7月16日から約2週間、入院生活をしておりました。
無事退院して8月から心機一転、職場復帰します。
発熱から入院、退院までの18日間の経緯を記しておきます。
7月11日(日)
日中は元気に富山市まで行って「いとみち」を観てきました。
夕飯は、たまにはウナギでも食べようかということで、すき家でウナ牛を食べて帰宅。
何の前兆も無く全く普通の平和な日曜日でした。
夜になって、コロッケパンの残りが冷蔵庫にあったのを食べて、焼酎の炭酸割りを作って飲み始めようかという時に、突然悪寒が来て体が震えて止まらなくなりました。
とにかく寒いので上着を着込んで体をドライヤーで温めてなんとか悪寒は収まりましたが、体温を測ると39.4度。
慌てて解熱鎮痛剤を飲んで体温を下げてそのまま寝ました。
7月12日(月)
解熱鎮痛剤を飲むと、大体5時間程度は熱が下がるので、その間に仕事をしますが、今になって思うとよくあの状態で仕事なんかしてたなと思います。
約5時間ほどで解熱剤が切れて体温が上がってくると一気に39度台まで上がるので、一日に37度から39度の間を何度行ったり来たりしたことか。
とりあえずこの日は解熱鎮痛剤でなんとかしのぎました。
7月13日(火)
もしかして新型コロナだったら大変な事だと言うことで、富山県の相談センターに電話したところ、氷見市内の発熱外来を紹介していただきました。
さっそく発熱外来の医院に電話したところすぐ来てくださいとのこと。
入り口は正面では無く裏の通用口から入って、すぐの検査室で待つように言われました。
こちらでは抗原検査をしていただきました。
結果はコロナ、インフルエンザともに陰性。
ただ、抗原検査は100%ではないので、しばらく様子を見て肺炎の症状や味覚障害などの症状が出たらすぐ連絡するようにとのことでした。
もしこの抗原検査で陽性が出れば、ようやく市民病院へ紹介状を書いてもらってPCR検査ということになるらしいです。
濃厚接触者や、スポーツ選手などはすぐにPCR検査を受けられるようですが、普通の発熱患者にとってなかなかPCR検査までのハードルは高いようです。
とりあえずコロナではなさそうだとのことでしたが、相変わらず熱は下がらず解熱鎮痛剤が切れると39度まで上がります。
発熱するときは全身寒いし、解熱剤を飲むと汗だらだらになるし、この日も同じ繰り返しが続きました。
7月14日(水曜日)
全く熱が下がらないので、前日の発熱外来の先生に電話したところ、もう一度来てくださいとのこと。
再度抗原検査をしていただきましたが、陰性でした。
先生から他に何か思い当たる事は無いかと聞かれましたので、以前住民健診で引っかかって大腸内視鏡検査をしたときに、S状結腸に憩室があるので突然痛くなったりすることがあるかもしれないと言われたのを伝えました。
そのときは我慢できないほど腹が痛いと言うことも無かったのですが、重苦しい感じはしていました。
先生の機転ですぐに血液検査と超音波エコーで診察をしていただきました。
診察の結果S状結腸が広範囲に腫れていて、これが発熱の原因だろうということで、抗生剤の点滴をしていただきました。
解熱鎮痛剤をいただいて帰宅。
7月15日(木曜日)
やはり一日中熱が上がったままで、数時間おきに解熱剤で熱を下げてその間に仕事を片付けます。
日曜日の晩に発熱してからは食事を摂る気力も無く、ゼリーだけで過ごしていました。
7月16日(金曜日)
発熱外来の先生から、この日もう一度来院するように言われていたので向かいます。
今度はコロナの疑いがないので、正面玄関から入ってくださいとのことでした。
すぐに大きな病院へ紹介状を書くから、この足ですぐに行ってくださいとのこと。
慌ただしく一旦自宅に立ち寄ってから高岡市内の病院へ向かいました。
