聖徳太子研究の最前線

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井上亘『偽りの日本古代史』(1):第1章「十七条憲法と聖徳太子」【訂正簡略版】

2015年01月13日 | 論文・研究書紹介
 さて、前回触れたように、井上亘さんからお送りいただいた『偽りの日本古代史』(同成社、2014年12月)を紹介しておきます。内容は、

  はじめに
  第1章 十七条憲法と聖徳太子
  第2章 大化改新管見
  第3章 偽りの「日本」
  第4章 「日本」国号の成立
  第5章 『日本書紀』の謎は解けたか
  第6章 『日本書紀』の謎は解けたか・再論
  あとがき

となっています。多くは中国での発表に基づいて中国の雑誌や書籍に掲載したものですが、日本での発表に基づいて日本の書籍や雑誌に掲載したものも含まれています。「日本」という国号については中国が認めてこそ正式となる点を強調するなど、そうした状況を反映した論文が含まれており(井上さんは、現在は北京大学歴史学系教授)、日本国内の事情だけで古代史を考えがちな研究者たちへの批判となっています。

 このうち、第1章は、中文版を増補した日本語版を『古代文化』64巻4号(2013年3月)で発表しているものの、今回の本に収録したのは中文版を日本語化したものである由。

 第5章は、大山誠一編『日本書紀の謎と聖徳太子』に発表し、森博達さんの区分論を激しい口調で論難した有名な論文です。この論文をめぐって、このブログでも論争になったことは、ご存じの方が多いでしょう。第6章は、その論争での主張を中国の論文集に掲載したものの日本語版だそうです。

 まずは、私の専門と重なる第1章「十七条憲法と聖徳太子」から見ていきましょう。井上さんは、聖徳太子の事績を疑う系統の研究史についてごく簡単に触れ、その極地である大山誠一説を批判し、大山氏の聖徳太子虚構、推古天皇虚構、蘇我馬子大王(天皇)説などは「全く取るに足りない議論である」と切り捨てたうえで、放置するわけにもいかないと説きます。これは賛成。

 そして、聖徳太子について、太子=摂政説、三経義疏、十七条憲法というのが重要なポイントなので、これについて見て行くと述べます。

 最初の「太子=摂政説」の個所では、「太子」と律令制の皇太子は違うため、「太子」という存在があっても不思議でないとします。その証拠として、大山説では無視されていた養育担当の壬生部の存在をあげています。これはその通りですが、注であげているように先行研究があります。
 
 重視されているのは、『隋書』倭国伝の開皇20年(600)の遣隋使記事の解釈です。井上さんは、この記事や『翰苑』倭国条では、当時の倭王が男とされている点について検討し、倭国の使者は女王であったことを隠蔽しようとした「可能性が高い」としています。後に唐の太宗が新羅について「女王だから、隣国の軽侮を招く」として退位を勧告したという例からの推測です。これも注で示しているように、そうした説は前からあります。

 しかし、倭国と関係が深い百済や新羅は、隋に朝貢しており、倭国以上に隋と交流があった以上、隋に倭国の情報がまったく入らないとは考えにくいところです。あるいは倭国は、百済や新羅にも隠していたんでしょうか。当時の推古が、中国が考える他国の女王とはタイプが違っていたので、うまく伝わらなかったというなら、まだ分かりますが。

 井上さん独自の説は、倭王は「天を以て兄と為し、日を以て弟と為す」という部分の解釈でしょう。井上さんは、「弟」とは日嗣、つまり太子のことであったとします。そして、「天を以て兄と為す」というのは、用明天皇が推古の兄であったことを意味するのであり、「兄」を「せ」と訓めば夫の意になるため、敏達天皇を「兄」としていたという意味となると解釈します。

 これによって、推古天皇(大王)の実在と、摂政としての聖徳太子の実在を論証しようとするのですが、これはおかしな議論です。

 上の解釈の場合、兄の用明天皇であれ夫の敏達天皇であれ、天皇(倭王)を「天」とみなしていることになりますが、そうすると、天を兄とする推古は「阿毎多利思比孤」と呼ばれる倭王でありながら「天」ではない、ということにならないでしょうか。また、女王であることを隠蔽しようとするのであれば、敏達を夫とするという意味で「以天為兄」などと隋に伝えるはずがありません。そもそも、「以天為兄、以日為弟」という記述は推古の個人的な状況について説明したものなのでしょうか、倭王一般の性格を説明したものなのでしょうか。

 井上氏は、「以上の解釈以外に、この天日兄弟説を合理的に説明する方法はないと思うのだが、如何であろうか」(8頁)と自信を示しておられるものの、「合理的」な説明とは思われません。この部分については、私なりの解釈があり、発表したこともありますが、詳細は今年中に出る本で書きます。

