聖徳太子研究の最前線

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聖徳太子の「意外なしたたかさ」を指摘した論考:森公章「推古朝と聖徳太子」

2023年01月19日 | 論文・研究書紹介

 前回の続きです。前回は、仏教関連の記述に問題が多いため、きびしいコメントになりましたが、森氏は代表的な古代史研究者の一人であるため、さすがに感心させられる指摘もしています。

 まず、斑鳩宮の造営についてです。森氏は、これについては蘇我氏から離れて政治をおこなうためとする説に反対し、この近辺には推古天皇の額田宮があるため、当時は政治の中枢から外れていた敏達系の王族が広瀬郡あたりに進出していたことに対抗し、難波と飛鳥を結ぶ経路であって、守屋滅亡後に空白となっていた地域に蘇我系王族が新たな展開を試みたものと見ます。これは私も同意見です。

 森氏は、厩戸は皇位継承候補者のために創設された壬生部を与えられており、この時期の王族では、厩戸の系統だけ部民制的な名を持つ皇子女が集中していることに注意します。そして、これは蘇我系の上宮王家に王族内の財力・権力を集中する意図があるのであって、「厩戸の意外なしたたかさがかいまみられる」と述べています。

 これは卓見ですね。私も浅草寺文化講座で太子周辺の近親結婚の多さに注目し、当時は欽明天皇の血と蘇我氏の血をともに引く王族が天皇になっていた時代であって、太子自身、父も母もそうであったのに、太子の子供たちは蘇我氏と結婚せず、太子の系統の中でのみ近親結婚していることに触れ、これが山背大兄王の時の蘇我本宗家との対立の遠因となったのはないかと推察しました(こちら)。

 聖徳太子については、「憲法十七条」では民を使う時は思いやるようにと書いているものの、壮大な土木工事をやっているのですから、他の豪族のような強引は働かせ方は避けたにせよ、動員して労役に従わせたはずです。こうした面もきちんと見ていくことが必要でしょう。

 森氏は続いて、当時の厩戸の地位について、『法王帝説』が島大臣(馬子)とともに天下の政を輔けて三宝を交流し、元興・四天皇等の寺を起て、位十二級を制ると述べているのが、実情としてふさわしいとします。

 おおよそはその通りと思いますが、仏教に関することとなると、またしても問題が出てきます。「元興・四天皇(ママ)等の寺」とありますが、元興寺を建てたのは馬子であり、また聖徳太子が四天王寺を建てたのは事実であるものの、法隆寺が抜けているのはおかしいのです。これについては、以前ちょっとだけ書きましたが、別に述べます。

 冠位十二階については、『法王帝説』では馬子も制定側と解されるため、天皇家・蘇我本宗家による朝廷の組織化の第一歩と位置づけることができる、と説きます。これが実情でしょう。

 「憲法十七条」については、仮託と見る説もあるとしつつ、「むしろこの時期の制法としてふさわしいとする評価も根強い」と述べます。「憲法十七条」の公布状況は見性できないとしたうえで、当時は馬官、祭官、大椋官などの官司名が知られているため、「部民制的奉仕に基づく朝廷の職務分担を官司として整備しようとしたいたことがわかる」とします。

 そして、法隆寺の釈迦三尊像の台座に「尻官」とあるため、諸王宮でも「官」という語が用いられているため、朝廷だけが超絶した存在ではなかったとします。こういう過渡期的なあり方が重要であって、律令制かそれ以前かという明確な二分論は実情に合わないですね。

 遣隋使の「日出処」の国書については、高句麗僧恵慈が起草したとする李成市説もあると述べ、そうしたことも考慮する必要があるとします。李成市さんは、私が東洋哲学科の助手だった頃、東洋史の助手をしており、助手仲間です(その縁か、この夏に出る「アジア人物史」では、編集委員である李成市さんの依頼で、新羅の「元暁」の項目を担当しました)。

 蘇我蝦夷と入鹿が生前に壮大な墓を作るために厩戸から子に継承されていた壬生部の民を徴発しようとし、厩戸の娘が怒った事件については、森氏は、上宮王家側に「封民」を死守しようとする意識が強いとし、こうした王族の権益を排してどのように中央集権的な仕組みを作るかが課題だったとします。

 これは、厩戸とその子を天皇家の代表と見る見方から離れた視点によるものであり、新たな視点の提示として重要ですね。ただ、厩戸が死ぬと、王族と群臣による政務補佐のバランスが崩れたとしていますが、群臣にあっても、境部摩理勢のような存在もあったわけですから、群臣内部、それも蘇我氏系内部の争いという点にも注目すべきではないでしょうかね。

 このように、仏教関連の記述は問題ばかりであるものの、現時点で聖徳太子を新たな視点で見直そうとする姿勢が見られる記述となっています。

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