千の天使がバスケットボールする

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大島渚監督が逝く

2013-01-20 15:24:40 | Nonsense
映画監督の大島渚氏が15日に肺炎で亡くなった。
大島監督の作品とこれまでの活動暦を調べると、私は殆ど知らなかった。意気軒昂で大島節の「バカヤロー」発言が炸裂していたという「朝まで生テレビ」も観たことがない。それでも何かを書き残したいと感じるのは、大島渚が私が”インテリ”を感じる唯一の日本人映画監督だからだ。

京都大学法学部出身、という東大ではない学歴もそんな私の印象づけに全く関係ないとは言い切れないのだが、作家・司馬遼太郎の短編集「新撰組血風録」の「前髪の惣三郎」と「三条磧乱刃」を題材に和的な衆道の視点から描いた時代劇「御法度」を製作した時、旧来の監督にはない日本人離れした”インテリ”を感じた。現代ではない、かっての日本の歴史にあったかもしれないエピソード、男だけの世界で、時代の転換点で反政府を鎮圧するために働き、しかも反乱者や風紀を乱す者は内部で粛清するという実に特殊な最後は負けて消滅していく集団の中で起こるホモ・セクシャルな素材。更に、主役の加納惣三郎に全く無名だった松田龍平を起用したのだが、よくこんな逸材に目をつけたと驚嘆した。原作を先に読んでいる者からすると、彼は完璧にえたいのしれない水もしたたるような美少年を具現していた存在だった。大島監督の美意識と着眼点には、心底感服した。

私は映画のキャスティングにこだわりがある。それは、ちょっとというレベルではなくかなり。キャスティングが最高だと、とてもご機嫌になる。
大島監督の「戦場のメリークリスマス」のデヴィット・ボーイや坂本龍一、ビートたけしの起用にも驚いたが、「マックス、モン・アムール」は未鑑賞なのだがシャーロット・ランプリングのさえざえとした美貌とスタイルは強烈に印象が残っている。キャスティングに関しては、大島監督は素晴らしくセンスが良いと絶賛していたのだが、生前に彼は闘病生活の中で次回の映画製作についてこんな言葉を残していた。

「最大の問題はキャスティングでしょうね、特に主人公の。そして、何か決定的に新しいものが欲しいね。それはひとつキャスティングか何かが決まれば一遍に降ってくるとは思います。」訃報記事で知ったのだが、大島監督はキャスティングが決まれば映画監督の仕事は終わったものと語っていたそうだ。

1997年に倒れ、その後遺症で言語障害や半身麻痺などの後遺症と闘い、第一線から姿が見えなくなった大島監督。その懸命な闘病生活を支えたのは、奥様の女優の小山明子さんだったという。
「深海に生きる魚族のように自らが燃えなければどこにも光はない」
こんな言葉を座右の名としていた大島監督とすれば、体の自由がきかない闘病生活はどんなにか厳しかったろうか。
しかし、私は大島監督の最高のキャスティングは、人生の伴侶に小山明子さんを選んだことだったと思う。