聖徳太子研究の最前線

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拙論「三経義疏の共通表現と変則語法(下)」の刊行

2014年04月14日 | 三経義疏
 一年間のご無沙汰でした……。などと玉置宏の挨拶のようになってしまいました。申し訳ありません。いろいろな分野に手を出して遊んでいるうちに、このブログを更新しないまま時間がたってしまいました。

 実は、この「三経義疏の共通表現と変則語法(下)」論文は、「三経義疏の共通表現と変則語法(上)」(『駒澤大学仏教学部論集』第41号、2010年10月)の続編であって、書いて提出したのは3年ほど前のことです。2012年には出るはずでした。

 ところが、この論文が収録された『奥田聖應先生頌寿記念インド学仏教学論集』(佼正出版社、2014年3月30日)が先日ようやく刊行され、送っていただいたのですが、見てびっくりしました。なんと、90名が執筆していて1156ページもあります。これでは、刊行が遅れるわけです。

 それはともかく、(上)論文では『勝鬘経義疏』を中心にしていたのに対し、 この(下)論文は、『法華義疏』と『維摩経義疏』が中心です。そして、伝統説に基づく花山信勝先生の訓読では、『法華義疏』の冒頭部分の句読すら間違っており、正しく読めていなかった個所がいくつもあることなどを明らかにしました。また、漢文として誤っていたり、奇妙であって他に用例がない表現が多いことも指摘しました。

 一例をあげれば、『法華義疏』に多く見えていて「ひとしく賜ふ」と訓まれてきた「平賜」は、『法華経』にも見える一般的な用語である「等賜」と違って、現存文献では『法華義疏』にしか見えません。『法華義疏』は、「ひとしく説く」の意味で「平説」という表現もしています。しかし、この用法は、『法華義疏』をのぞけば、有名な経典や中国の注釈には見えません。

 「平等」という言葉が示すように、「平」には「等しい」という意味もありますが、『法華義疏』はかなり特異な表現をしているのです。しかも、通常の漢文には出てこない表現が少なくありません。

 ほかには、「不清去(清く去らず)」などもそうです。この表現は、検索できる限りの現存文献では、『維摩経義疏』に3回、『法華義疏』に2回見えているのみであって、「(解釈が)スッキリしない」の意で用いられています。こんな表現は、仏教漢文に限らず、中国の古典や史書などにも全く見えません。

 そればかりか、「猶不清去(なお清く去らず=やっぱり、スッキリしない)」という表現も、『維摩経義疏』と『法華義疏』に1例づつ見えるのみです。

 したがって、三経義疏の中で一つだけ形式が異なると言われてきた『維摩経義疏』も、表現では『法華義疏』などと非常に似ていることになります。しかも、これを書いた人は、訓読風な文章で考え、自己流の漢文を書いているのです。

 三経義疏が中国の学僧の作でないことは明らかです。韓国の場合、古い文献や木簡などがあまり残されていないのですが、現存文献に限って言えば、「不清去」その他の表現は、新羅・高麗の注釈などにも見られません。それどころか、後代の日本の仏教文献にも出てこないのです。

 漢文として明らかにおかしい表現もあります。たとえば、『法華義疏』では、「起」と書けばすむところを、「為起(起こるを為す)」と記している個所があります。『日本書紀』にも同様の表現があり、これが和習であることは森博達先生が指摘ずみですが、三経義疏にはそうした不自然な「為~」という表現が多いのです。このタイプの表現も、今のところ韓国の金石文や木簡などの用例は報告されていません。

 三経義疏には、このような表現がたくさんあります。日本古代史学では、これまではそうした点に十分注意しないまま、中国の注釈だとする藤枝晃先生の説を鵜呑みにしたり、奈良朝の偽作だと説いたりしていたのが実状です。しかし、文体や表現に注意しないで著者や成立地や成立年代を論じるなど、まったく無理な話でしかありません。

 三経義疏に聖徳太子が関わっていたかどうかはまた別な問題ですが、ともかく、研究にあっては資料をしっかり読むことが出発点であることを、改めて痛感させられました。

 この論文の PDFについては、いずれ、このサイトで公開する予定です。

【付記:2021年2月4日】
「いずれ」と書いていながら、そのままになってました。(上)はこちらで、(下)はこちらです。
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