外科の先生への紹介状だったので、最悪手術かなと思っていたのですが、CTの画像を外科の先生と内科の先生が見てくださいまして、結局内科での緊急入院となりました。
病名はS状結腸憩室炎です。
まさかそのまますぐに入院になるとは思ってもいなかったので、何の準備もして無くて、夜になって妻にいろいろと持ってきてもらいました。
ただ、このコロナ禍で面会は一切不可なので、家族はナースステーションに荷物を預けて、それを看護師さんが病室まで持ってきてくれるというシステムになっていました。
とりあえず当分の間絶食で、腸を休めるそうです。
解熱剤は点滴なので速効で熱が下がりますが、やはり数時間でまた39度台に戻ります。
寒いのと暑いのとの繰り返しでただただ体力が消耗しているような気がします。
主治医の先生は、美人の女医さん。
まさかこんな美人の女医さんに当たるとは、この日のサプライズその2でした。
7月17日(土曜日)
絶食2日目。
栄養は点滴で入れてあるので大丈夫とのことですが、水しか飲めないのは辛いです。
夜になってまた悪寒がきで震えが止まらなくなりナースコールをしたのですが、男性の看護師が来て「寒くないようにふとんをかけておきますね」と行って帰って行きました。
悪寒で震えが止まらないのだから、熱いタオルで背中を暖めるとかなんとか対処できないのかよ、と思いながら震えてました。
5~10分ほどで悪寒と震えは止まるのですが、何のためのナースコールなんだ、と震える体で思いました。
相部屋なので夜はおじさん達のいびきでなかなか寝られません。
妻には耳栓の差し入れをお願いしておきました。
7月18日(日曜日)
相変わらず熱は上がったまま下がらず。
数時間に一度点滴で解熱剤を入れてもらいますが、解熱剤が切れるとあっという間に38~39度に戻ります。
絶食は続いていて、水のみというのはやはり辛いです。
7月19日(月曜日)
未明に解熱剤を点滴してもらいましたが、その後あまり熱は上がらなくなりました。
とは言っても37度台ですが。
11日の晩に発熱してから9日ぶりにようやく高熱から解放されたことになります。
男性の陰嚢はサーモスタットなので、発熱すると熱を放出するように伸びきってしまいます。
私の陰嚢も、高熱のためほぼ9日間伸びきっておりましたが、ようやく元の状態に戻りました。
S状結腸の炎症が治まってきたのかもしれません。
1週間以上前から何も食べていないはずなのに、この日と翌日に黒い便が3回ほど出ました。看護師さんの話では、出血したのがS状結腸にたまっていて、それが出たのだろうとの事でした。
結構な量の出血があったようです。
7月20日(火曜日)
発熱しなくなったので、一気に体が楽になりました。
熱のあるときは、本など読む気にもなれず、テレビも観る気力も無かったのですが、本を読もうという気力が少し戻ってきました。
何日ぶりかでシャワーを浴びました。
点滴は一時ストップして、腕を保護してのシャワーです。
とにかく汗で髪の毛が爆発していたので、すっきりしました。
しかし依然絶食中、水だけは辛いです。
ジュース系もだめらしいので、ほんとにひたすら水だけです。
夜はほとんど眠ることができなくて、細切れに寝ていますが睡眠不足です。
妻の差し入れの耳栓がなかったらもっと悲惨だったかもしれません。
7月21日(水曜日)
この日の朝から食事が出ました。
とは言ってもまずは「重湯」からスタートです。
しばらく口からは水しか摂取してなかったので、久しぶりの水以外の物です。
午後から病室の引っ越しで、3階から6階へ移りました。
病院の都合だと思いますが、ようやく看護師さんの顔と名前が一致してきた頃だったので、ちょっと残念でした。
腸の血管に血栓があるとのことで、循環器科の先生の診察を受けて、血栓を溶かして血液をサラサラにする薬を処方していただきました。
~その2へ続く~