聖徳太子研究の最前線

聖徳太子・法隆寺などに関する学界の最新の説や関連情報、私見を紹介します

近代仏教研究者がオカルト的聖徳太子論を批判的に検討:オリオン・クラウタウ「ノストラダムスから聖徳太子へ」

2022年05月01日 | 聖徳太子をめぐる珍説奇説
 昨年7月、このブログの「珍説奇説」コーナーに、「太子の未来記とユダヤ伝説その他を結びつけたトンデモ予言本:五島勉『聖徳太子「未来記」の秘予言』」という記事をアップしました。

 1999年に人類が滅亡するというノストラダムスの恐ろしい予言をとりあげ、ベストセラー作家になった五島勉のオカルト風な聖徳太子本について紹介したものです(こちら)。

 そうしたら、この聖徳太子本について検討した興味深い論稿が、このほど刊行されました。

オリオン・クラウタウ「ノストラダムスから聖徳太子へー五島勉による終末論の行方ー」
(『中央公論』2022年5月号[1662号]、2022年4月)

であって、この号は、「プーチンの暴走」と「オカルト・ニッポン」を特集しており、クラウタウ論考は、むろん後者におさめられています。ネット上で、これを紹介している記事は、こちら

 著書の『近代日本としての仏教史学 』(法藏館、2012年)によって高く評価され、最近は近代における聖徳太子の研究に力を入れている東北大学准教授のクラウタウさんは、私の研究仲間です。彼が先日主催し、私もコメンテーターとして参加した「近代の聖徳太子」シンポジウムについては、このブログで紹介しました(こちら)。

 ですから、クラウタウさんのこの論考は「論文・研究書」コーナーで紹介すべきですが、題材が題材だけに、前の私の記事と並ぶようにするためもあって、「聖徳太子をめぐる珍説奇説」コーナーで紹介することにしました。

 さて、クラウタウさんは、ノストラダムス(1503~1566)が『予言集』で、「海上都市の大きな悪疫」について語っているため、新型コロナウィルスが広まるとすぐに、多数の河川が揚子江に流れこむ都市、すなわち武漢と新型コロナウィルスのことだと論じる人たちがネットに現れたことから話を始めます。

 日本では、聖徳太子が予言していたとする言説も見られました。オカルト関連のニュースを流しているサイトでは、オカルト作家、白神じゅりこ氏の「聖徳太子2020年の予言は「新型コロナウィルス」だった!」という記事を掲載した由。

 その白神氏が参照しているのが、例の五島勉の聖徳太子本、『聖徳太子「未来記」の秘予言ー1996年世界の大乱、2000年の超変革、2017年日本はー』(1991年)なのです。

 クラウタウさんは、まずその五島の経歴を紹介します。函館市のキリスト教徒の家庭に生まれた後藤は、東北大学法学部卒業後、文筆の道に進み、宗教関係の本を出すようになります。そして、1973年に、「1999の年、7の月、空から恐怖の大王が降ってくる」というノストラダムスの予言をスモッグによる人類滅亡と解釈し、『ノストラダムスの大予言ー迫り来くる1999年7月の月、人類滅亡の日』を刊行しました。

 当時は公害問題が深刻となっていたこともあってか、本書は250万部を越える空前の大ベストセラーとなったため、五島は次々に続篇を出しますが、次第に日本から救世主が現れると説くようになります。それを読み、「我こそ救世主だ」と考える人も出てきており、それが阿含宗の桐山靖雄やオウム真理教の麻原彰晃などの教祖だったと、クラウタウさんは指摘します。五島の終末論は、不安だった日本社会に大きな影響を与えたのです。
 
 人類滅亡を救う救世主は日本から現れると説くに至った五島が着目したのが、聖徳太子でした。平安期から南北朝期にかけて聖徳太子信仰が高まると、太子の伝記、あるいは太子作とされる怪しい記述が盛り込まれた書物が次々に書かれ、太子の予言と称されるものが続々と登場します。

 これが太子の「未来記」と呼ばれるものであって、小峯和明さんなどによって研究が積み重ねられていますが、五島はこの「未来記」に着目してその図式を拡張し、救世主が日本から現れると説くに至ったのです。

 五島は、現在の世界を支配しているのはユダヤ・キリスト教・白人文明であるとし、その「思い上がった未来プログラムを打ちくだく」ものを東洋に、実際には日本に求めるようになったのですね。その結果、『聖徳太子「未来記」の秘密予言』は、『ノストラダムスの大予言』には及ばないものの、91年のノンフィクション部門のベストセラーとなりました。

 実際には、「未来記」は予言している事柄が実現した後に、それを聖徳太子が予言していたという形で記していることが多いのですが、五島はそうした研究は無視します。また、五島は予言が載っている『先代旧事本紀』などを原典だとしつつも、実際にはジャーナリスト出身の白石重の『聖徳太子』から孫引きしていたうえ、五島が太子の「未来記」の内容とするものの中には、五島が創作した話が含まれている由。こうした本は、怪しいのですよ。

 クラウタウさんは、五島は「結局のところ、一種の新しい予言を創作し、それを聖徳太子のものとして語ることで、予言者としての太子の地位を高めようとしたことになる」と説いています。

 そして、太子についてストーリー小説風に語るという点では、梅原猛『隠された十字架』が五島に大きな影響を与えたと説きます。梅原説のひどさは、この「珍説奇説」コーナーで3回にわたって解説しましたが、ここでも梅原だったのか……。弊害が大きいですね。

 私は今度の土曜には、その梅原が初代の所長を務めた京都の国際日本文化研究所で、「anitya、無常、つねなし」と題してインド・中国・日本の無常観比較の講演をする予定になっています。駒大在職中に1年間、在外研究で行かせてもらった京都大学人文科学研究所の場合も、所長を務めた福永光司先生の「憲法十七条」道教影響説と、世界的に有名だった敦煌班を率いた藤枝晃先生の『勝鬘経義疏』中国撰述説を批判する論文を書いてますので(こちらと、こちら)、どうも私は聖徳太子関連で批判している大先生の所属先と縁があるようです。

 さて、クラウタウさんは、五島がノストラダムスから聖徳太子へ乗り換えたのは、彼の「一種の西洋嫌悪」が強まり、「日本独自」の予言体系の探求につながった結果だと説いてこの論考をしめくくっています。

 そう言えば、このブログの「太子礼讃派による虚構説批判の問題点」コーナーで、聖徳太子虚構説に反発するあまり、史実を無視して太子を礼賛する国家主義的な人々を紹介・批判する際にとりあげた田中英道氏も、五島と同じような道筋を歩んでいますね。氏は西洋美術史家であったのに、太子やその関連の日本美術を絶讃する本を書くようになったうえ、最近では古代の四大文明よりも日本文明の方が先であってすぐれていたなどというトンデモ本を多数出していますし。

 田中氏が会長をつとめたことのある「新しい教科書をつくる会」のメンバーは、他にも西洋の研究者から日本讃美に転じた人が多いようですが、こうした傾向の先蹤は、西洋哲学や文学の研究から日本中心のトンデモ古代史ライターに転じたキムタカこと木村鷹太郎なので、そのうち取り上げましょう。
この記事についてブログを書く
« 大王から見た合議制と群臣か... | トップ | 合議を重視していた蘇我氏政... »

聖徳太子をめぐる珍説奇説」カテゴリの最新記事