三味三昧 笛三昧

津軽三味線奏者、笛・尺八奏者、たまに胡弓奏者、なぜかアマ無線家
音楽好き趣味三昧人間「くまりん」のお気楽日記です

8J9VLPのQSLカードの印刷が完了しました。

2021年08月02日 18時46分44秒 | アマチュア無線
8J9VLP富山県運用分のQSLカードの印刷を完了、ビューローへ向け発送しました。

実は体調を崩して入院する少し前に、QSLカードは我が家に届いていたのですが、開封する気力も無くそのまま放置されていました。
退院後に、ほぼ一日がかりで印刷を完了しました。


昨年は、購入後数年を経過したエプソンのインクカートリッジ式のプリンターで印刷しましたが、昨年の実績の3000枚を印刷するのに、インクカートリッジを3個ほど使って非経済的でした。
加えてプリンターを長時間使っていると熱がこもってしまうらしく、印刷スピードが極端に落ちてしまうという現象も出てしまい、3000枚の印刷にまる一日以上かかってしまいました。

なので今年のVLPのQSLカードの印刷の時期には、インクボトル式のプリンターに買い換える予定をしていまして、退院後に近所の量販店で買い求めてきました。

プリンターを設置して、諸々設定をしてインクを充填して印刷を開始したのが夕方。
JARLの指定逆順で印刷をします。
今年のQSO実績は4700枚弱。
従来のプリンターだったらまる2日はかかったのではないかと思いますが、快調に印刷が進みます。
印刷時の音も従来の物より小さくてあまり耳障りではありません。
この日は就寝で一旦中断しました。

翌日も朝から印刷の続き。
はがきトレーには20枚しか入らないので、20枚ずつ補填しないといけません。
これが一番面倒でした。
都合230数回、トレーにはがきを補填したことになります。
途中いろいろと用事でプリンターの前を離れましたが、2日目の夜には無事に4700枚弱の印刷を完了しました。






ひときわ高いのが1エリア分のカードです、1エリア恐るべし。
3エリアの倍以上あります。

4700枚印刷してインクの消費量は満タンの約1/5~1/6。
転送枠を黒の点線にしたので、黒以外は使っていません。
カートリッジ式に比べて大変経済的でびっくりしました。

昨年はヤマト便で送りましたが、今年は枚数が昨年の5割増しで送料がかなり高くなりそうなので、ダメモトで富山市の無線パーツさんに問い合わせたら、まとめて送るので大丈夫という返事。
枚数が枚数だったので大変恐縮だったのですが、ご厚意に甘えて昨日富山市まで持って行ってきました。

8J9VLPの運用管理団体は、100%寄付に頼っている貧乏な団体なので、運送料が浮くのは大変ありがたいことです。
ドネーションをいただける方がいらっしゃいましたら、ご一報ください。

石川、福井県運用分は7月中旬に印刷してビューローへ送ってありますので、もしかしたら富山県運用分は一回遅れになるかもしれませんが、お待ちください。
写真面は届いたときのお楽しみということで。
ちなみに今年の写真面は福井県の担当でした。

これにて、今年の8J9VLPの運用~残務整理はすべて終了しました。
また来年心機一転頑張りますので、ご協力いただける方の一報をお待ちしております。

JH9CDZ
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18日間の闘病記(その2)

2021年08月02日 09時12分47秒 | しょーもない徒然日記
~その2です~


7月22日(木・祝日)

この日から4連休なので、ひたすら暇な入院生活です。
日中読書とテレビで起きて脳を動かしていないと、夜に眠れなくなると思うのですが、夜はやはり眠れません。
相部屋のおじさん達のいびきの大合唱でまず無理です。
明け方になると皆さん静かになるので、ようやくうとうととできますが、やはり慢性的に寝不足が続いています。

看護師さん達はしっかり交代で休みのようですが、主治医の先生は毎日必ず顔を出されました。頭が下がります。

元気ならこの4連休はどこかへ移動して無線をする予定だったのですが、我慢の4連休になってしまいました。

バッグの中を確かめていたら、ラッキーなことにICレコーダーが入っていました。
民謡からJUJUまでいろんな音源も入れてあったので、結構な暇つぶしになりました。

この日からは3分粥です。
とは言ってもお粥にはほど遠いです。




7月23日(金・祝日)

