いきなり今回記事とは全く関係無い話しますが、明日放送予定の「グレーテルのかまど」で、「名探偵コナン」を採り上げるそうです。
以前「ワンピース」が採り上げられた時に触れましたが、少年漫画にスイーツが重要な意味を持って登場するのは非常に稀、したがって「グレーテルのかまど」ではメジャーであろうと少年漫画作品が採り上げられる事は殆ど無かったのです。
多分「グレーテルのかまど」スタッフも、名探偵コナンを採り上げるに当たって、コミックス全巻読み漁ったんじゃないかな~。(笑)
もし採り上げるなら蘭ちゃんが新一に焼いたレモンパイしかないと考えてたら、やっぱりそのレモンパイだそうです。
きっとこの先も「グレーテルのかまど」スタッフは、人気少年漫画に登場するスイーツを目を皿にして探すのだろう。
例えばルーミック作品なら……何が在るだろう??
「うる星やつら」に重要な意味を持って登場するスイーツ…パーティー会場が中に収まる巨大クリスマスケーキとか、ランちゃんがレイさんの為に作った腹が物凄く膨れるカップケーキとか、ラムが作った食べると狼に変身する足作り月見団子とか――ろくなものないな。(汗)
「らんま」でもあかねちゃんが作った不格好な桜餅とかクッキーぐらいだし、留美子先生もしかして甘い物そんなに好きじゃないのだろうか?(酒飲みでヘビースモーカーだしなぁ)
甘い物好きな作家さんって、作中(もしくはコラム)で頻繁に出すから解るんですよ。
偏見だが女性作家で甘い物をあまり描かないのは珍しい様に思います。
それでも何時かルーミック作品が「グレーテルのかまど」で採り上げられるのを観てみたい……相変わらず無駄話長くて申し訳無い(汗)、ここからは前回に引き続き、去年の3月14日頃に神田川を上流から下流まで巡った際の写真を上げて行きます。
そんな事言いつつ未だ神田川のスタート地点にも立ってないけど。(汗)
先ずは「井の頭自然文化園本園(休園中)」から出ねば…ってなわけで、動物園エリアを抜けて芸術のエリアへ。
「野鳥の森」より奥へ歩いて行くと、庵の様に小ぢんまりした和風の建物、「童心居」が見付かります。↑
入口横の案内板には野口雨情の書斎を移築したとの説明書きが為されてました。
「童心居は、童謡詩人として大きな足跡を残した野口雨情の書斎を移築し、その後の改修を経て一般に公開しているものです。
雨情は1882(明治15)年茨城県磯原に生まれ、童謡『七つの子』や『シャボン玉』など数多くの名作を残した詩人です。
1924(大正13)年、吉祥寺に住居を移し、書斎を『童心居』と名付け、多くの作品を書き上げました。
空襲が激しくなると、雨情は疎開するために出版社社長の大島秀一氏に居宅とともに童心居を譲渡しましたが、その後童心居は雨情会に寄付されました。
1958(昭和33)年、雨情会は童心居の完全な保存を目的として、東京都に寄贈しました。
そして、翌1959(昭和34)年に雨情が武蔵野の中でも特に愛していた井の頭自然文化園内に移築されることになりました。」(←現地説明書きより)
「童心居」…良い名前です、流石は詩人、「雨情」なるペンネームも詩的で素敵、純粋な童心のままに創作し続けようと原稿用紙に向かう作家の後ろ姿が浮かびます、なんてな。
平時は句会や茶会用に有料で貸し出してるそうです。(現在は非常時な為×)
その隣には身近な生き物の自然な生態を観察できる「いきもの広場」が在ります。
撮影に失敗し写真は残ってませんが(汗)、広場前の地図には「トカゲの隠れ家」、「ゲンゴロウ池」、「バッタの原っぱ」、「カブトムシの寝床」、「カミキリムシの寝床」、「落ち葉の山」、「どんぐり林」、「ハチ宿」、「エノキの木」、「みかんの木」等が記されてました。
都会っ子の為に造られた自然の広場ですね。
近年、観られる生き物の数が減少したのを理由に大規模整備を行い、9月27日~仮オープンしました。
新型コロナ流行が収まったら、子供達を連れて昆虫観察に出掛けては如何でしょう?
