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由良町の濵野さんが会津藩兵の鎧兜を寄贈 〈2024年6月7日〉

2024年06月07日 08時30分00秒 | 記事


会津藩ゆかりの鎧兜を寄贈した浜野さん(左)と藤本さん


 幕末の鳥羽伏見の戦いで敗れ、紀州に落ち延びて由良にたどり着いた会津藩兵のものと思われる鎧兜一式を、由良町網代の浜野節子さん(85)が6日、ゆらふるさと伝承館(旧白崎中学校内)に寄贈した。町内には今回の鎧兜をはじめ藩兵の墓が存在するなど会津藩とのゆかりは知られているが寄贈は初めて。伝承館では会津藩コーナーを設けて展示する。浜野さんは「由良と会津藩とのつながりを皆さんに知っていただければ」と話している。

 由良に逃れてきた落ち武者が助けてくれたお礼として授けた鎧兜と、浜野さんに伝えられている。鎧兜は全長170センチ~180センチほど。鉄製の兜や鎧、草摺をはじめ、手甲やすね当てなど一式が揃っている。屋根裏で2つの木箱に入った状態で保管していた。名前も記されておらず木箱と鎧兜の家紋も相違しており誰が授けた物かはわからない。
 浜野さんは、高齢で空き家となった際には鎧兜も人知れず壊されることを危惧。資料館に展示してもらうことが有効だと考えた。この日、浜野さんは、祖先が会津藩出身で古くから交流がある藤本良子さん(79)と伝承館を訪れた。
 鳥羽伏見の戦いで敗れた旧幕軍諸隊は、御三家の紀州藩を頼って和歌山に落ち延び、加太から1858人の会津藩兵が由良港に上陸し、網代や阿戸、横浜の民家に分宿したという。「会津の知将」と称される山川浩らは日高平野に赴き分宿した。
 町内では横浜光専寺、網代念興寺に3人の会津藩兵の墓がまつられており、近年、町文化財保護審議委員会前委員長大野治さん(故人)らの調査によって会津藩兵ゆかりの品が町内にも残っていることが分かり、横浜の民家では陣羽織が見つかっている。
 町では「貴重な文化財の寄贈ありがたい限りです。由良と会津藩のご縁を後世に伝えていけます」。


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