 次の三経義疏については、簡単に触れているだけです。私の三経義疏の和習論文を根拠として、藤枝晃先生の中国撰述説は最近ではほとんど否定されていると述べます(引用してくださって有り難うございます)。そして、当時の日本の学問水準では作成は無理とする曽根説などを批判し、同時代の比較できる資料が存在せず、また空海のような時代からかけ離れた天才もいる以上、一般論で片付けるのは不適切とします。

 これはその通りなんですが、最近の拙論で触れているように、十七条憲法と三経義疏とは、ともにかなりの変格漢文であるものの、文体は非常に違います。同じ人とは考えにくいです。この点をどう考えるか。ともかく、三経義疏の著者問題の解明は、仏教学者の責任なので、私の方で研究を進めます。

 次にこの論文の柱となる十七条憲法の問題です。基調を仏教と見る村岡典嗣の説を引いて賛成し、出典論に関する小島憲之の説を引いていますが、私のブログで公開している拙論「伝聖徳太子「憲法十七条」の「和」の源流」(『天台學研究』10輯、ソウル、2007年12月、こちら)を見てませんね。

 だからこそ、第十条が人間を「凡夫」と見なしていることを仏教由来と説くわけです。確かに、仏教的な意味合いで言われているものの、ここでの「凡夫」は、儒教に基づく六朝時代の人間観に基づいており、変化しない上智でも下愚でもない並みの人間、具体的には聖人でない群卿を指します。君主や君主を補佐する聖人のような有力者は凡夫とはみなされていません。つまり、仏教と儒教が融合しているのであって、そうした点に注意しないと、十七条憲法は読めません。

 井上さんは、十七条憲法の心理分析を重視しており、「仏教は日本に文字文化をもたらすと同時に、日本人に主体的な認識方法を教えた」(17頁)と述べており、これはその通りです。日本史学の人が、こういう点を強調するのは珍しいですね。私自身、かなり前から論文や発表などで強調してきたように、日本文学では、心の自覚、分析は仏教から来ます。

 十七条憲法については、冠位十二階との関係がこれまで多くの人によって説かれています。井上さんは、「徳・仁・礼・信・義・智」の順で並ぶ冠位十二階では、「徳」の下の「仁義礼智信」という五常が普通の順序で並んでおらず、「礼」と「信」の位置が繰り上がっており、「この二つは十七条憲法でも尊重されている点を強調します。そして、この「信」は仏教興隆とも関係すると説きます。

 これは妥当な指摘でしょう。私も十七条憲法と冠位十二階は関係があると考えています。ただ、この順序については、朝鮮半島で用いられていた五常や官位説についても触れる必要があります。また、これだけでは、断定はできません。

 というのは、井上さん自身が認めているように、十七条憲法では冠位十二階のトップに来ている「徳」に触れておらず、「徳」を重視しているとは言えないからです。

 また、井上さんは、冠位十二階で一番下に置かれた「智」については、憲法十四条では「智、己に勝れば則ち悦ばず……」とあって、嫉妬を招く原因とみなされているので「評価は高くない」(22頁)と書いていますが、そうは読めません。ここは、「智」が勝った人を登用すべきだという文脈なのだから、「智」は尊重されていると見るべきでしょう。

 さらに、井上さんは十七条憲法では「徳」だけでなく、「仁」も触れられていないとし、第六条の「民に仁無し(无仁於民)」の「仁」は「動詞的に用いた例」であって、徳目としての用例がないことを強調します。

 確かに、十七条憲法は「仁」を特に強調してはいないことは確かですが、「『徳』と『仁』の概念は憲法には触れられていない」(22頁)とまで言うのは行きすぎでしょう。動詞的用例とはいえ、「思いやりの心で接する」という本筋の意味で用いられていることは無視できません。

 となると、十七条憲法と冠位十二階がともに「礼」と「信」を重視していることは事実であるものの、十七条憲法と冠位十二階とが完全に対応しているとは言いがたいことになります。そのように指摘するなら良いのですが、井上さんは、自説の正しさを示そうとするあまり、憲法における「仁」や「智」については実態以上に低く見ようとしていますね。

 以上の論じ方を見れば分かるように、井上論文は自説に強い自信を持っているものの、やや強引な面があり、自説に都合のよくないことにはあまり注意しない傾向が見られます。

 あと、井上さんは、断定はしていないものの三経義疏を太子作と見る立場である以上、三経義疏と十七条憲法の類似についても論じてほしかったところです。これも先行研究はたくさんあります。

 なお、森博達さんは、これまで立派な文章だとする研究者が多かった十七条憲法について、実際には和習が非常に多く、その用例は編集後期に属するβ群に見える和習の用例とかなり共通していることを指摘し、憲法は偽作と論じました。ところが井上さんは、「この森説については、筆者が徹底的な批判を加え、その結論の根拠そのものが成立しないことを明らかにした」(12頁)と述べて終わりにしています。

