kotoba日記                     小久保圭介

言葉 音 歌 空 青 道 草 木 花 陽 地 息 天 歩 石 海 風 波 魚 緑 明 声 鳥 光 心 思

まるちゃん

2009年10月14日 | 生活
キンモクセイの香りを、
楽しんでいます。
赤い小さな花に、
鼻を近づけると、
良い匂いがします。
誰かが、
「臭いよ」
とキンモクセイのことを言います。
というのは、
キンモクセイが密集している所があるらしく、
過分だと、たいへんなのだそうです。
ありがたいことに、
街路樹のキンモクセイですから、
間隔がとてもあいていて、
どれも、
硬い深緑の葉と、
オレンジ色の花を咲かせていて、
確か、去年も、
ここでこの香りを嗅いだ、
と思い出しました。

夜、まるちゃんに会いました。
まるちゃんは、相変わらず、
毎日、通勤で、片道、二時間歩いています。
僕も最近、帰りだけは自転車を押して、
歩いているけれど、
歩くと、体の調子も良くなるし、
気分も良くなります。
あまり気分が良くならない時は、
さっさと自転車に乗って帰り、
とっとと寝るに限ります。
まるちゃんは南国の島の出身で、
おおらかで自然体なので、
いつ会っても同じ感じで、
和みます。
「歩いてもう一年になるよ」
とまるちゃんは言います。
「じゃあまたね」
と言って、
静かな緑の道を選んで、
ゆっくりゆっくり、
帰りました。

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たまちゃん

2009年10月13日 | 健康
労働場の近くに、お店があります。
「十六穀」と書かれて、
碗に盛られたご飯から、
湯気が立っている写真がありました。
オジに、
「十六種類なんて言えないよねー」
と言っていたら、
写真の下に、十六穀が書いてあったので、
早速、メモしました。

餅あわ、玄米、黒米、黒豆(大豆)、アマランサス、
たかきび、ギヌア、小豆、黒ごま、白ごま、
はと麦、赤米、餅きび、大麦、とうもろこし、ひえ

だそうです。
「たかきび、と、餅きびなんてなあ、どう違うんだ」
とオジ。
「そうそう」
と僕。
「アマランサスとかギヌアなんて何だ」
とオジ。
「そうそう」
と僕。
そう言いながら、
オジは夜、
アマランサスとギヌアを食べに行きました。
「どうだった」
と訊くと、
「まあまあだ」
とオジは言いました。

暖かい日で、
モンキイチョウが飛んでいました。
十月ですよ?
先日、7階に住んでいる僕の部屋で、
蚊に刺されました。
十月ですよ?

夜、ひさしぶりに、
たまちゃんに会いました。
体に良いものを、
おいしく食べる、
ということを、
たまちゃんは言い、
体を温める野菜のことを、
僕は言いました。
勿論、
話は盛り上がって、
いくら話しても、
きりがない感じです。

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可児市・ハンバート

2009年10月12日 | 生活
  

  


午前中、弁天通りを歩いて、
買い物に行きました。
気持ちよい天気で、
リュックの中は、
野菜でいっぱいです。
最近は、かぼちゃが安くて、おいしいです。
ただ、オクラが高くて、買えません。置いていない店もあります。

お昼から、
自転車で川沿いの道を行き、
名鉄上飯田駅へ。
待ち合わせた友人と、
小牧線に乗って、
今日はハンバートハンバートのコンサートです。

小牧線は、以前、
労働場に通った馴染み深い、線路です。
車窓を、眺めて通った日々があり、
今日も窓の外を見ていました。
ススキや、セイタカワダチソウの黄色、
稲刈り、ナスの実の黒、
北へ、北へ、
電車はガタンゴトンガタンゴトンと、走ります。
みかんの木があって、
ビワの実があって、
以前一緒に労働をさせてもらった、
加藤先生や、草薙先生を思いだしていました。
加藤先生とは数ヶ月前、今の労働場の前で、
ばったりお会いしたのですけれど、
草薙先生は、どうしておられるのだろう、
と思います。
友人は、ハンバートの新作「合奏」をイヤホーンで聴いています。
僕は、ゆるい稜線の景や、
山の中腹にある鉄塔を見ています。
世界がある限り、
言葉は尽きないと思いました。
「ハンバートの音とさ、景色がぴったり合ってる」
と友人は言います。
田縣神社前の近くの公園で、
老人が窒レうきで、落ち葉を集めていました。
「反対電車を待ちます」と、
アナウンスがありました。

