令和4年春の叙勲が発表され、県内から44人が受章した。日高地方から旭日双光章に社会教育功労で御坊市藤田町吉田1119の5、元県社会教育委員連絡協議会長の榎本浩巳氏(90)。旭日単光章に土地改良事業功労で御坊市名田町野島3533、元名田周辺土地改良区理事長の前田敏雄氏(70)。瑞宝双光章に防衛功労で美浜町吉原1078、元陸上自衛隊中央業務支援隊人事統計部資料処理科長の池永悦二氏(72)、消防功労で由良町江ノ駒48の1、元町消防団長の大江尚次氏(75)、教育功労で由良町里655、元公立小学校長の寺田正氏(73)、学校保健功労で日高町荊木560、学校医の古田浩太郎氏(81)-の6人が選ばれた。コロナ感染予防で拝謁は行わない。県の伝達式は5月10日に県庁で行う。
社会、生涯教育に尽力
旭日双光章・榎本浩巳氏
旧制県立田辺中学校を卒業後、昭和24年に龍神村教委育委員会公民館主事、昭和42年には県立潮岬青少年の家青少年指導員に採用され、日高地方教育事務所社会教育主事、県教育委員会社会教育課で勤務し、県立御坊商工高校事務長を最後に平成3年3月に定年退職するまで社会教育一筋に各方面で指導にあたった。
退職後、御坊広域青少年補導センター長を務め、青少年の健全育成に尽力するとともに、6年から御坊市社会教育委員会議長、17年からは県社会教育委員連絡協議会長を務めるなど生涯教育の推進に幅広く貢献した。
平成25年に県内をはじめ近畿各府県から1000人を超える社会教育委員や社会教育関係者が参加して開催された近畿地区社会教育研究大会和歌山大会では実行委員長として運営の指揮をとり大会を成功に導いた。市民教養講座運営委員長も務め、市民が自主的に学習し、文化創造に参加できる機会を提供し、地域の生涯教育、文化向上に大きな役割を果たした。
榎本氏の話 身に余る光栄で、これもこれまでご指導、ご協力頂いた多くの皆様のおかげと感謝申し上げます。
土改施設整備等に尽力
旭日単光章 前田敏雄氏
御坊市と印南町にまたがる海岸沿い畑地帯の受益面積222ヘクタール、組合員679人の農地をかんがいする名田周辺土地改良区の総代に36歳の若さで就任。平成5年に総代退任と同時に理事に就任し、17年から筆頭理事、21年から令和3年まで理事長を12年間務めた。
この間、日高川から農業用水を直接取水する県営かんがい排水事業や県営畑地帯総合整備事業、県営基幹水利ストックマネジメント事業など多くの事業推進に尽力した。将来にわたり安定した農業用水を継続して提供できる体制を確立したことで、スターチスやかすみ草をはじめとした花き栽培における全国有数の一大産地となった。
水土里ネット和歌山における「わかやま水土里ネット女性の会」の立ち上げに尽力するとともに女性活躍企業同盟、わかやま結婚・子育て応援企業同盟に加盟し、職場環境の改善にも積極的に取り組むなど農業生産基盤となる土地改良施設整備推進、地域農業における生産構造の改善に大きく貢献した。
前田氏の話 素晴らしい役員、職員に恵まれ、幸せでした。多くの皆さまに感謝申し上げます。家族とともに受章を喜びたい。
国防に心身ささげ39年
瑞宝双光章 池永悦二氏
昭和41年春に16歳で陸上自衛隊少年工科学校に入校。20歳で岩手駐屯地の第9戦車大隊に赴任して以後、各地の駐屯地や陸上幕僚監部などに勤務。平成16年11月、55歳で第1等陸佐で退職するまで39年間にわたり任務を全うした。
「厳しい指揮官」-。28歳で幹部に昇任してからは主に戦車部隊指揮官・教官、司令部幕僚としての任務に当たった。戦車部隊や機甲教育隊、富士学校(静岡)で後進の指導に努め、戦車陸曹、隊長としての必要な知識・技能など教えた。厳しいのは「階級相応の知識を身につけてほしい」との思いと、戦車は大事故を招くことがあるからだ。幕僚勤務の際には阪神・淡路大震災が発生。防衛部運用課の一員として昼夜を問わず任務を遂行。震災直後の隷下部隊の状況掌握や情報収集、連絡調整など初動対応に貢献した。
