千の天使がバスケットボールする

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「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」増田俊成著

2013-01-14 17:04:26 | Book
全く、とてつもない人物がいたもんだ。超弩級の怪物だ!
表紙の鍛えられた19歳の肖像を見ただけで只者ではないとわかるが、1917年生まれの彼がまだ未成年で鍛えた肉体は、現在のボディビルディングなどなかった時代の訓練の成果である。乙女がもつにはちょっと照れくさいマッチョな肉体がめだつ本は、上下ニ段組で700ページ近くに及び、「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」という過激なタイトル。通勤途中で満員電車にゆられながら、周囲のうさんぐさげな視線をあびながら、読み始めたらその熱気にぐいぐいとひきこまれていった。怪物の名前は木村政彦。

「木村の前に木村なし、木村の後に木村なし」
「鬼の木村」

全日本選手権13連覇、恩師悲願の天覧試合を制覇。負けたら腹を切ると短刀で切腹の練習をしてまで試合に挑み、ずっと無敗を続け、現在においても史上最強の柔道家と超人的な強さでそう讃えられている昭和を代表する稀代の柔道家、木村政彦の名前を知っている者は殆どいない。戦後、食べるために、そして、結核となった愛妻の高額な薬代をかせぐためにプレスラーに転向した彼は、昭和29年に力道山との壮絶な闘い「昭和の巌流島対決戦」に破れて静かに消えていった。一方、力道山はこの試合を足がかりに昭和のヒーローとして華々しく活躍し大金を稼ぐのに比例して、益々猜疑心が強くなり、最後は凶器に倒れあっけなく亡くなった。何度も再試合を申し込んできた木村は、彼を忘れていない世間からは”力道山に負けた男”として屈辱の中に生きていくしかなくなった。

あれほどの男が、どうして力道山に負けたのか。

木村が圧倒的な強さで熊本の怪童としてその名前を轟かせ、恩師の牛島辰熊にひきとられて自宅に寄宿しながら拓殖大学柔道部で訓練を積む文章を読みながら、素朴な私の疑問はどんどんふくらみ、その謎ゆえに本書の世界にとりこまれていった。何しろ、その練習がすさまじいのである。睡眠時間は3時間程度で残りはすべて柔道のために使い、牛島の執念のような激しい稽古、腕立て伏せ1000回、大木相手に1000回の打ち込み、まさに想像を絶するような訓練の日々だった。凄いとしか言いようがない。体調不良によって第二回天覧試合に負けた牛島にとっては、木村は自分のリベンジを果たす芸術品だった。現代では、ありえない最強の師弟の関係にも驚嘆させられる。そんなふたりの柔道人生も戦争という暗雲によって一転していき、師弟は別れていき、木村は力道山との世紀に一戦の前に牛島家に挨拶に向かうことになる。2局しかないテレビも試合を放映し、一台の街頭テレビに人々が群がる。そんな大試合を控えているにも関わらず、木村の表情はおだやかで「試合はもう決まっている」と恩師の家を後にする。

柔道の歴史、プロレス界の黎明期も読ませるが、最強の男はまたとてつもなくスケールの大きい人物で、彼を知った者から愛される魅力的な人物だったことが伝わってくる。公表してもさしつかえのないレベルの数少ないエピソードにも驚かせられるのだから、公には言えない蛮行はどんなものだったのかは、乙女は怖くて知りたくはない。師匠の牛島が思想家としても活動を続けても、木村は最後まで悪童で天衣無縫だった。平成5年、木村政彦が逝った時「力道山に負けた男」という単層的な見方で報道するマスコミに反論するために、柔道家でもあった著者が18年の歳月をかけて、資料を集め取材をした力作だ。ぶあついが、中身も熱い!

しかし、やはり木村政彦は負けたのだ。負けたら切腹を覚悟して畳にあがっていた木村、若かりし頃、負けた後に対戦相手を殺そうと短刀を隠してつけ狙ったほどの木村は、やはり負けたのだった。
行間には彼を愛する著者の悲痛がにじみでてくる。けれども、木村は力動山よりもはるかに強く、現在でも史上最強の柔道家であることはゆるぎない事実であろう。

私は格闘技が大嫌いである。本書を読んで最大級の賛辞を送りたいが、格闘技をこれからも観戦することはないだろう。柔道は美しいスポーツだが、格闘技はスポーツではないからだ。しかし、私が嫌悪するそこにこそ、作者をはじめとした柔道関係者の木村へのたぎるような愛情と尊敬の念がこめられている。増田俊也氏の荒々しくも、最後の最後まで存分に読ませられる仕事は、間違いなく最高のノンフィクションである。