会場がある、可児市の文化創造センター。
日本ライン今渡という駅で降り、
時間はたっぷりあったので、
まずてくてく歩いて、
らーめん屋へ。
それから、北に行って、
木曽川を見に行きました。
ドングリの実を拾い、
また歩いて、初めて通る道を行き、
たぶん二度は通らない道を行きました。
畑があって、
家があって、ガレージに、車がありました。
家と家の間から、
遠くに山が見えます。
山のふもとに住むのは、
どんなふうだろうな、
と思います。

コンサートは、
午後5時から始まりました。
それから2時間が経って、
コンサートは終わりました。
こんなふうに、
早い時間から始まってくれると、
夜の早い時間に眠れるので、
僕は助かります。
今日のために、
僕も友人も、
ずっとハンバートのCDを聴いてきました。
曲を知ってて得するライブ、です。
知っている曲を生で聴くと、
その曲がまるで自分の一部のような、
錯覚になるが妙で、
「知っている」ことで、
人は安心するのだろうと思います。

今日のコンサートは、
チケットを買った時から、
もう始まっていて、
僕の中で、ハンバートハンバートは、
今月30日の、クアトロまで、
熱中は続きそうな気配です。
「オーガニック系」のお客さんが多い、
と誰かが書いていましたけれど、
本当にそうでした。
「合奏」の中に収録されている、
「妙なる調べ」の中の歌詞で、


なんだろう、この美しい音、
なんだか、頭の上のほうから、
聞こえてくるみたいだ

という歌詞があって、
それがCDにしても、DVDにしても、
生で聴いても、
すごく良いハンバートハンバートです。

コンサートが終わって、
会場の誰かが誰かに、
「良かったねー」
とにこにこして言っていました。

帰り、
お酒が好きな友人と、
居酒屋に行き、
二時間も、
話してしまいました。
僕は村上春樹とハンバートの類似性について、
熱く語ってしまって、
友人は、
「ハンバートは奇をてらったところがないねー」
と言いました。

楽しくて、
思い出深い、
コンサート旅行でした。

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吉増剛造の動画

2009年10月11日 | 文学
村上春樹は、
ノーベル賞を獲れませんでしたけれど、
小説はどれも本当に面白いです。
ノーベル文学賞の候補が載っていたので、
見てみると、
あー、と思いました。
村上春樹は獲れないかもな、
と思いました。
というのは、アメリカ文学で、
村上春樹が影響されただろう、
作家2人の名前が、あったから。
でもまだ来年があります。楽しみです。
「1Q84」も、続編が来年の夏に、出るようですし。
著「ねじ巻き鳥のクロニクル」を読んで、
疲れているのか、数ページ読んでは、
眠ってしまいます。
今日はあまり読書が進みませんので、
こういう時は外です。

床屋に行って、
店主と、オバマ大統領が平和賞を受賞したことや、
政権交代したことで、
僕はやたら、希望ある発言をして、気分が舞い上がっていました。
いわゆる、「酔っている」状態。
床屋を出て、
ホームレスがお酒を飲んで座っていました、街角で。
その前を通る時、僕は恥ずかしかった。
本当に恥ずかしかった。
床屋で語った「判ったようなコト」を、
この浮浪者の前で、
僕は話すことはできないことに、
気が付いたから。
家がない、
ということを、
家がある、
という僕が、
実感できるわけがない。
きっと高田渡さんだったら、
床屋であんな話はしていないだろう、
浮浪者の前でも、同じことが言える話をしていただろう、
と思いました。