若かりし工科学校時代には辛く悲しい出来事があった。渡河訓練中に水死事故が発生、同期13人が命を落とした。そんな悲しみを乗り越え39年間、国防に心身をささげた。
池永氏の話 微力ながら日本の防衛という任務に奉職し栄誉ある章をいただき大変光栄に思います。
消防団活動51年の功績
瑞宝双光章 大江尚次氏
昭和45年4月、由良町消防団員(江ノ駒班)を拝命した。平成23年に団長に就任して10年、計51年の長きわたり、地域住民の安心安全と団員の現場での安全確保に最も神経を注いだ。
昭和54年10月に畑地内で発生したレストランの火災では、人命救助を最優先に従業員に避難誘導と安全確保に努め、夜中の火災にもかかわらず、死傷者を出さなかった。昭和61年3月に吹井地区で連続発生した山火事では、民家への延焼拡大を防ぎながら、消火活動にあたり、被害を最小限に抑えた。
団長就任後、平成26年8月、台風11号が同町に接近した際は、豪雨の影響で川が氾濫する可能性があると判断し、団員に土のうを積むよう指示。夜通しの活動で、予防策が功を奏した。
「服が汚れずに帰ってきたらあかん」「サイレンがなったら誰よりも早く現場に行く」などを心に決めて活動し、「被害を最小限に抑え、人命が助かる。それが一番うれしかった」と消防人生を振り返る。
大江氏の話 身に余る章に恐縮しています。日高広域消防、由良町を始め、関係者のおかげです。今後も、住民の防災意識の向上に努めていきます。
県の教育発展に尽力
瑞宝双光章 寺田正氏
近畿大学農学部を卒業後に教諭となり、御坊中を皮切りに龍神中大熊分校、白崎中、川中中、早蘇中を経て、稲原中と大成中では教頭、川中第一小で校長となり、平成21年3月末に清川小校長で退職した。
中学校では理科や技術を中心に指導し、川中第一小では完全複式学級の研究校として子ども達に多様な考え方への興味を持たせ、学習意欲の向上に取り組んだ。農学知識を生かし、学校給食用の野菜や餅米作りに取り組むなど児童の農業教育にも力を注ぎ、2年連続で県農業教育賞を受賞。
清川小では特別支援学級の新設に尽力したほか、地域の課題解決にも手腕を発揮し、地域と学校の絆を一層深めるなど38年間にわたり県の教育発展に努めた。深刻化するいじめ問題に心を痛め、子ども達がいじめにあわない学校づくりにも力を注いだ。
多くいる教え子の中で忘れられないのが、3度五輪出場を果たした競歩選手の小坂忠広さん。中学生の時に出会い、陸上部顧問として指導し、その後の人生を変えるきっかけとなった。
寺田氏の話 周りの方々の支えのおかげでやってこられました。皆さまに恩返しできたと思います。
学校医として長年活躍
瑞宝双光章 古田浩太郎氏
古田氏は昭和40年3月に大阪医科大学医学部を卒業、翌月から大阪医科大学第一内科へ入局。社会保険紀南綜合病院循環器科医長、大阪鉄道病院内科医長を歴任し、51年6月から故郷の日高町で開業していた古田医院を継承、平成元年3月に医療法人に改組。25年5月から子息に医院を継がせ自らは副院長を務め、現在まで45年間、地域住民の診療、健康管理に尽力した。
一方、昭和55年4月に内原小学校医に就任以来、現在まで41年間、児童生徒、教職員の健康の管理、教育、相談に取り組んで学校保健を推進。比井(平成31年3月まで)、内原、志賀の嘱託医として現在まで発育・発達を見守り、健康の管理、維持、増進に尽くし、温厚で実直な人柄から絶大な信頼を得ている。
日高医師会事業で、児童生徒の生活習慣病予防検診や平成17年度に開始の学校での喫煙防止対策事業を行い、学校医として授業に参画し、児童生徒に喫煙の恐ろしさや生活習慣病予防の大切さを分かりやすく伝達。18年から現在まで同会議長を務めている。
古田氏の話 身に余る光栄で、長く続けて来れたことが良かった。支えてくださった皆様のおかげです。
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