童心居、いきもの広場から、更に奥へ進んだそこは、「彫刻園」。
長崎県出身の彫刻家、北村西望(きたむら せいぼう)の作品が、林のあちこちに建っています。
さながら彫刻の森美術館。
彫刻に造詣が深い人でなくても、長崎平和祈念像の作者と知れば、俄然興味が湧くでしょう。
井の頭自然文化園本園には、その長崎平和祈念像の原型を含め、屋内外合わせて約200点の北村西望作品が展示されてるそうです。
動物園内の各所に建っていた像も北村西望の作品。
何故この井の頭自然文化園に集められてるかと言うと、井の頭公園内に北村西望のアトリエが在ったからだそう。
アトリエはそのまま資料館にして、一般客の見学を許しています。
↑空を劈く一喝が響いて聞えそうな「怪傑日蓮」像、ここの他、練馬区の妙福寺にも在るそうです。
↑こちらは「聖観世音菩薩像」、広島市中区基町の広島市立中央図書館前にも、恒久平和を願って同じ物が設置されてるとの事。
残念ながらA・B館2棟の彫刻館内に展示されてる作品は撮影禁止、B館展示作の「アジアゾウのはな子像」を撮影したかったんですが…。
10m近い高さの長崎平和祈念像は迫力でした。
「井の頭自然文化園」を堪能後、吉祥寺通りを歩いて「玉川上水」を観に行きました。
「玉川上水」は、1653(承応2)年、幕府が江戸の飲料水不足解消を目的に、多摩の羽村から四谷までの全長42.74㎞に渡り築かせた上水道です。
神田上水と共に「江戸の六上水」の1つで――ちなみに残り4つは本所上水(亀有上水)、青山上水、三田上水(三田用水)、千川上水――過酷な工事を請け負った庄右衛門・清右衛門兄弟の伝記は社会科の教科書に載り、「玉川上水」は広くその名を知られました。
「玉川上水は江戸時代の承応2(1653)年、人口が急増した江戸の飲料確保のために造られた水路です。
この上水は、江戸市中への飲料水の供給という目的以外に、武蔵野台地の各地に分水されて飲料水・灌漑用水・水車の動力などに利用され、武蔵野の発展に大きな役割を果たしました。
水路は明治時代以降も淀橋浄水場(新宿区)への導水路として使われていましたが、新宿副都心計画による淀橋浄水場の廃止により、昭和40(1965)年以降、小平監視所より下流は水の流れが途絶えました。
その後、多摩川上流水再生センターで高度処理された再生水を利用した東京都の『清流復活事業』によって、昭和61(1986)年8月から、玉川上水の小平監視所より下流側に再び清流が蘇りました。」(←玉川上水側に立ってた看板より)
幕府から貰った工費が尽きても自分らの家を売って金に換え、上水道を完成させたプロフェッショナル魂に感涙、現代だったら「プロジェクトX」のテーマに選ばれそうです。
耳を澄ませば聞えて来ませんか?中島みゆきが歌う「地上の星」が――地上に在る~星を♪誰も覚え~ていな~い♪人は~空ば~か~り見~てる~~~♪
…これ以上歌うとJ〇SRACに訴えられそうだから止めとく。(汗)
↑玉川上水に架かる「萬助橋」、その上から観た川の流れ。
夏場は蛍が飛んでそうな、人工の川とは思えない自然な佇まい。
多摩の羽村から四谷までなら歩いて行けそうかな…何時か歩いて下るか。
しかし今は神田川を下る旅の途中――未だ下ってさえいないけど(汗)――井の頭恩賜公園へ戻るその前に、気になってたスポットへ。
↑萬助橋から三鷹の森ジブリ美術館までの間に在るテニスコート、ここらは井の頭恩賜公園の西園エリアで、テニスコート・野球場・競技場等スポーツ施設が集合しています。
↑気になってたスポットの「三鷹の森ジブリ美術館」、同じく井の頭恩賜公園の西園内に在ります。
スタジオジブリのオフィシャル美術館兼テーマパークで、入館するには事前予約が必要。
それ以前にここは、第1回緊急事態宣言発令前から、新型コロナ流行を理由に休園してました。
しかし近くに寄るなら外側だけでも観たいと思うのが人情、門の側でウロウロしてたら、有り難い事にスタッフのお姉さんが庭に入れてくれました!!