それから、
北東に向かって、
自転車を押して、
また歩きました。
川の脇の歩道を歩きました。
ここは野鳥保護区で、
僕の大好きな小道です。
それから、歯磨き粉と、
スーパーで野菜を買いました。
初めて通る道は、
いくらでもあって、
それが楽しく、
借景は勿論、
空のきれいなこと。
荷物をリュックと前籠に入れて、
安い八百屋に向かい、
またスーパーに入って、
買い物リストで書い足りていないものを物色。
高いな、とあきらめ、
気が向いて、
図書館へ。
三冊とビデオを一本借りました。
空はすでに、夕焼けで、
肌寒く、
もうすぐ暗くなって、
夜になります。
好きなスャbトの一つである、
ある公園内を通って、
道を行き、
ハンバートの歌が鳴っています。

夜、麻婆飯を作って食べ、
ビデオを見ました。
図書館にあった「奥の細道をゆく」を辿る旅シリーズ。
ナビゲーターは吉増剛造。
今日は吉増剛造の新しい詩集を読みたい気分でしたけれど、
それがある県図書とは方角が違い、
本人の映像を楽しみました。
吉増は市振の砂浜に、
芭蕉の句を、細い流木で書いていました。

 一家に 遊女も寝たり
 萩と月

最初の「一」の文字が、
波で消えてしまいましたけれど、
吉増はまったく動じず、
ぶつぶつ言いながら、
句の最後まで書きました。
日本海の浜辺が舞台です。
ちょうど、夕日が出てきて、
「あ、素晴らしい夕日がご挨拶に出て来てくれましたね」
と吉増は言います。
「ね」と語尾につける吉増剛造。
「芭蕉さんは、こんなふうに天地のミステリーの間を、
見て旅をなさった人ですね」
と吉増は言いました。

短いVTRですけれど、
僕は吉増剛造がかなり好きなので、
放哉、蕪村の解説をテレビでやったのを、
見ていると、または、録画したものを見直していると、
放哉より、蕪村より、
吉増の言葉や、感覚の方が断然、僕には面白いのです。
いつだったか、
宮澤賢治のシリーズを何日かかけてやったとき、
山尾三省が解説していて、
それを見た知人が、
賢治よりも、山尾三省の方が良かった、
と言いました。
それと同じことが、
吉増剛造という詩人にも、
いえるのです。

夜に、「ねじ巻き鳥」を読みました。
今日は読書がそれほど進まなかったけれど、
焦って読み進めても、
また数行戻って読まなければいけないので、
読むのは遅いけれど、
こればかりは仕方がありません。

ETV特集で、
「永山則夫」を見ました。
確か、
去年今池で観た映画「接吻」を、
思い出しました。
もしかしたら、
「接吻」は、
この永山則夫と、獄中結婚した、
奥さんから、題材を得て、
撮った映画かもしれない、
と思いました。
それと、
日本文潔ニ協会に、
永山則夫が入りたいと、
希望した時、
「殺人者が同席するのは恐い」
と誰かが言って、
そのことに怒った、
柄谷行人と中上健次、筒井康隆の三人が、
脱会した話を、
思い出していました。
あと、
「ミミズのうた」は高田渡さんの歌で、
僕は馴染んでいるので、
原詩が朗読されると、
変な感じがしました。
「生活の柄」も、
永山則夫の詩であることも、
静かに思っていましたけれど、
間違いです。
「生活の柄」は、
山之口獏の詩でした。

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棘や猫たち

2009年10月10日 | 生活
たぶん、近くにあるデザイン学校の生徒さんでしょう、
全部で五台の車椅子に乗って、体験学習をしていました。
もう一人がそれぞれの横に沿って歩いて、
ノートに、車椅子に乗っている学生の発言を、
記録していました。
一応に、みんな初めての体験なのでしょう、
真面目な気分と楽しい気分が混ざった表情で、
降り注ぐ太陽の下、
横断歩道を注意深く渡り、
東に列隊は向かいました。

