縁あって、昨年若くして亡くなられた女性の三味線を預かることになりました。
毎年民謡好き(民謡狂い)が集まるミーティングで一緒に楽しんでいた仲間ですが、彼女が中心的な存在でした。
たまたま私が津軽三味線を弾いているということで、引き取ることになりました。

胴袋だけでは北陸の冬にはあまりにも寒そうだったので、ちょっと彼女にしては派手すぎるかとも思いましたが、きれいな柄の長袋を着せてみました。多分こんな派手なのはいやだと言ってると思いますが。

唄も津軽三味線も上手だった彼女、唄の大会はいろいろ出てたようですが津軽三味線の大会は無理だといって出ていませんでした。5月の青森大会には彼女の三味線を連れていって津軽の空気に触れさせてあげたいと思っています。
この猫ちゃんのアクセサリーも一緒に連れて行きます。

この1年で、私の周りでは多くの民謡の先生、民謡仲間たちが亡くなられました。
私の民謡尺八の師匠である米谷威和久先生、同じく津軽三味線の師匠である木田貫松栄先生。
尺八ではいろいろとお世話になった平林火山先生、ここ数年お世話になっていた射水正声民謡会の金瀬先生、そして前述の彼女、同じ民謡狂い仲間のSさん・・・。
今年暮れの私の会のおさらい会は皆さんを偲んで、所縁のある民謡を選曲したいと思います。
私の練習部屋の写真です。

左上は米谷会の名取り式のもの、右下が先月亡くなられた米谷威和久先生。米谷威和男先生の写真と一緒に写っています。
右上は佐藤松子流松博会の名取り式のもの、左から2人目が二代目佐藤松博先生、亡くなられて10年になります。
左下が前述の彼女、真ん中下が同じ民謡狂いのメンバーのSさん。
右下は私のいとこ、木田林松次先生の孫弟子で、10数年前に亡くなりました。
皆さんに見守られて練習部屋に入ると身が引き締まります。
毎年民謡好き(民謡狂い)が集まるミーティングで一緒に楽しんでいた仲間ですが、彼女が中心的な存在でした。
たまたま私が津軽三味線を弾いているということで、引き取ることになりました。

胴袋だけでは北陸の冬にはあまりにも寒そうだったので、ちょっと彼女にしては派手すぎるかとも思いましたが、きれいな柄の長袋を着せてみました。多分こんな派手なのはいやだと言ってると思いますが。

唄も津軽三味線も上手だった彼女、唄の大会はいろいろ出てたようですが津軽三味線の大会は無理だといって出ていませんでした。5月の青森大会には彼女の三味線を連れていって津軽の空気に触れさせてあげたいと思っています。
この猫ちゃんのアクセサリーも一緒に連れて行きます。

この1年で、私の周りでは多くの民謡の先生、民謡仲間たちが亡くなられました。
私の民謡尺八の師匠である米谷威和久先生、同じく津軽三味線の師匠である木田貫松栄先生。
尺八ではいろいろとお世話になった平林火山先生、ここ数年お世話になっていた射水正声民謡会の金瀬先生、そして前述の彼女、同じ民謡狂い仲間のSさん・・・。
今年暮れの私の会のおさらい会は皆さんを偲んで、所縁のある民謡を選曲したいと思います。
私の練習部屋の写真です。

左上は米谷会の名取り式のもの、右下が先月亡くなられた米谷威和久先生。米谷威和男先生の写真と一緒に写っています。
右上は佐藤松子流松博会の名取り式のもの、左から2人目が二代目佐藤松博先生、亡くなられて10年になります。
左下が前述の彼女、真ん中下が同じ民謡狂いのメンバーのSさん。
右下は私のいとこ、木田林松次先生の孫弟子で、10数年前に亡くなりました。
皆さんに見守られて練習部屋に入ると身が引き締まります。
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