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東アジアからの視点で史書の成立を眺める:遠藤慶太『東アジアの日本書紀』

2012年08月02日 | 論文・研究書紹介
 長らくのお休みでした。少しづつ復帰していきます。その第一陣は、以前、論文を紹介した遠藤慶太氏が刊行されたばかりの新著、

遠藤慶太『東アジアの日本書紀--歴史書の誕生--』
(吉川弘文館、歴史文化ライブラリー349、2012年8月)

です。

 この書物で重要なのは、古代史そのものでなく、『日本書紀』という特殊な歴史書そのものの成立過程を明らかにする、という立場を明確に打ち出していることです。もう一つ大事なのは、東アジアの視点から考えるという作業を、『百済記』『百済新撰』『百済本記』という書物の検討を通して具体的におこなったことでしょうか。

 全体の姿勢としては、極度の懷疑主義でなく、『日本書紀』の潤色を認めつつ、元の資料を読み取ろうとしているのが特徴です。「歴史書をまとめるとき、筆録者がほしいままに歴史を書く」ことができると見て批判的に虚実を検討してきた従来の方法をとらないのです。

 そのきっかけとなったのは、遠藤氏が『日本書紀』完成の翌年に行われた講書について研究されたことでしょう。氏は、「『日本書紀』の読者は誰か、誰に向けてこの史書がまとめられているのか」と問題提起し、律令官人たちこそが主な読者だとします。それも、自分たちの氏族の資料を史書編纂のために提出した官人たちです。
 
 となれば、そうした官人たちの先祖に関わる記述を、一部の人間が机上で簡単に創作することは不可能になります。分注を利用して、諸説をあげざるをえなかったのもその一例ですし、それどころか、『日本書紀』では「日嗣(帝紀)の情報さえ統一されていない」のです。それは、様々な系統の先行資料を利用し、ゆるやかな枠組みで編纂されたからだと、氏は説きます。

 このため、氏は「実際に『日本書紀』の筆録にあたった具体的な人物を特定することは難しいのではないか」とします。この点については、今後、我々が4年間にわたっておこなっていく変格漢文の科研費研究における文体分析が明らかにしていくことでしょう。

 本書のうちで最も詳細なのは、朝鮮における史書編纂の動きなども踏まえつつ、百済系の史書について分析した部分でしょう。氏は、『日本書紀』の材料となった百済三書のそれぞれの特徴を明らかにし、近年の説と違って、『百済記』『百済新撰』『百済本記』の順序で成立したとします。そして、聖徳太子・蘇我馬子時代の史書編纂を事実として認めたうえで、編纂の実務をになったのは、百済系の書記官(ふみひと)であったと説きます。

 そして、彼らやその職務を継いだ子孫たちが、百済の立場を弁護しつつ、彼らの来歴を主張したのがこれらの百済三書であって、それがかなり『日本書紀』そのものの性格になっていると見ます。

 その他、興味深い指摘がいくつも見られ、『日本書紀』研究は新たな段階に入っていることを痛感させられます。8世紀の権力闘争に基づいて、特定の者が自分の立場に都合良く勝手に創作したなどと空想するだけのやり方は終わりです。
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