青い空、
聡怩オていると、
硬い緑の葉っぱが落ちていたので、
胸に挿して歩きました。

どこでどうしたことか、
指に棘が刺さっていて、
オジにピンセットを持っていないか、
と訊くと、
「こんなもんはな!」
と言って、
安全ピンでえぐろうとするので、
「判ったから、自分でやるけん」、
と僕は安全ピンで、
棘を取りました。
そして、バンドエイドをオジはくれて、
「この後処理が大事なんだ、オレは棘なんかいつも刺さってる」
と、オジは豪語しました。
うーん、確かに、オジは、
素手でいろんなものをつかんだり、とったりしているので、
そりゃあ、棘も喜んで、
「あ、やっと刺されるぞ」
と喜んでいるのかもしれません。
でも、オジは、
道があれば進むだけ、
棘が刺されば、ピンで抜くだけ、
という人。
棘はまた刺す誰かを見つけなければいけません。
棘を抜くと、風で飛んでしまうぐらい、
本当に細くて小さいです。
だのに、
指に刺さると、
刺殺的な存在感でもって、
僕らを狼狽させます。
それが面白いなー、と思います。

ガリバー旅行記を書いたアンデルセンは、
大きな体だったらしいけれど、
指に棘が刺さってわずかな血が出ただけでも、
失神したとかしないとか。
「体の大きいわりには、
それほどにも繊細であった」、
と、アンデルセンに自分を投影した、
稲垣足穂が、書いていました。

足穂のタイトルで、
「生活に夢を持っていない人々のための童話」
というがあります。
その緑色の本の題を図書館で見るたびに、
僕は何か、当時は、救われた気分になっていました。


今日も夜は、自転車を押して、
歩いて帰りました。
家の近くの道路で、
白い猫と目が合い、
白い猫と、もう一匹の白い猫が、
僕についてきました。
猫が笑うというのが、
本当かどうかは判らないけれど、
あれはどう見ても、笑っている顔です。
僕は猫が好きですけれど、
驚いたことに、白い猫たちが、
追ってこないところまで来ると、
今度はトラ猫がついてきました。
僕はマタタビでも、不意に、
もしかしたらリュックに入れているのかもしれない、
と本気で思いました。
早足でついてくるトラ猫をふり返ると、
トラ猫はそこで止まります。
一定の距離を猫は保ちます。
座って、毛を舐めてみたり、
彼らは見え透いたことを、
やります。
こっちも、座って、
「おいで」と言っても、
トラ猫は笑うばかり。
馬鹿らしくなって、
また歩くと、
早足でついてきます。
なんて楽しい夜なんだ、
「私は猫ストーカー(だったかな?)」という映画を、
見たくなったり、
すこぶるうれしい気分で、
ハンバートを聴きながら、
猫と遊びながら、
やっと家に帰りました。

帰って弁当箱を洗っていると、
友人が遊びにきました。
僕は彼から数年前に、
お古、といっても、数回しか着ていないジャージ上下をもらったことがあって、
それを愛用しています。
「あんなに大事に着てもらって」
と友人は言い、
また新しいジャージをくれました。ありがとう。
これでまた冬がひとつ、楽になります。
それから、アメリカのロックの映像を、
夜遅くまで見て、あーだ、こーだ、
と僕らは言って、馬鹿話をして、
夜は更けてゆきました。
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歩いて帰る

2009年10月09日 | 生活
朝、自転車で走っていると、
一本の街路樹が根元から折れていました。
大きな木で、その木がある場所は、
特に風当たりが強かったのかもしれません。
昨日の夕方も、
弁天通りを歩いていると、
さるすべりの木が、
やはり、根元から折れていました。
見ただけで3本は折れていました。
こっちは、
根が地上に盛り上がらないように、
根元に鉄でできた黒い輪っかが幹にはめられていて、
たぶん、それが理由だと思います。

街路樹。
以前は、木の根は地上に剥き出しになっていました。
それで、歩道が盛り上がったりして、
通りにくくなっていましたけれど、
それが正しい。
木は動けないのだから、
動くことができる人の足が、
木の根を避けて、
歩けばいいと思います。

