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プロフィール
- 自己紹介
- 石井公成。駒澤大学名誉教授。僧侶ではなく、仏教の教理と関連文化の研究者。聖徳太子研究では、一歩距離を置いた客観的な検討、コンピュータと語法研究を活用した文献史料の正確な読解を心がけています。
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- 雑多なことをやってます。出版社が販売している本や雑誌に載っている論文以外は、ここにPDFをアップするようにしています。
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- 「トイビト」で作者の仏教史概説講義などが公開されており、お気楽エッセイの連載も始まりました。
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- 作者の関連講演(1):「聖徳太子は「海東の菩薩天子」たらんとしたかー「憲法十七条」と『勝鬘経義疏』の共通箇所ー」
- 「憲法十七条」や三経義疏は太子の仕事であることを論証
- 作者の関連論文(2):「「聖徳太子はいなかった」説の誕生と終焉」
- 太子虚構説、つまり「聖徳太子はいなかった」説の誕生の背景と終わった現在
- 作者の関連講演(3):「人間聖徳太子」の誕生: 戦中から戦後にかけての聖徳太子観の変遷
- 太子を人間としてとらえる傾向の歴史、「聖徳太子」という名を作った淡海三船
- 作者の関連論文(4):「三経義疏の語法」
- PC処理によって三経義疏の類似と倭習を指摘し、中国撰述説を否定(太子作かどうかは別の話)
- 作者の関連論文(5):三経義疏の共通表現と変則語法(下)
- 『法華義疏』と『維摩経義疏』中心
- 作者の関連論文(7):三経義疏の共通表現と変則語法(上)
- 『勝鬘経義疏』中心
- 作者の関連論文(5):「伝聖徳太子「憲法十七条」の「和」の源流」(『天台學研究』10輯、ソウル、2007年12月)
- 「憲法十七条」前半は『孝経』に基づきつつ仏教の威力を利用しようとしたことを指摘。韓国の天台宗に招かれて発表したもの。
- 作者の関連論文(6):憲法十七条」が想定している争乱
- 「無忤」の出典、法家思想の強さ、馬子が聖人とされた可能性などを指摘。
作者のお薦め記事
1.(重要) 「憲法十七条」の基調となる経典を発見、「憲法十七条」も三経義疏も遣隋使も聖徳太子の作成・主導で確定
2.指導要領改定案の問題点:「厩戸王」は戦後に仮に想定された名、「うまやどのおう」も不適切
3. 大山誠一「聖徳太子架空説」の誤り
4.三経義疏を N-gram分析してみれば共通性と和習と学風の古さは一目瞭然
5.三経義疏中国撰述説は終わり(続)
6.大山誠一「序論 『日本書紀』の解明に向けて」「記紀の編纂と<聖徳太子>」(2)
7.生前の呼び名は「厩戸王」だったろうと説いた誠実な研究者:小倉豊文(1)
8.田中英道『聖徳太子虚構説を排す』の問題点(続)
9.「道教と古代日本文化」ブームの聖徳太子論の誤り: 間違いを放置して良いか
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