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御坊市・八幡山城跡発掘調査で柱穴等検出 〈2024年6月20日〉

2024年06月20日 08時30分00秒 | 記事


日高平野を一望できる城跡発掘調査現場


 御坊市教育委員会が藤田町吉田、八幡山城(別名・吉田城)跡で実施している発掘調査の現地説明会が、22日午後1時30分から行われる。南北朝時代初期の1346年に吉田の領主・吉田蔵人源頼秀が築いた城で、城跡から掘立柱建物の柱穴や炉を検出し、土師器皿や土釜などが出土され、教委は「南北朝時代の城の構造をそのまま遺す城跡であると評価できる」としている。

 市史や和歌山城郭調査研究会によると、八幡山城は八幡山東方「城ケ峰」(神社裏山)の丘(標高73~60メートル)にあり、残存する城郭は南北約20メートル、東西約30メートルの長円形を上段とし、それに付随する下段から成っており、城跡の西方に大きな堀切がある。矢田荘吉田村領主だった吉田蔵人が築城、南朝の正朔を奉じたと伝えられる。
 子孫のヨシダエルシス(株)代表取締役会長の吉田擴氏(81)の吉田家資料によると、吉田氏は政所として吉田に住し、土生城主逸見氏や日高川筋で50カ村を領していた山崎城主川上氏と婚姻関係を結んで、この地を治めた。1379年に北朝軍の進攻により共に敗退するが、その間、頼秀、その三男吉田金毘羅丸源頼貞は逸見氏らと道成寺に梵鐘を寄進、屋根修理世話人など大檀那となった。
 吉田擴氏ら4人のきょうだいが私財を投じ、地元関係者等でつくる八幡山城城跡整備事業委員会が城跡に展望公園や遊歩道を整備するのに伴い、市教委が城の内容や残存状況を把握するため、5月下旬から確認調査を実施している。城の規模は東西約70メートル、南北約50メートル。幅1・5メートルの溝状の調査区を設け、約180平方メートルで調査を行い、現在終盤に入っているという。
 これまでの調査で掘立柱建物の柱穴や土坑、炉などを検出し、土師器皿や土釜、鉄釘の遺物が出土。城の構造は標高72メートルの頂上部を占める東西に長い楕円形の主郭の周囲に同心円状に2段の帯曲輪(おびぐるわ)を巡らしたと想定できる。尾根続きとなる西側には鞍部(あんぶ)を利用した空堀を置き、東西軸線上の曲輪端に土塁を配し、曲輪間の斜面には切岸(きりぎし)を設けている。
 市教委は「遺物から、言い伝え通り南北朝時代に使われていたことが明らかになり、当時の構造をそのまま遺す城跡であると評価できるとともに、建物など内部構造を垣間見る資料を得た」としている。現地説明会は教委、八幡山城城跡整備事業委員会の共催で行う。小雨決行。荒天時中止。申し込み不要。集合場所は北吉田蓮の郷駐車場。


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