夕方、久しぶりにオジの奥さんにお会いしました。
最近、過労気味で、オジの奥さんは、
体を壊しかけていたのですけれど、
かなりいつもの元気な顔に戻っていたので、
良かったな、と思います。

夜、労働が終わり、
休憩場へ着替えに行くと、
卓球台で、職員がピンャ唐オていました。
若い2人の職員は、
とても仲が良くて、
友達、という感じがあります。
大変な量の労働をこなさなくていけないのに、
こうして、
誰もいなくなった休憩場で、
ピンャ唐オて遊んでいる。
世知辛い時、
こんなふうに、
束の間の安息を楽しんでいるのを見ると、
多忙なことを知っているから余計に、
うれしい気分になりました。
「やりますか」
と声をかけてくれる思いやりもある人達です。
僕は「いやいや」とお断りして、
着替えて帰りました。

夜遅くなって、
帰ってからの自由時間は少ないけれど、
歩きたいな、
と思ったので、
自転車を押して、
ぽこぽこ、歩いて帰りました。
ハンバートを聴きながら、
歩いていました。
僕は歩くのが好きで、
1時間ほど歩いたら、
家に着いてしまったけれど、
そのままどんどん歩いて行きたくなったほどです。
歩いていると、
どうしてだか、
歩いていることを忘れてしまっていて、
何かくだらないことを考えていたり、
音楽を聴いていたり、
夜の木や、街路灯、
ヘッドライトや、
道の反対側の建物を、
たぶん、僕は見ているのでしょう。
大抵は、くだらないことを、
とりとめもなく考えていることが多いので、
だから、歩いていることを忘れてしまっているのです、きっと。
そんなふうだから、
結構な距離を僕は苦痛なく歩けます。
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銀杏拾い

2009年10月08日 | 生活
今日は台風のため、
労働が休みになりました。
昨夜、地域ピンャCントでの、
風速を調べたら、
たいしたことないな、
と思って、
ベランダのものは、
大きなサボテンなど、
唐黷トしまいそうなものだけ、
屋内に入れ、寝ました。

今朝、起きて、
カーテンを開けると、
もの凄い雨と風で、
シャワーが街全部に、
降り注いでいるようでした。
これが大型の台風の景なのか、
とよく見ていました。
ベランダを見ると、
立てかけてあった網戸が、
鉢植えの上に唐黷トいて、
まずいな、と思いました。
でも、猛烈な風圧で、
窓を開けるのも、一苦労。
今、網戸を持って中に入れると、
あおられて、かえって危ないと思い、
しばらくそのままにしておきました。
時を測り、
猛烈な風がやんだ瞬間、
網戸を屋内に入れました。
すぐに突風が来て、
本当に危なかったです。
テレビで台風状況を見ていると、
縦字のテロップで、
「唐黷ス木が道をふさぐ」
と出ました。
小説のタイトルのようで、
大きな物語ができそうな、
そんなテロップでした。

台風が名古屋を過ぎ、
太陽が照ってくる前に、
洗濯をして、
部屋の片づけをしました。

村上春樹著「ねじまき鳥のクロニクル」を、
読み始めました。
出た時に、読んでいるはずですけれど、
いつものように、
内容をほとんど覚えていません。
だから、初めてみたいで新鮮です。
もの凄く長い小説を読みたいと思っていて、
もの凄く長い小説を選びました。
今日はノーベル文学賞の発表日。
村上春樹が受賞すれば、
すごくうれしいです。
何とかとってくれるように、
願鰍ッのように、
最近、村上春樹を読んでいます。
ずっと、デビューから、
読んできた作家ですし、
大江健三郎風に言えば、
僕にとって村上春樹は、
「人生の親戚」のような人の一人ですから。