我慢の4連休、2日目。

この日も3分粥ですが、おかずが少し付いているのが嬉しいです。
熱はほぼ平熱まで下がりました。

昼は読書と、ICレコーダーに入っている音楽鑑賞で過ごします。

こういう病棟なので、トイレが汚れていることが多々あります。
きっと汚したのがわかっていても、綺麗に掃除する気力も無い人が多いのかもしれませんが、困ったものです。
何度綺麗に拭いて掃除をしたことか。


7月24日(土曜日)

我慢の4連休、3日目。

この日から5分粥。
多少お粥の中の粒が大きくなったかなと思う程度の差です。



昨晩はオリンピックの開会式があったそうで、私には関係ないことですが。
ツイッターでいろいろ書いてあるのを読んで、大体の雰囲気は解りました。

テレビはどこの局を見てもオリンピックばかりなので、いい加減嫌になってきます。
たまたま見ていたTBSの報道特集で、オリンピックの関係者が弁当やおにぎりを廃棄しているのをやってました。
全く罰当たりな行為です。


7月25日(日曜日)

我慢の4連休、最終日。

この日から7分粥。
だいぶ全粥に近づいてきました。
おかずも結構形のある物になってきました。
しかしなぜか不安なので、時間をかけてしっかりと噛んで食べています。



コロナワクチン2回目の接種日でしたが、入院中なので妻に電話してもらいキャンセルしました。
2度目のキャンセルです。
主治医の先生に聞いたところ、1回目の接種から多少間隔がが空いてもかまわないので、退院後に2回目の予約をして接種してくださいとのことでした。

相変わらず日中は頑張って読書と音楽鑑賞でエネルギーを使っているのですが、夜はなかなか眠れません。


7月26日(月曜日)

朝6時に採血で起こされます。
確か1日おきに朝6時に採血で起こされているような気がしますが、実は明け方にようや眠りについて気持ちよくなったところで起こされるのです。

この日から全粥になりました。
お粥って言ったらこれですよね。



午前中に主治医の先生がいらっしゃって、血液検査の結果も良いので明後日28日退院にしようかとおっしゃいました。
ようやくこの入院生活の出口が見えました。

4連休中は病院の規則でシャワーが使えなかったので、6日ぶりにシャワーを浴びました。退院の目処も立ったので、気持ちがすっきりしました。

入院中にこの本を読破しました。
去年買って本棚の肥やしになる寸前だったところでした。
なかなかこの類いの本をしっかり読む機会なんてないのですが、暇に任せてさいごまで読みました。
大体においてテレビからの情報を鵜呑みにしているので、目から鱗のことが多々ありました。




7月27日(火曜日)

やはり全粥です。
お昼に肉が出たのにはびっくりしました。
まだ自信が無いので、しっかり噛んで食べましたが・・・。

テレビはどこの局もオリンピックばかりなので、BSでドキュメンタリーなどをやっているとこれ幸いと見ていました。

数年前に整形外科で入院していたときは、テレビばかり見ていてテレビのカード(1000円で18時間くらい見られるらしい)を何枚も使ったのですが、今回は1枚使い切らずに終わりました。

夜になって、入院最後の晩くらいゆっくり眠りたいものだと思い、看護師のにいちゃんに睡眠導入剤を頼んだのですが、後から持ってきますと言ったきり結局持ってきてくれませんでした。
悪寒が来てるのに布団を掛けていっただけのにいちゃんといい、どうもこの病院の男性看護師はおかしいです。


7月28日(水曜日)

この日は循環器科を受診して10時半に退院ということでしたが、なかなか循環器科からお呼びがかからず、結局私服に着替えて退院準備をしてから循環器科へ行ってくださいとのこと。

11時には家へ帰れるかと思っていたのに、結局はお昼頃でした。

左下腹部、S状結腸のあたりはまだ手で押すと痛いのですが、普段は痛みも無く大丈夫なくらいまで回復しました。
あとは通院で検査をして、内視鏡検査もしてという流れになるそうです。