 論争は継続中ですので、森さんも反論されると思いますが、仮に(仮にですよ)井上さんの批判が正しくてα群中国人撰述説が崩れたとしても、十七条憲法に和習が多く、成立の遅いβ群の用例とかなり共通するという指摘は動きません。

 森さんが基本的に中国人撰述だとするα群にも和習が含まれていることは事実ですが(森さんは、それはα群の中でも特定の個所に限られるとして和習や加筆の理由を論じており、先日、このブログで触れた国際研究集会でもその新たな証拠を詳細に示していました)、β群が語彙や語法の面でα群と大きく異なることは、森さん以外の研究者もいろいろな面からの研究で指摘していることです。

 これを根本からくつがえすような論文は見たことがありません。井上さんは、それを無視しているのです。これからは、和習についてさらに詳細に検討し、特徴を分類して『日本書紀』中での分布の様子を明らかにしていくことが必要になってくるでしょう。

 私自身は、十七条憲法については律令制以前の要素が多すぎると考えており、その点ではβ群編者による執筆と見る森説より井上説に近いですし、十七条憲法と冠位十二階は関連すると考えるなど、井上さんと説が似ている部分もけっこうあるのですが、この論文での井上さんの議論には賛同できにくい点が少なくありません。

【追記】
 誤記・誤変換などがあったため、訂正しました。人のことは言えませんね。
 最初にアップした版では、「あとがき」に見える井上さんの学問の問題点の一例を指摘していましたが、削除しておきます。

「憲法十七条」解釈を含む早稲田開催の特別研究集会「津田左右吉の人文学と中国」

2015年01月08日 | 聖徳太子・法隆寺研究の関連情報
 期末の成績つけと卒論・修論・博論の審査が終わったら、聖徳太子研究に復帰する予定ですが、そのきっかけとなってくれそうな催しがあります。

 このブログでの『日本書紀』区分論をめぐる論争でお馴染み、北京大学の井上亘氏も発表される「津田左右吉の人文学と中国」という国際研究集会です。開催は、来週の土曜日である1月17日。

 井上さんからは、前に中国語での著作『虚偽的「日本」』を頂いており、年末にその日本語版である『偽りの日本古代史』(同成社、2014年12月)も送って頂いていますので(有り難うございます)、仕事が一段落したらご紹介する予定です。

 その集会は、以下の通り。入場無料・予約不要だそうです。私は参加の予定。井上さんは、「憲法十七条」の内容を律令以前と見る点では私と考えが同じなんですが、上の本を見る限りでは、私のブログで公開している「憲法十七条」論文(たとえば、こちら)などは、読まれていない感じですね。今回の発表ではどうでしょうか。

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     特別研究集会「津田左右吉の人文学と中国」

【趣旨】
 この特別研究集会は、私立大学戦略的研究基盤形成支援事業「近代日本の人文学と東アジア文化圏―東アジアにおける人文学の危機と再生」(早稲田大学)のもとで進められている部門研究「早稲田大学と東アジアー人文学の再生に向かってー」の一環である。この部門研究では、人文学が早稲田大学との関係において、どのように形成されてきたのか。それは、日本のなかで、また、東アジアを中心とした世界のなかで、いかように受け止められ、どのような問題点をかかえていたのか。そして、どこへ向かおうとしていたのかを自己検証する。したがって、本研究は、近代日本の私立大学と人文学構築との連環を問い、これからの可能性を探求する例示研究となる。
このたびは、津田左右吉の人文学が中国でどのように受容され、理解されてきたのかを検討し、議論したい。

開催日時
 2015年1月17日(土)14:00 ~ 18:20
開催場所
 早稲田大学文学学術院第七会議室(東京都新宿区戸山1の24の1 戸山キャンパス39号館6階)

【プログラム】
○開会:趣旨説明 14:00~14:10
   新川登亀男(早稲田大学)
○研究報告 14:10~17:20(部分通訳付き)
   劉 岳兵(南開大学) 「中国に於ける津田左右吉の受容と研究について」
苗 壮(遼寧大学)  「海外の中国学からみた津田左右吉研究」
    休憩
井上 亘(北京大学) 「津田左右吉の十七条憲法解釈と戦後歴史学」
○コメント 17:20~17:40
   渡邊義浩(早稲田大学)
○総合討論 17:40~18:20
   研究報告者とコメンテーター
○閉会
閉会後、意見交換会を予定(18:30~20:30 会場未定)。

主催:私立大学戦略的研究基盤形成支援事業部門「早稲田大学と東アジアー人文学の再生に向かってー」(早稲田大学文学学術院) 入場無料・予約不要