知らずに遠方から来た客だと思われたのかもな〜、本当は近場の東京から来ました御免なさい(汗)、でも入館料も取らずに庭に入れて下さるなんて、お姉さんは天使の様に優しい人だ!
有り難う、お姉さん、貴女の親切は一生忘れない!
↑トトロが居る切符売り場(フェイク)を観る事が出来て満足、良い土産話が出来ました。
尚、美術館は現在も休園中…まさか去年からずっと休園中だったり?(HP確認したら、ずっと閉館してはいなかったもよう)
↑ジブリ美術館に寄った後は萬助橋に戻り、玉川上水沿いに「風の散歩道」を歩いて、井の頭池が在るエリアに向かいました。
「風の散歩道」は小川と雑木林に挟まれた静かな小路。
樹林の隙間から子供達が自由に遊ぶ広場が見えました。
小路をひたすら歩き、途中左に曲がり、車道に出たりしながら、自然文化園本園への出発点である井の頭弁財天前に漸く辿り着く…振り返れば長い脇道だった。(汗)
ここから先は2019年に訪れた時の記事と合わせてお読みください。
↑神田川の起点から見た場合、井の頭池の最奥に架かる「お茶の水橋」。
…開花して直ぐながら公園内は昼を過ぎると混雑してまいりました。
↑お茶の水橋上より観た左右の風景、(PC画面で観て)左の写真は神田川と井の頭池の水源「お茶の水」、右の写真は反対の水門橋方面を向いて撮った物です。
徳川家康が「お茶を点てるのに相応しい名水」と褒めた事で、「お茶の水」と呼ばれる様になったと云われる湧水。
現在は湧水減少により、地下水をポンプで汲み上げてるのだそう。
↑お茶の水橋から池沿いに歩き、井の頭弁財天を過ぎて、次に架かる「弁天橋」へ。
橋の中央部はくの字型に曲がっていて高低差が有ります。
↑弁天橋上より観た左右の風景、(PC画面で観て)左の写真はお茶の水橋方面、右の写真は反対の水門橋方面を向いて撮った物です。
お茶の水橋方面を向くと井の頭弁財天、水門橋方面を向くと自然文化園分園水生物園(園が多い)内の白鳥デッキが観えます。
これにて井の頭公園編は終了、次回から漸く本編である神田川を下る旅が始まります。(汗)
【続】
以前「ワンピース」が採り上げられた時に触れましたが、少年漫画にスイーツが重要な意味を持って登場するのは非常に稀、したがって「グレーテルのかまど」ではメジャーであろうと少年漫画作品が採り上げられる事は殆ど無かったのです。
多分「グレーテルのかまど」スタッフも、名探偵コナンを採り上げるに当たって、コミックス全巻読み漁ったんじゃないかな~。(笑)
もし採り上げるなら蘭ちゃんが新一に焼いたレモンパイしかないと考えてたら、やっぱりそのレモンパイだそうです。
きっとこの先も「グレーテルのかまど」スタッフは、人気少年漫画に登場するスイーツを目を皿にして探すのだろう。
例えばルーミック作品なら……何が在るだろう??
「うる星やつら」に重要な意味を持って登場するスイーツ…パーティー会場が中に収まる巨大クリスマスケーキとか、ランちゃんがレイさんの為に作った腹が物凄く膨れるカップケーキとか、ラムが作った食べると狼に変身する足作り月見団子とか――ろくなものないな。(汗)
「らんま」でもあかねちゃんが作った不格好な桜餅とかクッキーぐらいだし、留美子先生もしかして甘い物そんなに好きじゃないのだろうか?(酒飲みでヘビースモーカーだしなぁ)
甘い物好きな作家さんって、作中(もしくはコラム)で頻繁に出すから解るんですよ。
偏見だが女性作家で甘い物をあまり描かないのは珍しい様に思います。
それでも何時かルーミック作品が「グレーテルのかまど」で採り上げられるのを観てみたい……相変わらず無駄話長くて申し訳無い(汗)、ここからは前回に引き続き、去年の3月14日頃に神田川を上流から下流まで巡った際の写真を上げて行きます。
そんな事言いつつ未だ神田川のスタート地点にも立ってないけど。(汗)
先ずは「井の頭自然文化園本園(休園中)」から出ねば…ってなわけで、動物園エリアを抜けて芸術のエリアへ。
