置から発掘され、既に40歳になっていた私の手元に戻りました。
これがプラモ歴の第Ⅱ幕「出戻り」の始まりです。
1年間位は作らずに放置していましたが、ある日キットを眺めているうちに無性に作りたくなり、最低限の工具や塗料や筆などを買ってきて作り始めました。
フォッカーEⅢだけはデカールも活きていたので、ちゃんと作りました。

他の3個はデカールは殆どが使い物にならなくなっていたので、適当な色に塗って作りました。
勿論全て素組みです。
第Ⅱ幕の初期の作品で、これで出戻りが決定的になりました。
当時の全面凸リベットが良いです。
キャノピーは筆塗りで、機体は缶スプレーで塗りました。


第Ⅰ幕でも第Ⅱ幕でも私の飛行機プラモ好きを決定的にしてくれた思い出のシリーズです。
つまらない思い出話にお付き合い頂き、ありがとうございました。

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12 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (hajime)
2023-02-04 15:52:34
クラキンさんとプラモデルの出会いから出戻りまでの経緯、知ることができてとても嬉しいです。
みんなそれぞれ出会いと出戻りの歴史があるんですね。
もちろん出戻りはなくて、ず〜っと作っていらっしゃる方もおられると思います。すごいなあと思います。
返信する
Re:Unknown (クラキン)
2023-02-04 16:46:53
hajimeさん、いらっしゃいませ。
高校入学~40歳まで25年間プラモデルとは縁が無かったです。
部活やデートやバンドやバイク等々月並みの学生生活を楽しみ、その後は就職、結婚、子育て・・・・もしも阪神淡路大震災が無かったら永遠に出戻っていなかったかも知れません。😁
子供の頃からずっと何十年も作り続けられている方には本当に凄いです。😲
そんな中でレベルファイターシリーズは絶対に忘れられない存在です。
25年の空白の後、木箱の中の造り残しのキットを見つけたときは「お帰り」って言われたような気がしたのを憶えています。
返信する
Unknown (みず)
2023-02-04 21:08:05
一度離れた世界に自ら戻った時って、新鮮でもあり懐かしくもあり、不思議な気分になります。クラキンさんのレベルファイターシリーズは、私にとってはハセガワ1/72とウォーターラインシリーズといったとこです。
私はギターと車は始めた時から途切れることなく続いておりますが、プラモは二度目の出戻りです。どれも一生続けたいですね。
返信する
Re:Unknown (クラキン)
2023-02-05 09:55:45
みずさん、いらっしゃいませ。
実家の物置でプラモデルの入った木箱を見つけたときは、正しく「玉手箱」でした。
箱の外観を観た時にピンと来て、開けた瞬間「お帰り、長いこと待ってたよ・・・」っていう声が聞こえたような錯覚を覚えました。
衣装ケース2個分くらいの大きさの木箱に10個余りのキットが入っていて、ファイターシリーズ以外にレベルのアポロ11号とボーイングSST、フジミのFW190なんかが入ってました。
状態の悪い1~2個を除いて全部成仏させました。
私が子供の頃からずっと続いているのは映画を観ることと音楽を聴くことです。
絵を描くのが15年くらい、ギターが10年くらい、バイクが16年くらい、スキーは10年くらい、ウォーキングが16年くらいです。
プラモ歴は合算して32年ですから釣り歴とほぼ同じです。
プラモ第Ⅰ幕では50個くらい作った憶えがあるので、合算すると240個くらいになるかと思います。
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Unknown (黒猫2号)
2023-02-06 07:36:24
おはようございます、クラキン様

”レベルファイターシリーズ!”
懐かしいですね、当時の記憶が蘇ってきました(^^)
エアのビニール袋入りには手が出せませんでしたが、こちらは何とかなる金額でしたから。

全面の凸リベットもそのうち「リアルじゃない!」っていう風潮になってきて、
それこそ全面削り取りが正しいなんて記事を読んで、それを鵜呑みにしてせっせと削っていました(笑)

テンペストの写真が良く残っていましたね!
あの時代にこの出来上がりはスゴイ!!
モノクロ写真に、当時の少年雑誌に載っていた模型記事を思い出しました(^^;

それにしても「出戻り」でいきなりフォッカーEⅢの張線とは凄すぎます💦。
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Re:Unknown (クラキン)
2023-02-06 08:57:53
黒猫2号さん、いらっしゃいませ。
第Ⅰ幕は1960年代後半頃はまだ日本メーカーのスケール物よりも海外メーカーの方が人気がありましたが、モノグラムやエアフィックスは高くて手が出ませんでした。
その点、ファイターシリーズは何とか子供でも買える値段でしたね。
私は凸リベットが好きでしたから、みんなそのまま素組みしてました。
テンペストは多分、中1頃に作った物だと思いますが、この頃は全部プラカラーの筆塗りです。
モノクロでピンボケなので余計に上手く見えますね。😂
ワイルドキャットや隼を適当に作った後で、本格的に出戻った後の3~4作目くらいがEⅢだったと思います。
張り線はナイロンテグスで結構苦労したのを憶えています。
返信する
Unknown (あきみず)
2023-02-06 13:42:12
懐かしいことばかりです。レベルファイターシリーズ
にはお世話になりました。日本機は全く作ら
無かったです 私の初めてのキットは三和の
ピーナッツシリーズでした。その中でも震電は
変わった飛行機だと覚えています。
レベルのキットはグンゼと提携前は240円?
だったような 英語の説明書に辞書を引いて
作りました 今も説明書は残っていますが
箱はかさ張るので捨ててしまったのが、
残念です。LSの彗星、隼2型、日模の
飛燕、フォッケ、ムスタング オオタキの
48シリーズといくらでも思い出します。
返信する
Re:Unknown (クラキン)
2023-02-06 16:32:02
あきみずさん、いらっしゃいませ。
やはりファイターシリーズはお世話になられたんですね。
私が買っていたのはグンゼ版だったのかも知れません。
全部100円の値札が貼ってありました。
説明書も日本語だったように思います。
私が初めて作ったキットが何だったかは憶えていませんが、多分キャラクター物の動くヤツだったと思います。
本格的にスケール物を作り始めたのは小学校の5年生頃からだったかと思います。
お年玉をはたいてレベルの1/32のBf109Gを買ったのも憶えてます。
古いミシンの台を作業テーブルにして作っていました。
返信する
運命の再会ですね。 (Choro-Poo)
2023-02-06 17:56:17
こんばんは。
クラキンさんのプラモ遍歴、たいへん興味深かったです。
私はその頃タミヤのモーターライズ戦車を走らせて遊んでいました。
特別スケールキットに興味はなかったようです。要するに子供っぽかったって事でしょうか(笑)。
それにしても大震災を生き延びたキット達が凄いです、運命の再会とはこの事ですね♪。
返信する
Re:運命の再会ですね。 (クラキン)
2023-02-06 18:37:26
Choro-pooさん、いらっしゃいませ。
小学校5年生頃にスケール物に目覚めてからは飛行機ばっかり作ってましたが、高校に入って途端にピタッと止めてしまったんです。部活やバイクや女の子に興味が向いてしまったんですね。😁
震災の数日後に実家の救援に行ったとき、中がグチャグチャになった物置の整理をしていて見つけたんです。
仰る通り、運命の再会ですね。
あれが無かったら今頃何やって遊んでるんでしょうね。
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