題名通り、4月1日にアップした記事「『日本書紀』という書物は、実在しなかった!」(こちら)は、エイプリルフールの冗談記事です。
一昨年も4月1日に、「マンションの壁が崩れて『聖徳太子日記』なる古写本が出てきた。読んでみたら、聖徳さんという男性と『太子(ふとこ)』という女性の交換日記だった。二人で黒駒に乗って四天王寺に行き、屋台でソース焼ソバを食べた、と書いてあった」といった冗談記事(こちら)をアップしたのですが、これは早朝にアップして、その日の夜に削除しました。今回は、削除し忘れていたら、有益なコメントもついたため、そのままにしてあった次第です。
今回の記事は、「マンションの壁が崩れて、『日木書紀』なる奈良時代の古写本が出てきた。『日本書紀』は後代の名称にすぎず、実在していたのは『日木書紀』だったのだ!」といったお遊び記事です。
末尾で、この成果を引用する人は、雑誌論文を引用する際と違って「何年何月」などだけですまさず、「4月1日」という日にちまできちんと記してほしいと述べ、「4月1日」という箇所を赤字にして強調しておいたのですが、事実と誤解される可能性があるというご指摘を頂いたので、記事については「保留」扱いとして引っ込めました。ご意見、有り難うございます。
マンションの壁から聖徳太子の古写本が出たなどという記事を信じる人はいないだろうと思ったのですが、世の中には、そうした類のありえない珍説を信じる人も多いようなので、用心しておいた次第です。
急ぎの論文に追われ、ブログの更新が止まっていながら、こうしたお遊びばかりやっていてまずかったと、反省したことでした。きちんと再開しないといけないですね。
【追記:2013年4月28日】
と、上のように書いたのですが、考えてみた結果、4月1日の記事に【追記】でエイプリル・フールの冗談記事だと明記して、再公開することにしました。
一昨年も4月1日に、「マンションの壁が崩れて『聖徳太子日記』なる古写本が出てきた。読んでみたら、聖徳さんという男性と『太子(ふとこ)』という女性の交換日記だった。二人で黒駒に乗って四天王寺に行き、屋台でソース焼ソバを食べた、と書いてあった」といった冗談記事(こちら)をアップしたのですが、これは早朝にアップして、その日の夜に削除しました。今回は、削除し忘れていたら、有益なコメントもついたため、そのままにしてあった次第です。
今回の記事は、「マンションの壁が崩れて、『日木書紀』なる奈良時代の古写本が出てきた。『日本書紀』は後代の名称にすぎず、実在していたのは『日木書紀』だったのだ!」といったお遊び記事です。
末尾で、この成果を引用する人は、雑誌論文を引用する際と違って「何年何月」などだけですまさず、「4月1日」という日にちまできちんと記してほしいと述べ、「4月1日」という箇所を赤字にして強調しておいたのですが、事実と誤解される可能性があるというご指摘を頂いたので、記事については「保留」扱いとして引っ込めました。ご意見、有り難うございます。
マンションの壁から聖徳太子の古写本が出たなどという記事を信じる人はいないだろうと思ったのですが、世の中には、そうした類のありえない珍説を信じる人も多いようなので、用心しておいた次第です。
急ぎの論文に追われ、ブログの更新が止まっていながら、こうしたお遊びばかりやっていてまずかったと、反省したことでした。きちんと再開しないといけないですね。
【追記:2013年4月28日】
と、上のように書いたのですが、考えてみた結果、4月1日の記事に【追記】でエイプリル・フールの冗談記事だと明記して、再公開することにしました。
記紀史料や、法華経ぎしょ御物などにもいろいろ偽書が含まれているのでしょうか。大山説や古田九州王朝説など妄説が蔓延っています。教科書内容も揺らいでいるようで、困ったものです。