「野鳥の森」より奥へ歩いて行くと、庵の様に小ぢんまりした和風の建物、「童心居」が見付かります。↑
入口横の案内板には野口雨情の書斎を移築したとの説明書きが為されてました。
「童心居は、童謡詩人として大きな足跡を残した野口雨情の書斎を移築し、その後の改修を経て一般に公開しているものです。
雨情は1882(明治15)年茨城県磯原に生まれ、童謡『七つの子』や『シャボン玉』など数多くの名作を残した詩人です。
1924(大正13)年、吉祥寺に住居を移し、書斎を『童心居』と名付け、多くの作品を書き上げました。
空襲が激しくなると、雨情は疎開するために出版社社長の大島秀一氏に居宅とともに童心居を譲渡しましたが、その後童心居は雨情会に寄付されました。
1958(昭和33)年、雨情会は童心居の完全な保存を目的として、東京都に寄贈しました。
そして、翌1959(昭和34)年に雨情が武蔵野の中でも特に愛していた井の頭自然文化園内に移築されることになりました。」(←現地説明書きより)
「童心居」…良い名前です、流石は詩人、「雨情」なるペンネームも詩的で素敵、純粋な童心のままに創作し続けようと原稿用紙に向かう作家の後ろ姿が浮かびます、なんてな。
平時は句会や茶会用に有料で貸し出してるそうです。(現在は非常時な為×)
その隣には身近な生き物の自然な生態を観察できる「いきもの広場」が在ります。
撮影に失敗し写真は残ってませんが(汗)、広場前の地図には「トカゲの隠れ家」、「ゲンゴロウ池」、「バッタの原っぱ」、「カブトムシの寝床」、「カミキリムシの寝床」、「落ち葉の山」、「どんぐり林」、「ハチ宿」、「エノキの木」、「みかんの木」等が記されてました。
都会っ子の為に造られた自然の広場ですね。
近年、観られる生き物の数が減少したのを理由に大規模整備を行い、9月27日~仮オープンしました。
新型コロナ流行が収まったら、子供達を連れて昆虫観察に出掛けては如何でしょう?
童心居、いきもの広場から、更に奥へ進んだそこは、「彫刻園」。
長崎県出身の彫刻家、北村西望(きたむら せいぼう)の作品が、林のあちこちに建っています。
さながら彫刻の森美術館。
彫刻に造詣が深い人でなくても、長崎平和祈念像の作者と知れば、俄然興味が湧くでしょう。
井の頭自然文化園本園には、その長崎平和祈念像の原型を含め、屋内外合わせて約200点の北村西望作品が展示されてるそうです。
動物園内の各所に建っていた像も北村西望の作品。
何故この井の頭自然文化園に集められてるかと言うと、井の頭公園内に北村西望のアトリエが在ったからだそう。
アトリエはそのまま資料館にして、一般客の見学を許しています。
↑空を劈く一喝が響いて聞えそうな「怪傑日蓮」像、ここの他、練馬区の妙福寺にも在るそうです。
↑こちらは「聖観世音菩薩像」、広島市中区基町の広島市立中央図書館前にも、恒久平和を願って同じ物が設置されてるとの事。
残念ながらA・B館2棟の彫刻館内に展示されてる作品は撮影禁止、B館展示作の「アジアゾウのはな子像」を撮影したかったんですが…。
10m近い高さの長崎平和祈念像は迫力でした。
「井の頭自然文化園」を堪能後、吉祥寺通りを歩いて「玉川上水」を観に行きました。
「玉川上水」は、1653(承応2)年、幕府が江戸の飲料水不足解消を目的に、多摩の羽村から四谷までの全長42.74㎞に渡り築かせた上水道です。
神田上水と共に「江戸の六上水」の1つで――ちなみに残り4つは本所上水(亀有上水)、青山上水、三田上水(三田用水)、千川上水――過酷な工事を請け負った庄右衛門・清右衛門兄弟の伝記は社会科の教科書に載り、「玉川上水」は広くその名を知られました。
「玉川上水は江戸時代の承応2(1653)年、人口が急増した江戸の飲料確保のために造られた水路です。
この上水は、江戸市中への飲料水の供給という目的以外に、武蔵野台地の各地に分水されて飲料水・灌漑用水・水車の動力などに利用され、武蔵野の発展に大きな役割を果たしました。