以上、今回の発熱~入院顛末記でした。
抗原検査~PCR検査のことや、憩室炎の治療など参考になることがあれば幸いです。
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18日間の闘病記(その1)

2021年08月02日 09時04分06秒 | しょーもない徒然日記

7月16日から約2週間、入院生活をしておりました。
無事退院して8月から心機一転、職場復帰します。

発熱から入院、退院までの18日間の経緯を記しておきます。


7月11日(日)

日中は元気に富山市まで行って「いとみち」を観てきました。
夕飯は、たまにはウナギでも食べようかということで、すき家でウナ牛を食べて帰宅。
何の前兆も無く全く普通の平和な日曜日でした。

夜になって、コロッケパンの残りが冷蔵庫にあったのを食べて、焼酎の炭酸割りを作って飲み始めようかという時に、突然悪寒が来て体が震えて止まらなくなりました。
とにかく寒いので上着を着込んで体をドライヤーで温めてなんとか悪寒は収まりましたが、体温を測ると39.4度。
慌てて解熱鎮痛剤を飲んで体温を下げてそのまま寝ました。


7月12日(月)

解熱鎮痛剤を飲むと、大体5時間程度は熱が下がるので、その間に仕事をしますが、今になって思うとよくあの状態で仕事なんかしてたなと思います。
約5時間ほどで解熱剤が切れて体温が上がってくると一気に39度台まで上がるので、一日に37度から39度の間を何度行ったり来たりしたことか。
とりあえずこの日は解熱鎮痛剤でなんとかしのぎました。


7月13日(火)

もしかして新型コロナだったら大変な事だと言うことで、富山県の相談センターに電話したところ、氷見市内の発熱外来を紹介していただきました。
さっそく発熱外来の医院に電話したところすぐ来てくださいとのこと。
入り口は正面では無く裏の通用口から入って、すぐの検査室で待つように言われました。

こちらでは抗原検査をしていただきました。
結果はコロナ、インフルエンザともに陰性。
ただ、抗原検査は100%ではないので、しばらく様子を見て肺炎の症状や味覚障害などの症状が出たらすぐ連絡するようにとのことでした。

もしこの抗原検査で陽性が出れば、ようやく市民病院へ紹介状を書いてもらってPCR検査ということになるらしいです。
濃厚接触者や、スポーツ選手などはすぐにPCR検査を受けられるようですが、普通の発熱患者にとってなかなかPCR検査までのハードルは高いようです。

とりあえずコロナではなさそうだとのことでしたが、相変わらず熱は下がらず解熱鎮痛剤が切れると39度まで上がります。
発熱するときは全身寒いし、解熱剤を飲むと汗だらだらになるし、この日も同じ繰り返しが続きました。


7月14日(水曜日)

全く熱が下がらないので、前日の発熱外来の先生に電話したところ、もう一度来てくださいとのこと。
再度抗原検査をしていただきましたが、陰性でした。

先生から他に何か思い当たる事は無いかと聞かれましたので、以前住民健診で引っかかって大腸内視鏡検査をしたときに、S状結腸に憩室があるので突然痛くなったりすることがあるかもしれないと言われたのを伝えました。
そのときは我慢できないほど腹が痛いと言うことも無かったのですが、重苦しい感じはしていました。

先生の機転ですぐに血液検査と超音波エコーで診察をしていただきました。
診察の結果S状結腸が広範囲に腫れていて、これが発熱の原因だろうということで、抗生剤の点滴をしていただきました。
解熱鎮痛剤をいただいて帰宅。


7月15日(木曜日)

やはり一日中熱が上がったままで、数時間おきに解熱剤で熱を下げてその間に仕事を片付けます。
日曜日の晩に発熱してからは食事を摂る気力も無く、ゼリーだけで過ごしていました。


7月16日(金曜日)

