聖徳太子研究の最前線

聖徳太子・法隆寺などに関する学界の最新の説や関連情報、私見を紹介します

カテゴリー名を変更

2024年06月20日 | このブログに関するお知らせ

 このブログでは、聖徳太子はいなかった説やトンデモ説を批判してきました。そうしたデタラメ説のうち、国家主義的な主張が目立つ主張を紹介して批判するために、「国家主義的な日本礼賛者による強引な聖徳太子論」というコーナーを新設したのですが、戦前を思わせる国家主義的な主張を強く打ち出さないものの、あるいは自分では自覚していないものの、中身は似たような議論をしている例が目立つようになってきたため、コーナー名を、

史実を無視した日本の伝統・国体(国柄)礼賛者による聖徳太子論

と変更することにしました。

 「国柄」という補足を入れたのは、戦前・戦中に猛威を振るった「国体」の語の言い換えにすぎない「国柄」の語を用いたり、用いていなくても、史実と異なることを古代以来の日本の伝統だと主張し、実質上、そうした議論をしている本や論文を含むようにするためです。

 「太子礼賛派による虚構説批判の問題点」コーナーでとりあげた論文は、今回新設したコーナーに入るべきものでですが、このコーナーは残しておきます。

 誤解されないように書いておきますが、私は日本の文学・芸能に関する論文を多数書いていることが示すように、日本の文化は大好きですし、自然な形で保たれてきた本当の伝統は尊重しています。ただ、史実を無視した形で「日本の伝統」なるものを声高に語り、誇る傾向は、自分では善意のつもりでも、危険な働きをする可能性がありますので、このコーナーで警告することにした次第です。


「偽の『五憲法』と『先代旧事本紀大成経』関連」コーナーを新設しました

2023年11月11日 | このブログに関するお知らせ

 タイトルにあるように、「偽の『五憲法』と『先代旧事本紀大成経』関連」というコーナーを新設しました。

 前に書いたように、このブログの当初の狙いであった「聖徳太子はいなかった説」を撃破するという目的は果たしました。しかし、そうなると、「ほら見ろ!」ということで、また戦前のように、聖徳太子を利用して国家主義をあおろうとしたり、旧道徳を押しつけようとしたりする人々が元気づき、盛んに活動し始める可能性があります。

 ただ、「憲法十七条」は「神」にも「孝」にも触れていませんので、三波春夫のように(こちら)、それらをも説いてくれている江戸時代の偽作、『聖徳太子五憲法』に飛びつき、利用しようとすることが懸念されるにとどまらず、実際、そうした例が出始めました。

 私が長らく尊重して来た小倉豊文は、真の聖徳太子のあり方を明らかにしようと努めていたため、伝説をそのまま信じて太子を過度に神格化しようとうする人々、とりわけ、太子作と称する偽作の『五憲法』を持ち上げる人々を強く批判していました(こちら)。

 ですから、このコーナーでは、『五憲法』と、それを含む江戸時代の偽史であって聖徳太子の作(編纂)と称する『先代旧事本紀大成経』について、批判的に検討してゆくことにします。

 『大成経』は、聖徳太子信仰の材料としても、また江戸から明治初期の思想史を考えるうえでもきわめて重要なものですので、これをきっかけとして多くの研究者が『五憲法』と『大成経』に関心を持ち、研究が進むことを期待しています。

 なお、これまで『五憲法』については何度も記事で触れていますが、それが中心となっている記事を、この新コーナーに移しました。内容は変えておらず、訂正する場合は、【追記】などの形で行います。


新コーナー「国家主義的な日本礼賛者による強引な聖徳太子論」を始めます

2023年04月19日 | このブログに関するお知らせ

 「聖徳太子はいなかった」説は撃破されましたが、珍説奇説は以後もあとを絶ちません。また、戦前から戦中にかけて盛んだった国家主義的な聖徳太子礼賛は、今も根強く残っています。このため、「いなかった」説が消えると、今度は国家主義に基づく強引な聖徳太子論が流行する可能性があります。

