「聖徳太子研究の最前線」記事一覧
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救世観音像は聖徳太子の生前に斑鳩宮の夢堂に安置されて礼拝されていたか:金子啓明「日本古代における秘儀と彫像」
(2024年06月30日 | 論文・研究書紹介)
法隆寺については、実に様々なものが論争となってきました。こんなに論争になるのは... -
法隆寺聖霊会は元々は『法華経』講経が中心で梅原猛が騒いだ蘇莫者など登場しない:高田良法「法隆寺聖霊会成立について」
(2024年06月25日 | 聖徳太子信仰の歴史)
梅原猛が、法隆寺は怨霊となった聖徳... -
天皇は和語の漢字表記であって「スメラミコト」などの「スメ」は大化前代から:馬梓豪「日本律令時代初期における君主号と天皇号の性格」
(2024年06月22日 | 論文・研究書紹介)
先に「天寿国繍帳」の絵柄について検討した論文を紹介しました。その「天寿国繍帳」... -
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(2024年06月20日 | このブログに関するお知らせ)
このブログでは、聖徳太子はいなかっ... -
天寿国繍帳の神仙思想的な月像に見える古代韓国の影響:徐玉茜「天寿国繍帳と三国時代の韓半島」
(2024年06月18日 | 論文・研究書紹介)
後代の作とする説もある「天寿国繍帳」の銘文は、亀の甲羅の柄に4文字づつ刺繍して... -
鎌倉幕府の「御成敗式目」五十一箇条は「十七条憲法」の三倍ではない:佐藤雄基「五十一という神話 御成敗式目と十七条憲法」
(2024年06月13日 | 聖徳太子信仰の歴史)
貞永元年(1232)に出された鎌倉幕府の「御成敗式目」五十一箇条という数は、聖... -
法隆寺再建説でも非再建説でもない自説を92歳で補強:鈴木嘉吉「白鳳時代の建物は遺存するのか」
(2024年06月08日 | 論文・研究書紹介)
近代日本の美術史・建築史を発展させたのは、100年以上続いた法隆寺の再建・... -
逆臣の守屋が地蔵菩薩や熊野権現へと変化:伊藤純「聖徳太子と物部守屋」
(2024年06月03日 | 聖徳太子信仰の歴史)
『日本書紀』の守屋合戦記事では、厩戸皇子が四天王に誓願したからこそ勝利したよ... -
蘇我馬子が入手した弥勒石像は固くて光沢のある蝋石製か:山﨑雅稔「敏達紀の「弥勒石像」と朝鮮三国の弥勒信仰」
(2024年05月29日 | 論文・研究書紹介)
前回、須弥山石を取り上げましたので、それに続いて石像に関する論文を紹介しましょ... -
夷狄に服属儀礼をさせる施設でなく、文化威力を見せつける噴水か:外村中「飛鳥の須彌山石」
(2024年05月24日 | 論文・研究書紹介)
以前、「スメラミコト」は推古朝にお... -
マヘツキミの合議に外から関与した推古朝の世襲制大臣の行方:鈴木明子「律令制形成期における合議制の展開」
(2024年05月19日 | 論文・研究書紹介)
クラウタウさんの新刊書、岡田さんの... -
【重要】『日本書紀』中で「憲法十七条」だけが重要箇所で2度用いた語法が三経義疏すべてに!:岡田高志「「憲法十七條」の表現と思索」
(2024年05月15日 | 論文・研究書紹介)
「憲法十七条」と『勝鬘経義疏』が『... -
オカルト的な説を含め近代以後の偽史に基づくトンデモ聖徳太子論を学術的に分析:オリオン・クラウタウ『隠された聖徳太子』
(2024年05月10日 | 聖徳太子をめぐる珍説奇説)
このブログでは、聖徳太子に関する諸... -
片岡山飢人伝説は『日本書紀』編者の創作ではない:三舟隆之「片岡山飢者説話の形成」
(2024年05月06日 | 論文・研究書紹介)
聖徳太子虚構説については賛同者はおらず、この10年以上は相手にされなくなってい... -
中華意識を持ったアジア諸国の一つとしての倭国:川本芳昭「《日本側》七世紀の東アジア国際秩序の創成」
(2024年05月01日 | 論文・研究書紹介)
中国の中華意識は有名ですが、実は、... -
最近の研究成果を踏まえた穏健な聖徳太子論であって「和」の特質を強調:頼住光子「仏教伝来と聖徳太子」
(2024年04月27日 | 論文・研究書紹介)
2018年に放送大学のテキストとして末... -
古代日本は家族が未成立、中国と違って直系相続の意識無し:官文娜「日本古代社会における王位継承と血縁集団の構造」
(2024年04月22日 | 論文・研究書紹介)
前回、日中を比較して「朝政」の検討... -
朝政成立史においては推古朝が画期的:馬梓豪「日中比較からみる日本古代朝政の特色」
(2024年04月17日 | 論文・研究書紹介)
まだ中国です。中国はネット規制が強... -
大山誠一・吉田一彦氏に遠慮しつつ、ついに聖徳太子虚構・道慈作文説を否定:榊原史子「『日本書紀』崇峻即位前紀七月条と四天王寺の創建」
(2024年04月12日 | 論文・研究書紹介)
こちらも論文集を紹介し始めたところ... -
高句麗の影響を受けた百済の石積みによる造墓技術が方墳へ:坪井恒彦「大王(倭国王)陵としての前方後円墳の終焉」
(2024年04月08日 | 論文・研究書紹介)
恒例となっている4月1日限定の特別記事では、蘇我馬子の「桃原」の墓と桃つながり...