発熱外来の先生から、この日もう一度来院するように言われていたので向かいます。
今度はコロナの疑いがないので、正面玄関から入ってくださいとのことでした。

すぐに大きな病院へ紹介状を書くから、この足ですぐに行ってくださいとのこと。
慌ただしく一旦自宅に立ち寄ってから高岡市内の病院へ向かいました。

外科の先生への紹介状だったので、最悪手術かなと思っていたのですが、CTの画像を外科の先生と内科の先生が見てくださいまして、結局内科での緊急入院となりました。
病名はS状結腸憩室炎です。

まさかそのまますぐに入院になるとは思ってもいなかったので、何の準備もして無くて、夜になって妻にいろいろと持ってきてもらいました。
ただ、このコロナ禍で面会は一切不可なので、家族はナースステーションに荷物を預けて、それを看護師さんが病室まで持ってきてくれるというシステムになっていました。

とりあえず当分の間絶食で、腸を休めるそうです。



解熱剤は点滴なので速効で熱が下がりますが、やはり数時間でまた39度台に戻ります。
寒いのと暑いのとの繰り返しでただただ体力が消耗しているような気がします。

主治医の先生は、美人の女医さん。
まさかこんな美人の女医さんに当たるとは、この日のサプライズその2でした。


7月17日(土曜日)

絶食2日目。
栄養は点滴で入れてあるので大丈夫とのことですが、水しか飲めないのは辛いです。

夜になってまた悪寒がきで震えが止まらなくなりナースコールをしたのですが、男性の看護師が来て「寒くないようにふとんをかけておきますね」と行って帰って行きました。
悪寒で震えが止まらないのだから、熱いタオルで背中を暖めるとかなんとか対処できないのかよ、と思いながら震えてました。
5~10分ほどで悪寒と震えは止まるのですが、何のためのナースコールなんだ、と震える体で思いました。

相部屋なので夜はおじさん達のいびきでなかなか寝られません。
妻には耳栓の差し入れをお願いしておきました。


7月18日(日曜日)

相変わらず熱は上がったまま下がらず。
数時間に一度点滴で解熱剤を入れてもらいますが、解熱剤が切れるとあっという間に38~39度に戻ります。

絶食は続いていて、水のみというのはやはり辛いです。


7月19日(月曜日)

未明に解熱剤を点滴してもらいましたが、その後あまり熱は上がらなくなりました。
とは言っても37度台ですが。
11日の晩に発熱してから9日ぶりにようやく高熱から解放されたことになります。
男性の陰嚢はサーモスタットなので、発熱すると熱を放出するように伸びきってしまいます。
私の陰嚢も、高熱のためほぼ9日間伸びきっておりましたが、ようやく元の状態に戻りました。
S状結腸の炎症が治まってきたのかもしれません。

1週間以上前から何も食べていないはずなのに、この日と翌日に黒い便が3回ほど出ました。看護師さんの話では、出血したのがS状結腸にたまっていて、それが出たのだろうとの事でした。
結構な量の出血があったようです。


7月20日(火曜日)

発熱しなくなったので、一気に体が楽になりました。
熱のあるときは、本など読む気にもなれず、テレビも観る気力も無かったのですが、本を読もうという気力が少し戻ってきました。

何日ぶりかでシャワーを浴びました。
点滴は一時ストップして、腕を保護してのシャワーです。
とにかく汗で髪の毛が爆発していたので、すっきりしました。

しかし依然絶食中、水だけは辛いです。
ジュース系もだめらしいので、ほんとにひたすら水だけです。

夜はほとんど眠ることができなくて、細切れに寝ていますが睡眠不足です。
妻の差し入れの耳栓がなかったらもっと悲惨だったかもしれません。


7月21日(水曜日)

この日の朝から食事が出ました。
とは言ってもまずは「重湯」からスタートです。
しばらく口からは水しか摂取してなかったので、久しぶりの水以外の物です。





午後から病室の引っ越しで、3階から6階へ移りました。
病院の都合だと思いますが、ようやく看護師さんの顔と名前が一致してきた頃だったので、ちょっと残念でした。

腸の血管に血栓があるとのことで、循環器科の先生の診察を受けて、血栓を溶かして血液をサラサラにする薬を処方していただきました。


~その2へ続く~
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