kotoba日記                     小久保圭介

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hosono

2011年06月08日 | 311
お寺さんの、
外に貼られてある言葉が、
新しくなっていました。



  人に生まれた
     悲しみと
  共に生きる
     大切さ
  謙虚に進む


僕はこのお寺さんのご住職が書く、
言葉が好きです。
この言葉の後に、
第一次の義援金は終了しました。
そして金額が書かれてあって、
第二次の義援金の受付案内が書かれてありました。
震災のことを、
ずっとここのご住職は祈っておられる。
ご住職は、
以前の張り紙で、
「東北の方はわたしたちの砥石になってくださっている」
とお書きになった。
そして、
今回は、
「謙虚に進む」です。
僕は不遜なので、
ハッとしてしまいます。
ありがたいお言葉です。


細野晴臣が、
震災後、1カ月半、
何もできなかった、
と言いました。
その言葉に追従する件p家も、
多いだろうと思います。
でも、僕は反対です。
もしも、
細野晴臣というビッグネームが、
「音楽家だから音楽をこんな時だからこそやる」
と言ったとします。
すると、
そうか、
って、
追従する件p家が出てきます。

震災、原発について、
高橋源一郎が言っていたけれど、
誰もが同じことをするのはおかしい、
同じことを言うのはおかしい、
みんなそれぞれ、違っているのが当たり前で、
そうじゃないといけない、
と勝間さんに強く言っていました。
ゼミの生徒さんは、
「高橋先生、私には何ができるんでしょう」
と訊いたといいます。
「何もしなくていい」
と源一郎は言い、
「どうして何かしなくちゃいけないって思うの?」
と重ねて生徒に訊いた。
そして、源一郎は、
「しなくちゃいけないというのは、ネガティブで、
 こうしたいと思うまで、何もしなくていいです」
と言った。
「こうしたい、というャWティブの方が、大事だから」
と。
僕もそうだよなあ、と思います。

件p家は、
311以降、
「何もできなくなった」
件p家に限らずですけれど、
そう言います。
でも、
件p家は、
表現して、
生きる。
死んだような状態でも、
表現しなければいけない。
でなくては、
本当に死んでしまう、
そんなふうに思います。


ーーー

砂を踏む音、
公園にて。
自転車が、
砂の上をゆく音。

メールを書いて気がついた。
読んで欲しい人は誰か。
言葉を伝える、送る(贈る)人が、
一人であれば、
ピンャCントで、
言葉が多く、大きく拡大し、
思考深度も深くなり、
集中してゆくことによって、
エネルギーも一極集中化する。
「誰に書くか」
それを、
今さらながら、思い出しました。
小説もそう。
誰に、書くか、
が、
とても大事です。

ガムを噛んで、
バナナを食べる。
暑いけれど、
風が吹いている。
風のことを考える。
昨日、地下鉄の中
で、
冷房の風を受けていた。

批評とは、
他者に対しているようにみえて、
実は、
すべて自己批評のことだ。
帰って、
切り干し大根を作りました。
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