 少し前に紹介した田中英道氏の本もその一つですが(こちら)、あのような妄想だらけのトンデモ本と違い、生真面目に聖徳太子に取り組み、我が国体を守った偉大な英雄として賞賛しようとする人たちがいます。

 この系統の人たちの中には、日本会議や自民党の右派や神社本庁などと結び着いて政治運動としての太子礼賛をやるタイプも見られますが、問題はその太子解釈が史実を無視していることであり、自らの国家主義を太子の事績に読み込もうとしがちなことです。

 そうした人が日本を危険な方向に持っていきがちであることは、津田左右吉が強く警告したことであり(こちら)、また小倉豊文が恐れたことでした(こちら)。私は聖徳太子に関する津田や小倉の個別の説については批判していますが、津田のひ孫弟子として、津田のそのような批判的姿勢は受け継いでいますし、小倉の考え方にも賛同しています。

 そこで、このブログでは、「国家主義的な日本礼賛者による強引な聖徳太子論」というコーナーを作り、国家主義者、特に国体論者たちによる聖徳太子解釈の問題点を指摘することにした次第です。

 初めは「国体論者による~」とか「日本主義者による~」といったコーナー名にしようと思ったのですが、そうした伝統を踏まえていないタイプの日本礼賛者による聖徳太子礼賛の文章もたくさんあるため、今回のような名になりました。

 なお、私自身は「ものまね」を柱とする日本芸能の歴史の本を出しているほか、古典文学関連の論文も多く、年内に日本の文学と仏教の関係に関する本も出す予定になっているほどの日本文化好きですが、アジア諸国の文化もある程度知っていますので、日本だけを異常に持ち上げて他国をおとしめるような発言は無知の証拠としか思われません。このコーナーでいう「日本礼賛者」とは、世界無比の国体を誇って日本の素晴らしさだけを礼賛し、他国を軽んじるタイプの人たちを指しています。

【追記】
「日本礼賛者による強引な聖徳太子解釈」というコーナー名で早朝に公開したのですが、誤解を避けるため、「国家主義的な日本礼賛者による強引な聖徳太子論」と改めました。また、こうした人たちとの協同が案じられる相手に「日本会議」を加えました。


「聖徳太子をめぐる珍説奇説」というカテゴリーの追加

2020年12月06日 | このブログに関するお知らせ
 8月にこのブログを復活させて以来、めちゃくちゃ忙しいのに結構書いてきました。読みかえしてみると、「論文・研究書紹介」の固い記事が多いですね。かつては、エイプリルフールに太子関連のおふざけ記事をアップロードしていた身、また3週間ほど前に出た『早稲田学報』の最新号に「日本笑い史年表」を寄せたほどの笑い好きの身としては、ちょっと遊びたくなってきます。

 そこで、これまでの記事とカテゴリーを見直したところ、内容とカテゴリーが合ってない記事が目についたので、この際、記事が5本しかなかった「聖徳太子・法隆寺研究史」というカテゴリーを廃止して、それらの記事を「聖徳太子・法隆寺研究の関連情報」に移し、代わって「聖徳太子をめぐる珍説奇説」という気楽なコーナーを設けました。

 学問ではいろいろな説が出るのが当然ですが、その枠を越えると空想小説、あるいは珍説奇説と呼ぶほかなくなります。大山氏の聖徳太子虚構説は、学問的上の新説・異説としてスタートしたものの、次第に空想小説・珍説奇説に近い主張が加えられていきましたね。

 珍説奇説カテゴリーの記事の第1回は、このブログでもちょっとだけ触れたことがある(こちら)法隆寺の五重塔は送電塔をモデルにして設計されたというトホホ説です。国立大学の紀要に載ったのだから、すさまじいですね。

 なお、このカテゴリーの記事については、本気でとりあげていると思われないように、題名の冒頭に 【珍説奇説】という注意を記しておくことにします。