「オールディズ・何丁目の夕日?」
第4話 「お礼」
この話は今まで誰にも話した事がありません。
ブログに書こうかどうか迷いましたが、書く事にしました。
私にとっては何でも無い事なのですが、読まれる方によっては”怖い”と感じるかもしれません。
”怖い”話が嫌いな方は読まないで下さい。
実は私、小学校を卒業するまで「隣の家」に住んでいました。
「隣の家」には私の両親よりもかなり年配で子供がいない老夫婦が住んでおりました。
その家の商売は「燃料屋さん」でしたので、一日中家を空ける事はありません。
ちなみに、昔の北海道の「燃料屋さん」とは、前にこのブログで書いたように春~秋までは燃料として「薪」や「炭」を、冬になる前からは「石炭」を仕入れて売る商売です。
私の家は五人兄弟で、両親共働きでしたので、一番年下でまだ小学校にも上がれないほど小さかった私は隣で商売をしているこの老夫婦に子守役としてあずけられていたのです。
当時は幼稚園なんて気の聞いた施設は私の田舎にはありませんでしたので、私に限らず小さくて手のかかる子供は大概、その近所の手のあいている人が面倒をみてくれていました。
その隣の家の老夫婦は私の事を実の子供のように可愛がってくれました。
もちろん、私も自分の”本当のじいちゃん、ばあちゃん”のように慕っていました。
そして、その家には、”金色に輝く観音様”が祭られている大きな仏壇がありました。
その仏間の部屋の大きさも30畳くらいはあったと思います。
ばあちゃんがそこで朝晩お経を読みます。
また、ばあちゃんは体調の悪い人にはお灸をしたり、お払いをしたりしていました。
しかし、今で言う新興宗教ではありません。
漁師町でしたので、”山にあるお寺さんの分家”のようなものです。
ですから、その家には近所の人がいつもお供え物を持って”観音様”にお参りに来ていました。
お参りした後は、ストーブを囲んで色々な茶飲み話をしたりして、さながら”漁師町の寄り合い所”のような家でした。
そんな中で私は育ったのです。
その家の寝室は仏間のすぐ横の部屋で障子一つで仕切られていました。
そこに、じいちゃんとばあちゃんと私の3人で寝ていました。
ある日の事です。
夜中の2時か3時頃だったでしょうか。
「チィ~ン・・・」と誰も居ない筈の仏間から”りん”の音が聞こえて来ました。
じいちゃんとばあちゃんと私も目を覚ましました。
そして、隣の仏間を障子越しに見ると”仄かにロウソクの揺れる灯り”が見えました。
もちろん、寝る前には灯りなど点いてはいませんでした。
再び”りん”が「チィ~ン・・・」。
その時、ばあちゃんが言ったのです。
”あぁ、病院に入院していただれだれさんがお別れの挨拶に来たんだな・・・。”
しばらくして、障子の向こうのロウソクの灯りも消えて、私達も再び眠りに付きました。
翌朝、近所の人が「病院に入院していただれだれさんが昨晩亡くなった。」と言う知らせにやって来ました。
また、冬の吹雪の夜の事です。
同じように3人で寝ていると、屋根の上を「ガツ、ガツ・・・」と誰かが歩く音がして目を覚ましました。
再び「ガツ、ガツ・・・」
ばあちゃんが言いました。
”あ~、いつも家の屋根の雪降ろしを手伝ってくれたどこそこのじいさん、今亡くなったな~。”
翌朝、同じように近所の人が「どのそこのじいさんが昨晩亡くなった。」と言う知らせを持ってやって来ました。
こんな事がよくありました。
「人は死ぬ前には、お世話になった人の所にはお礼にくるものなんだ。」
まだ小さかった私はそれを当たり前の事だと思っていたのです。
大きくなってから、思い返して見ると、その不思議な出来事は、
実は”霊”が”お礼”に来たのだと判りました。
決して、駄洒落ではありませんよ。
これは真実のお話です。
まあ、信じるか信じないかはあなた次第ですけどね。