夕方、用事で自転車で出かけると、
公園の脇で、
銀杏を拾っている人達がいました。
どうしようかな、
と思って、
自転車を漕ぎ、
結局は、
Uターンをして、
僕も銀杏を拾いに参加しました。
「素手だと手が臭くなるよ」
と銀杏を拾っていた人が言いました。
「どれが食べられるのですか」
と訊くと、
「落ちているものは、全部だよ」
と銀杏拾いは言いました。
「こんなにたくさん落ちているのは初めてだ」
と銀杏拾いは言いました。
僕を入れて、4人は、
せっせと銀杏を袋に入れました。
僕は持っていた小さな布袋の中身を、
自転車の前籠に全部入れて、
小さな布袋に、
銀杏をたくさん入れました。
先日、労働場で、
オジが銀杏を見せてくれなかったら、
僕は銀杏拾い達を、そのまま、
通り過ぎていて、戻らなかったことでしょう。
ささやかな出来事は、
のちに影響を与える好例です。
僕は初めて、
銀杏を拾ったのでした。
台風一過の、
小さな幸せです。


帰り道、
今度はサツマイモを掘ってみたいと思いました。
小さな時、
サツマイモを学校の行事で、
みんなで掘りにいった覚えがあり、
最近、もう一度、
サツマイモを掘りたい気持ちが、
あるのです。
きっと今でも、
とても楽しいような気がします。
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雨とハンバート

2009年10月07日 | 生活
雨がずっと降っていました。
夕方から、本降りになりました。
台風の速度があがったらしく、
明日の午後3時頃、名古屋を通過するはずが、
明日の朝になったそうです。

帰り道、道路に雨が溜まって、
車が通ると、
歩道に水がバーンとかかっていました。
自転車でそこを通らないように、
注意して行きました。
ハンバートを聴きながらの、
通勤です。
ハンバートハンバートと雨は、
とても似合います。


帰ると、びしょ濡れで、
パジャマに着替えて、
ご飯を食べると、
猛烈に眠気が襲ってきたので、
寝ました。
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胸がいっぱいで

2009年10月06日 | 生活
家に帰って、
ハンバートハンバートの「合奏」の、
映像を観ていました。
もう胸がいっぱいで、
今度、ハンバートのコンサートにつき合ってくれる友人に、
電話で話そうと思いました。
けれど、やめました。
誰にも、言わない時も必要で、
一人で、じっとしていました。

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黒い靴

2009年10月05日 | 生活
オジが銀杏を拾ってきたらしく、
今朝、コンビニの袋にいれたそれを、
道路に打ち付けていました。
水を入れて、砕くと、
殻が割れるということです。
殻はこなごなになって、
中身の銀杏を見せてくれました。

今日は背広を着たたくさんの人が、
西に向かって歩いていきました。
あるところで立ち止まって、
あるものを見ていました。
みんな黒い靴を履いていました。
黒い靴の数だけ、
裸足があるはずでした。
裸足で歩くことができたなら、
きっと気持ち良いだろうな、
と思います。

靴を履く国と、
そうでない国。
確か、今年の国際女子マラソンで、
日本に来たあるランナーについて、
「いつもは裸足で走っています」、
とテレビのアナウンサーが実況で言っていました。
靴を買うお金がない国のランナーです。
それで、
日本に来て、
靴をもらったそうです。
そのランナーは、
靴を履いて走りました。
確か、上位で完走したような覚えがありますけれど、
覚えていません。
ただ、覚えているのは、
靴を履いても、裸足でも、
そのランナーの走りは、
いつも通り、
力強い、という印象だったことです。

「光の素足」、
という題の、
宮沢賢治の作品があります。
ラストシーンで、
仏さまの素足だけ見える、
そんなお話でした。



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読書

2009年10月04日 | 生活
今日も朝から晩まで、
ずっと読書です。
途中、疲れると、
そのままソファーで眠りました。
読書を中心に置いて、
洗濯物をたたんだり、
買い物に行ったり、
です。
家事を休日の中心にしてしまうと、
読書ができません。
だから、
読書を朝起きた時から、
中心にしています。