水路は明治時代以降も淀橋浄水場(新宿区)への導水路として使われていましたが、新宿副都心計画による淀橋浄水場の廃止により、昭和40(1965)年以降、小平監視所より下流は水の流れが途絶えました。
その後、多摩川上流水再生センターで高度処理された再生水を利用した東京都の『清流復活事業』によって、昭和61(1986)年8月から、玉川上水の小平監視所より下流側に再び清流が蘇りました。」(←玉川上水側に立ってた看板より)
幕府から貰った工費が尽きても自分らの家を売って金に換え、上水道を完成させたプロフェッショナル魂に感涙、現代だったら「プロジェクトX」のテーマに選ばれそうです。
耳を澄ませば聞えて来ませんか?中島みゆきが歌う「地上の星」が――地上に在る~星を♪誰も覚え~ていな~い♪人は~空ば~か~り見~てる~~~♪
…これ以上歌うとJ〇SRACに訴えられそうだから止めとく。(汗)
↑玉川上水に架かる「萬助橋」、その上から観た川の流れ。
夏場は蛍が飛んでそうな、人工の川とは思えない自然な佇まい。
多摩の羽村から四谷までなら歩いて行けそうかな…何時か歩いて下るか。
しかし今は神田川を下る旅の途中――未だ下ってさえいないけど(汗)――井の頭恩賜公園へ戻るその前に、気になってたスポットへ。
↑萬助橋から三鷹の森ジブリ美術館までの間に在るテニスコート、ここらは井の頭恩賜公園の西園エリアで、テニスコート・野球場・競技場等スポーツ施設が集合しています。
↑気になってたスポットの「三鷹の森ジブリ美術館」、同じく井の頭恩賜公園の西園内に在ります。
スタジオジブリのオフィシャル美術館兼テーマパークで、入館するには事前予約が必要。
それ以前にここは、第1回緊急事態宣言発令前から、新型コロナ流行を理由に休園してました。
しかし近くに寄るなら外側だけでも観たいと思うのが人情、門の側でウロウロしてたら、有り難い事にスタッフのお姉さんが庭に入れてくれました!!
知らずに遠方から来た客だと思われたのかもな〜、本当は近場の東京から来ました御免なさい(汗)、でも入館料も取らずに庭に入れて下さるなんて、お姉さんは天使の様に優しい人だ!
有り難う、お姉さん、貴女の親切は一生忘れない!
↑トトロが居る切符売り場(フェイク)を観る事が出来て満足、良い土産話が出来ました。
尚、美術館は現在も休園中…まさか去年からずっと休園中だったり?(HP確認したら、ずっと閉館してはいなかったもよう)
↑ジブリ美術館に寄った後は萬助橋に戻り、玉川上水沿いに「風の散歩道」を歩いて、井の頭池が在るエリアに向かいました。
「風の散歩道」は小川と雑木林に挟まれた静かな小路。
樹林の隙間から子供達が自由に遊ぶ広場が見えました。
小路をひたすら歩き、途中左に曲がり、車道に出たりしながら、自然文化園本園への出発点である井の頭弁財天前に漸く辿り着く…振り返れば長い脇道だった。(汗)
ここから先は2019年に訪れた時の記事と合わせてお読みください。
↑神田川の起点から見た場合、井の頭池の最奥に架かる「お茶の水橋」。
…開花して直ぐながら公園内は昼を過ぎると混雑してまいりました。
↑お茶の水橋上より観た左右の風景、(PC画面で観て)左の写真は神田川と井の頭池の水源「お茶の水」、右の写真は反対の水門橋方面を向いて撮った物です。
徳川家康が「お茶を点てるのに相応しい名水」と褒めた事で、「お茶の水」と呼ばれる様になったと云われる湧水。
現在は湧水減少により、地下水をポンプで汲み上げてるのだそう。
↑お茶の水橋から池沿いに歩き、井の頭弁財天を過ぎて、次に架かる「弁天橋」へ。
橋の中央部はくの字型に曲がっていて高低差が有ります。
↑弁天橋上より観た左右の風景、(PC画面で観て)左の写真はお茶の水橋方面、右の写真は反対の水門橋方面を向いて撮った物です。
お茶の水橋方面を向くと井の頭弁財天、水門橋方面を向くと自然文化園分園水生物園(園が多い)内の白鳥デッキが観えます。
これにて井の頭公園編は終了、次回から漸く本編である神田川を下る旅が始まります。(汗)
【続】