聖徳太子研究の最前線

聖徳太子・法隆寺などに関する学界の最新の説や関連情報、私見を紹介します

コメント停止しました

2013年03月17日 | コメントの投稿について
 コメントについては、下記のような方針でやってきたのですが、最近、ちょっと調べれば分かるごく初歩的な質問をする方や、資料に基づかない独自の主張を長々と展開される方が多いため、コメントについては当分受け付けないことにします(2015年12月)。
 
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 このブログは、聖徳太子や法隆寺に関する珍説奇説を排し、資料に基づく学問的に着実な成果を紹介していこうとするものです。学問的でないと思われる説や、そうした部分を含む論文・研究書をとりあげる場合もありますが、それはあくまでも批判するためであって、やむを得ずにしています。

 むろん、説は研究者によって様々ですが、それなりの学問的水準に達していないものについては、とりあげません。

 このため、このブログのそうした趣旨とは異なる性格のコメントや質問については、掲載しません。想像に基づいて独自な説を唱える方、あるいは、そのような説に賛同する方は、ご自分のホームページやブログで展開してくださるようお願いします。

2月27日の「古代東アジア諸国の変格漢文」研究集会

2013年03月17日 | 聖徳太子・法隆寺研究の関連情報
 ご無沙汰しました。昨年の暮れ以降、ブログの更新がすっかり止まっており、申し訳ありません。コメント頂いておりながら、公開していないものがいくつもあり、失礼しました。

 この間、吉田一彦さんの新刊に対する批評も途中のままでしたし、関連する研究書や論文を頂いたりしておりながら、報告が出来ずにいましたが、ようやく聖徳太子研究に復帰しつつありますので、新記事のアップを再開します。

 まず、最初にご報告しなければならないのは、2月27日に、科研費研究「古代東アジア諸国の変格漢文」の第3回研究集会を、前回同様、駒澤大学で開催したことです。発表は、

  崔  植(韓国・国立木浦大学)「『華厳経問答』の変格漢文」
  瀬間正之(上智大学)「変格化の一側面--敬語表記の諸相--」

でした。

 『華厳経問答』は、これまで唐代の華厳宗第三祖と言われ、華厳教学の大成者とされる賢首大師法蔵(643-712)の作とされていましたが、文体が法蔵とは違い、おかしな箇所も多いため、古くから偽作説がありました。

 そこで、私もいろいろ調べた結果、実際にはその法蔵の兄弟子であって、新羅に帰国して新羅華厳宗の開祖となった義湘(義相、625-702)とその弟子の問答であることに気づいて論文を書き、著書にも載せました。つまり、漢文がおかしいのは、義湘が新羅の言葉で講義したものを、弟子が書きとどめたものの、漢文になっていないことが多かったためなのです。

 以後、韓国でも『華厳経問答』に関する研究が盛んになり、数年前に韓国の金剛大学仏教文化研究所主催でこの『華厳経問答』に関する国際シンポジウムがおこなわれ、その報告として『『華厳経問答』をめぐる諸問題』(原文はハングル)が昨秋、刊行されました。

 崔さんの発表は、その『華厳経問答』における変格漢文を詳しく調査したものです。これまで、韓国の変格漢文については、金石文や木簡などが主な研究対象であり、書物としてまとまったものは、高麗の均如の講義録くらいしかありませんでしたが、ここに来て、上下二巻という書物、それも7世紀末あたりの新羅の状況を伝える資料が登場したことになります。つまり、この『華厳経問答』は、韓国の国語学にとってきわめて重要な新資料なのです。

 崔さんの発表は、韓国の研究誌に発表される予定ですが、日本の変格漢文の研究者にとっても貴重な成果であるため、日本語でもどこかに書いておいてもらいたいところです。

 瀬間さんの発表は、「見」「賜」「奉仕・仕奉」など、いくつかの表現をとりあげ、変格化の様相について詳しく検討したものです。最近の百済の発掘資料などを活用しており、この方面の研究は、まさに東アジア全体の中で考えてゆかねばならない段階になっていることが、良くわかります。

 瀬間さんは、同僚の急逝などの事情で変則的な形となった在外研究の際、韓国で語学研修や共同研究に励んでおり、今後もそうした学識・知見に基づく成果を次々に発表してゆかれるものと楽しみにしています。

 『日本書紀』や『古事記』や三経義疏などの読み方は、こうした着実な研究によって少しづつ変わっていくことでしょう。それは、当然のことながら、内容の研究にも反映されるはずです。