夜になって、
野菜を煮ました。
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補色の方法

2009年10月03日 | 文学
夕方、
やっと村上春樹著「国境の南、太陽の西」を、
読み終えました。
今日は朝からスラスラ読めて、
最後の1行、に、感嘆しました。
小説の中で、
カクテルを作る人の話が出てきて、
上手にカクテルを作る人はいくらでもいる、
でも、それ以上の味を作る人は、
才能としか言い様がない、
と作者、村上春樹は言っています。
この小説は、最初の出だしも好きですし、
最後の1行、というより、最後の5行ぐらいが、
もの凄く良いです。
「才能」としか、言い様がない、
とはこのことでしょう。
再読ですけれど、内容を忘れてしまっているので、
初読のような感じで、読了しました。
素敵な小説を読むと、
本当に幸せな気分になります。
最後の1行が良かったら、
もうそれですべてが良い、
と思わせる小説でした。
最後の1行は、
例はあげられないけど、
谷川俊太郎っぽいと思いました。
村上春樹は、
「対比」が得意です。
今回も、見事です。
それで、補色のことを、
強く思いました。
「国境の南、太陽の西」というタイトルも、
対比、補色ですし、
暗喩ではあるけれど、
最後の、「海に降る雨」の描写は、
小説の全体を要約していて、
「肩に置かれた手」も、
見事に、対比、補色の関係であって、
こういった、ぶっつけが、
本当に巧いと思います。
小説の全体の要約とは、
今書いていて思ったのですけれど、
詩です。


それから、朝、在庫確認した川上弘美の小説を借りに、
図書館に行って、
二冊借りてきました。
一度読んだ「真鶴」と、「風花」です。


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傘の変

2009年10月02日 | 生活
朝から晩まで、
ずっと雨が降っていました。
夜、傘をさして歩いていく人を見ていました。
傘は、よく見ると、
大きな傘があったり、
中ぐらいのがあったり、
小さいのがあったりで、
特に、
大きな傘は、
僕の気を引きました。
だいたいは、中か小だったから。
大きい傘は、2人が入っても、
肩や腕に、雨は当たりません。
でも、
小さい傘だと、
ほとんどの人が、
傘を持っていない方の、
腕と肩が濡れていました。

それにしても、
傘というのは、不思議で、
人間はどうしてこんな変なものを、
持って歩いているんだろう、
雨だからといって、
もっと、何か別のものを、
開発しようとはしないのだろうか、
と思いました。
「三度笠」
とオジが言いました。
以前は、三度笠でした。
たぶん、雨があがって、
手に持つのに、
傘の柄がついた方が持ちやすいと思ったからでしょうか。
それにしても、
傘は変です。
飛行機が鳥から発想されたのと同じく、
傘も、植物から発想されたのかな。あの、緑色の蓮の葉のような、
茎がついたやつ、から。
「傘って、変だよね」
と僕はオジに言いました。
雨は夜になって、小降りになり、
やがて、やみました。
そして、強い風が西から吹いてきて、
ほどなく、風もやみました。

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拾ってほしい

2009年10月01日 | 生活
今日から衣替えです。
ところが、朝から、
「暑いー」
とオジと僕は言いました。
天気予報の気温では、
それほど暑くないけれど、
ご飯を食べ、自転車を漕いだあとだと、
朝はまだ暑いのです。
でも、
夜になると、ぐっと冷えてきて、
「やっぱり、冬服でよかった」
とオジと僕は言いました。
月が、東南の空にあって、
しばらく月を見ていました。
オジは、
最近、道に落ちているいろんなものを、
拾わなくなりました。
自然観察員をしていた時の癖で、
ずっと拾っていたのですけれど、
「もう拾わない」と宣言してから、
すっかり、拾わなくなりました。
「拾えばいいのに」
と僕。
「いや、もうやめた」
「拾わなくなって、何か変わった?」
と僕。
「幅が狭くなった」
とオジが言いました。
「幅?」
「世界の幅というか、社会性がなくなった」
とオジは、ぼそ、と言いました。
誰もが、子供の時、
道の上にあるものを、
拾っては、
何だろう、
と、思って、
つまりは、
家に持ち帰って、
だんだん、
どうでもよいものが増えたり、
ということがあります。
僕は、
またオジにいろいろ、
拾ってほしいな、
と思っています。
どうでもよいもの、
くだらないものほど、
遠くへ、僕らを運んでくれるような、
気がします。
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